人生の先輩(54才)曰く。
「身体がまともに動くのは60歳くらいまでだから、それまでやりたいことやっておいたほうが良いよ」
人生の大先輩(64才)曰く。
「65才になって年金貰えるようになったら、もういいかなって」
人生の超先輩(70才)曰く。
「もう身体が思うようにならないし、いつどうなるか分からない」
一週間のうちに立て続けでこのような話を聞いた。
なーんだか一気に老け込んでしまうような内容だったが、実は“老い”というのは予想以上に早くにやってくるんだなという認識は持てた。
例えば、神様に自分の寿命を好きなように設定していいよと言われてもあまり意味はなく、問題は終わるまでの時間ではなくて、いつまで一定以上の機能を保つことができるかが重要なのだと分かった気がした。
年金や老後のたくわえを使って、自適に暮らせる日々が訪れたとしても、その時点で実行できるチャレンジは極端に少ないのだろう。
お弁当の好きなおかずを最後にとっておいたつもりが、そこにたどり着くまでに満腹になってしまい、思いのほか味わえなかったり、または食べ切れなかった時のような、先輩方の話はそんな風に聞こえてならなかった。
本当は私自身も、うすうす気付いていたはずだ。
今が楽しければそれでヨシとして、そのことをまともにとらえず、どう対処していくかをわざと考えなかった。
自分は意外と不真面目な奴だったという事が判明したわけだ。
ちょっと考え直さなきゃいけないなぁ、今やるべきことって何だろうと思い、教えを乞うた。
「若いうちにやっておけばよかったことって何ですか」
「遊ぶことだね」
ほよよー。
なんと、『公私』で言えば『私』の部分をもっと大事にしておけばよかったというのが、諸先輩のおおよその回答だった。
これが壮年期のスタンダードな感想なんだろうか。
私は遊んでばかりいる現状がいいのだろうかと心配したが、ややもすれば、それを肯定されるような意見に戸惑うばかりだ。
ともかく、寿命とは、存在の継続期間ではなく、所要の機能が確保できる期限の事を言うらしい。
5年前に買ったMP3プレーヤーは今でも見た目は新品同様だが、バッテリーはすぐに切れるようになった。
あまり使わないで劣化を防ごうと思っていたが、ガンガン便利に使うように切り替えることにする。
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