mixiユーザー(id:12844177)

2016年06月22日14:21

502 view

6-18 奥多摩 鷹ノ巣山

2016年6月18日(土)

奥多摩 鷹ノ巣山

東日原→巳ノ戸橋→巳ノ戸沢林道(廃道)→
鷹ノ巣尾根→ヒルメシクイノタワ
→鷹ノ巣山(1737)→水根山(1620)→城山(1523)→カラ沢ノ頭→ネズミサス尾根


画像は
日原から望む稲村岩、
鷹ノ巣山山頂から大菩薩連嶺を遠望、
秋川流域の盟主 三頭山

(山行アルバム公開しております。

http://mixi.jp/home.pl#!/album/12844177/500000099835413


0、願ってもないお誘い

2回目となる奥多摩は、念願の西部 奥多摩町 日原を起点とする山歩き。

今年2月に奥多摩デビューの自分に残雪の大岳山を案内してくださったマイミクのゆみゆみ父さんさんに再度お世話になる事になった。

ゆみゆみ父さんさんは特に奥多摩に精通なさっており、尾根や谷を歩き尽くしている山域もある。

週末が梅雨の晴れ間になるとの予報を見て久しぶりに山を歩こうと意気込んでる時に再び奥多摩へのお誘いメールをいただき、しかも憧れの奥多摩西部の一角を成す鷹ノ巣山の計画とあって、まさに渡りに船とばかりに二つ返事で飛び付いた。

奥多摩三大急登で知られる稲村岩尾根を登り、バリエーションルートのネズミサス尾根を下る計画(登りのルートについては当日まで勘違いをしていた…)をいただき、不安要素は40日ぶりの山歩きでバテないか、という点である。



1、いざ日原へ

古いガイドブックや山行記などを引っ張り出して鷹ノ巣山の歴史や山名の由来など調べると興味深さが増したが、細かい話はまたの機会に譲るとして何はともあれ迎えた当日。
土曜日の予報は日を追う毎に好転し、当日は素晴らしい青空が広がった。

待ち合わせの拝島駅北口でゆみゆみ父さんさん(以下、先輩と表記)の車に乗り込み、いざ日原へ。

前回同様 今回も地形図に線を引いた詳細なルート図をいただいたが綿密な下調べと実際の山行歴に裏打ちされた注意点が細かく書き込まれ、その丁寧な作業には感嘆させられる。

てっきり一般道の稲村岩尾根を登るものと思っていたが、ルートを見るとワサビ田跡が残る廃道の谷筋を詰めて稜線に乗るようだ。

車が奥多摩の山域に入ると山や尾根の事を色々と教えて下さり、自分は奥多摩の「山と高原地図」を広げて一つ一つ確認する。
初めて来た前回よりも土地勘が少しついたような気になった。

奥多摩駅を過ぎて日原街道に入ると、オレンジのジャケットを着たハンターたちと精悍な面構えの猟犬の姿が見えた。

駐車場に着き、準備をして出発。
日原は両側から山が迫る山峡集落で、昔は全国 五僻地の一つに数えられたほどの山奥だったという。
かつてここから奥多摩駅方面には杣道のような細い崖道が蜿蜒と続いており、夜間にやって来た人には谷間の崖に並ぶ日原の集落の灯がまるで城砦の篝火のように見えたそうだ。

酉谷山・天目山への登山口を見送ると、正面に稲村岩が見えてきた。
昭和30年代のガイドブックにあった白黒写真の稲村岩が鮮やかな緑に包まれた姿で目に飛び込んできて、ようやく念願の奥多摩西部に足を踏み入れたのだ、という実感が湧く。

稲藁の束のような形から名付けられたというこの岩塔を仰ぎながら民家の脇の階段を下ると山道となり、8時半 、いよいよ鷹ノ巣山への山旅が始まる。

日原川に架かる巳ノ戸橋を渡り、やがて右岸に岩壁が聳える谷筋を進む。



2、巳ノ戸林道(旧登山道・廃道)

稲村岩尾根への道を分け、苔に覆われて朽ちかけた橋を避けて左岸に渡ると、いよいよ巳ノ戸沢沿いの廃道が始まる。
(右岸には岩壁が聳えていたが、後で調べるとそこがまさに稲村岩の基部だった。)

ワサビ田の石積みが随所に残る径路は最初こそ明瞭だか、徐々にわかりにくくなる。水流が少ない巳ノ戸沢の左岸を行くとやがて斜面につけられていたはずの径路は消え、倒木で荒れ果てた沢の様相となる。

一度は誤って左岸の高みに乗ってしまい、先輩の指示で引き返したがここは下るにはかなり危険で、この日一番の難所だった。
沢に下りて一息つき、ここからは倒木だらけの谷筋を遡行する。
谷を埋めた倒木に攀じ登ったり屈んでくぐったり、まるでアスレチックのようだ。

谷間にも梅雨の晴れ間の強烈な陽射しが照りつけ、両岸の樹林からはエゾハルゼミの大合唱が響いて耳を圧する。
見渡す限り 人はおろか 動くものの影は無く、右岸の樹林や岩肌に目を走らせても動物の気配は無い。

40日ぶりの山歩きにはかなりしんどいルートだが、四肢をフル稼働させるバリエーションルートの醍醐味に痺れる。

一度は伏流となって再び現れた水流もやがて消え、左岸の斜面の傾斜が増すと今度は右岸寄りを歩く事になった。

いつまで谷が続くのかと前方を仰ぐと、数十メートル先の左岸の斜面に茶色い四足の動物が動くのを捉えた。
遠目にも明るい茶色の体毛を纏った動物が、ゆっくりと斜面を登っている。
丹沢では見た事の無い色の動物だ。

振り返って先輩に「動物がいます」と声をかけて再び視線を戻すと、もうその姿を見る事はできなかった。
全山 自然林優勢の中、その辺りの左岸の高みだけは人工林で、動物は斜面に生えた草の中に隠れてしまったようだ。

(後で調べたところ、奥多摩でもその姿を見かける事は珍しいとされるキツネではないかと思う。2014年冬に六ツ石山で登山者が撮影したキツネの動画がYouTubeに載っていたが、体毛の色からしてやはり自分が見たのもキツネではないだろうか。それとも、はぐれた猟犬だろうか。明るい茶色の体毛の猟犬など見た事が無いが…)

壊れた石積み堰堤を越えて谷を忠実に詰めながら背後を振り返ると、本仁田山の穏やかな山容が大きく姿を現し、高度を稼いでいるのが実感できる。

倒木帯を抜けると谷から見上げる自然林と青空のコントラストが美しさを増し、その絵のような風景を目指してさらに詰めようかというところで先輩から待ったがかかった。

自分は道型などさっぱり見出だせないしそもそも探してもいなかったのだが、どうやら左岸には崩壊した径路がずっと続いていたらしく、先輩は数十メートル下で地図を確認している。

(自分は単に谷を詰めるだけと勘違いしており、廃道というのも昔のワサビ田への道だと思っていたのだが、帰宅後にルートを復習してみると、先輩は「巳ノ戸沢林道」というれっきとした旧 登山道を歩こうとしていたのだと気付いた。)

日原から巳ノ戸橋を渡り、巳ノ戸沢の左岸を進んでお伊勢山の南の鞍部「鞘口のクビレ」を経て鷹ノ巣山の北面をトラバースして「巳ノ戸の大クビレ」に至る径路は昔の登山道で、やがては尾根通しに七ツ石山や雲取山に至る道だった。
しかし崩壊が進んで現在は「通行不可」の廃道となっている。

昭和47年発行のブルーガイドブックス「奥多摩・大菩薩」からこの道を指す記述を引用する。
「鷹ノ巣山山頂から日原へは、巳ノ戸ノ大クビレまで戻り、右へ折れる。カラマツの植林の中をぬけて、鞘口のクビレまではゆるやかな好ましい道である。しかしここから先は、ジグザグの急勾配となる。荒れるにまかせたワサビ田の間を縫うようにして、急がずじっくり下らないと、膝がガタガタになってしまう。」

40年以上前には既に巳ノ戸沢沿いの道は荒れていたとの事だから、年月を経た今は容易に道型を見出だせないのも当然だろう。かろうじて残っていた径路も一昨年の記録的豪雪でさらに崩れてしまったようだ。
しかしこの旧道の存在を事前に知っていたら、自分ももうちょっと真剣に地図を見て道を探したのにな、と後から反省である。

さて、ここから先輩の指示で左岸の高いところに見える尾根を目指す。
見た目より急な斜面に苦労したが、何とか登りきって上部で先輩と合流して11時半、鷹ノ巣尾根上の平坦地に至る。

日原から八丁山とお伊勢山を経由して鷹ノ巣山を目指す八丁尾根と鷹ノ巣尾根はバリエーションルートだが、御多分に漏れず例の登山詳細図のおかげで歩く人も増えたのか踏み跡はかなり明瞭だ。

先輩は「鞘口のクビレから50mくらいズレた所に出ちゃったな」と悔しがっていた。


3、鷹ノ巣山 山頂へ

ここで小休止とする。北側には酉谷山方面の山並みが覗いている。
ここで尾根を登ってきた50歳くらいの男性二人組が先行していった。

気温が高いので水分の摂取をこまめにしているが、この日は2リットルくらいしか持っていなかったので節約する。

ここからは大木も散見される明瞭な尾根道を進むだけなので気楽だが、ヒルメシクイノタワ直下は急登で、なるほど漸く登り着いた場所で誰しも昼休憩をしたくなるだろうから、ずいぶんとうまい命名をしたものだ。
12時15分。昼飯を食べている人はいないが、一般道の岩村岩尾根との合流点にあたるだけに人が次々とやってきて、忽ち十数名ほどになった。虫が多く、しきりにまとわりついてくる。
虫除けスプレーを肌に噴射してあるがあまり効果は無い。

ここから山頂までは立ち止まらない事を心がけながら緩やかな登りをこなしていくとやがて前方に山頂らしき青空が見え、ひと踏ん張りで12時40分 鷹ノ巣山(1738)山頂に至る。

山頂南面は大きく展望が開け、富士山は霞んでいるが東から西へと見渡せば、順に特徴的な形の大岳山、御前山、重厚な根張りの三頭山、さらに富士のシルエットの前面から西には大菩薩連嶺を望む。
また、三頭山の向こうには丹沢の山並みが仄かに見えている。

晴れているとはいえ梅雨の真っ只中であり、この時期としては展望に恵まれたほうだろう。

山頂には若者のグループやトレランの一団など次々と人が登ってきて、さすがは奥多摩を代表する石尾根縦走コースだけあって賑わっている。

先輩は湯を沸かしてカップラーメンを食べ、自分は干し芋スティックとおにぎり二個を頬張る。
ここでも間断無く続く虫の襲撃が煩いのでじっとしていられない。



4、水根山・城山

昼休憩を終え、縦走路を東に向かう。
勾配が緩やかな稜線の道は幅広で歩きやすく、まるで森林公園の遊歩道のような気楽さだ。

南に重畳する山々を眺めながらの歩きは実に快適で、次第に近づく凡庸な形のピークが水根山だろうか、と思っているうちになだらかな平坦地に至る。
山頂標識は登山道から離れたところにあり、先輩に言われなければそこが水根山の山頂とはわからなかった。

ここからは暫く単調な下りとなって飽きてくるが、緩やかな登りになると俄に目を瞠るほどに林相が素晴らしくなってきた。

ブナが優勢で下草も草原のように柔らかく茂り、大木も次々と現れて素敵な山域だ。
南の斜面にはカラマツも立ち並び、ブナの巨木もあってこの日 最も感動的なプロムナードだった。

城山のピークには文字が判別不能の朽ちた木製標識があり、こちらも登山道から外れているので水根山と同様、誰も気づかないような山頂だ。

城山の由来は、「多摩郡村誌」によればかつて朝廷に反逆し関東一円を席巻して新皇を名乗った平将門が一夜城を築いたともその城壁ともいわれる。
周辺には将門の伝説に因んだ地名が多くあるが、果たしてどうなのだろうか。

この先の小ピークがカラ沢ノ頭で、ネズミサス尾根と、その途中から分岐するカラ沢尾根の下りの取り付きである。



5、ネズミサス尾根

ここで先輩から「ネズミサス尾根とカラ沢尾根の分岐を見極めて正しい尾根を選んでみなさい。誤って鷹ノ巣谷に降りる尾根に乗らないように気をつけて。」とのテストが出題された。

未見のバリエーションルートを下りで使うのは単独では度胸が要るが、今日は心強い先輩が後ろにいるし、読図力を試す意味でもコンパスと勘を頼りに先行して下ってみる事にした。

最初は明瞭な尾根だが、下るにつれて尾根の形状はわかりにくくなり、斜面となる。
後ろで先輩は「踏み跡がついてるな。」とおっしゃるが自分はそこまでの眼力は無い。

それでも周囲に目を配りながら地形とコンパスを見て、問題のカラ沢尾根との分岐は何とかクリアして先輩からは及第点をいただいた。

「奥多摩」(宮内敏雄・昭和19年)によれば ネズミサスは日原では鼠指や鼠刺の字を宛て、これはマツ科の常緑喬木から来ている名で、この木の枝を鼠の出入りする穴に入れておくと鼠の悪さを防げるという。
その木がまだいっぱい生えているのかどうか確かめてみようかと思っていたが、もとより自分に木の事がわかるはずもない。

ここは細い低木が多く、途中からはずっと人工林と自然林の境界で大木も岩も無く展望にも恵まれないので、変化の無い単調なルートと言える。
登りで使うと傾斜もあるのでなかなかの苦行となりそうだ。

高度をグングン下げていくと西の鷹ノ巣谷からの瀬音が次第に高まり、北の樹間に日原の町が見えてくると下りも終盤となる。

最後は植林の仕事道に釣られて巳ノ戸橋よりも僅かに下流、ちょうど鷹ノ巣谷と日原川の出合に下りてしまい、橋まで登り返して漸く下山完了となった。

両手を軽く万歳の形に上げて下山完了を表現する先輩の後ろ姿が何ともお茶目だ。


6、帰路に就く

日原の集落に辿り着くと午後4時。
先輩が作った行程表通りの時刻で、大抵は時間に関して無計画の自分とは大違いの緻密さに驚く。

もう夕方だがまだ暑い。
奥多摩の山間部なのに暑いという事は都心では今年最高の気温となる真夏日だっただろう。

「萬寿の泉」という何か謂われがあるらしい井戸で顔を洗い、その先の自販機でふだんは飲まないコーラを買った。

交番のガラスには6月に入ってからのクマの目撃情報が3件貼ってあり、うち1件は今日歩いた「巳ノ戸沢 巳ノ戸橋付近でクマに追いかけられた」という内容で驚いた。

奥多摩ビジターセンターが発表している目撃情報は例年よりも件数が急増しており、全国の傾向と同じようだ。

大きい個体で体長160cm、体重100kg超級のクマは、体格だけならこちらが武器を持てば立ち向かえそうにも思えるが、軽トラックを破壊するほどの膂力を持っているというし、100m10秒台の脚力で斜面を転がるように突進する姿など映像で見るとやはり実際には到底 太刀打ちできそうもない。

ネズミサス尾根の途中で気付いたのだが、クマ対策も兼ねて山で持ち歩いているトレッキングポールの下部がすっぽ抜けて無くなっていた。
以前 西丹沢でも同様に紛失してしまったのだが…

靴もだいぶ傷んできたので、ポールと併せてそろそろ買わねばならない。

日原街道の途中で、先輩は歩いている若い男女を拾った。
倉沢をウォーターウォーキングしてきたという二人は、大学生カップルだろうか。

奥多摩駅で二人を降ろし、車は一路、拝島駅へ。
ゆみゆみ父さんさんは話題が豊富で多岐に亘り、話が尽きないので面白い。

これまで奥多摩に興味を持ちながらもなかなか足が向かなかった自分を今回も案内してくださり、奥多摩の山々の魅力を教えてくださった ゆみゆみ父さんさんにつくづく感謝、である。
今後は奥多摩の山に出かける機会も増えそうだ。


mixi
「丹沢を歩く会」コミュニティ
副管理人 S∞MЯK
モリカワ

(4月〜 事務局長)

6 11

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する