そういうわけで、ポスター掲示のための準備が着々と進んでいたりしますけど、アパートに自民党のパンフレットが投函されていて、産業道路の踏切では共産党もパンフを配布していました。選挙活動はまだ先のはずですけど、投票を呼びかけなければ大丈夫なんでしょうか。よくわかりませんけれど。
自民党の人は東大法学部を卒業してJPモルガンの副社長を務めてから政治に転進した政策通の人だそうです。頑張ってください。
共産党の人はイメチェンしてました。
上が今までのポスターで、インパクトの弱さは否めないところです。
でも、だからって秋元康ばりの黒縁メガネもいかがかと思うのですけれど、どうなんでしょう。
あと、ここは柔らかくてわかりやすい語り口を意識しようとしているらしくて、しんぶん赤旗も記事がですます調でネットニュースみたいになってますけど、さらにパンフレットではため口っぽい語りかけ口調を駆使するようになっていて、おそらく当初の目論見とはまた別の雰囲気を醸し出しているっぽくて、相変わらず目が離せません。
それから、いちおう演説会の告知っていう建前になっているポスターで、当地を選挙区とする議員や総理総裁とかならずタッグを組んでいるのが三原じゅん子で、一躍、党のエースみたいです。
画像は保存し忘れましたが、横須賀では小泉進次郎でした。彼女のタレントとしてのランクって、最も人気のあったころでも世間的にはそれほどでもなかったですよね。それを思うと、今、来てるなって気がしますな。「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」ってところですかね。
投票には行くと決めているので、行くことは行きますけど、それでなにかが変わるとかはこれっぽちも思ったことがありません。別に票が捨てられていても、別にそれは構わないというか。もちろん、本当に捨てられていたら別の問題があるのですけど、投票に行くことに意味があるとはずっと思えないままですね。18歳から選挙権があると、その思いを2年余計にしないといけないのですな。
実際問題、今の政治は複雑な上にいろんなことが相互に関連しているので、専門外の人間が手持ちの時間で考えても結論は出せない気がします。「候補者の政策を比較して」というけれど、政策の妥当性を評価するなんて作業はどう考えても庶民の手には余ります。アメリカの大統領選なんかを見ていると、有権者もそれに気づいて、もうなんでもいいからわかりやすい答えに飛びついているみたいです。危険きわまりないですが。
与党がよほどとんでもないことをしでかすと票がよそへ流れるという、いってみれば拒否権の行使ぐらいでしか、もう投票行動は機能していないといえるでしょう。だから、争点がないなら投票にもいかないというのも、ありかもしれません。
まあ、開場にあわせて行くとラジオの時報でいっせいに始まったり、投票箱が空であることを確認してから閉じて票を入れるなんて儀式に立ち会えるので、しばらくはそれだけを見に行こうかと思っています。
ログインしてコメントを確認・投稿する