何らかの障害をもって生まれることが必ず不幸である。と決めつけることは、障害者に対する人権侵害となる。しかし、この判断については当事者でもないし、深く考えたコトがあるわけでも無いから論説を控えたい。
それとは別に。
多分、遺伝子に異常があっても身体の機能として特に問題の無い状態で生まれるはずだった人間もかなりの数含まれていたはずだ。
異常のある遺伝子が発現しない可能性は大きい。生物の機能としてそうなっているせいだ。
実際、遺伝子異常を持っていてもそれに気づかず普通に生活している人は多い。
また遺伝子異常による身体機能の障害があっても日常生活に特に不便を感じない場合もある。
違いが軽微であったり、都市型の生活をしている限り無くても特に問題の無いような機能だったり。
ワシは脳のMRIを撮ったら、血管の形状がちょっと違うと言われた。ただちに死んだりはしないが、脳出血をしたとき生存率が若干低いらしい。
これも先天性の障害のひとつだが、遺伝によるかどうかは判らない。
しかし、それが出生前に判ったらワシも生まれてくるべきでは無かったのだろうか。
もう半世紀以上も生きちゃったけど。w
本人に障害が出なくても子孫に遺伝子異常が引き継がれる可能性もある。
しかし、遺伝子異常が無い人でも遺伝子異常が出る可能性があり、その逆もある。
実際のトコロ、致命的な遺伝子欠陥というモノがあるが、それが引き継がれている人がいる。
というだけで、固定的でないコトが証明できる。
そこら辺のコトはまだ何も判っていないに等しい。
人間は遺伝子というモノがあって、それがどうなってるか調べることができるようになった。
しかし、それだけに過ぎない。判らないコトの方が多いのだ。
遺伝子情報の検査という技術はこれからより簡便なものとなってゆくだろう。
出生前診断の流れも止められず、僅かな変異でも処分するようになるのではないか。
それは産む人の自己判断という名において正当化されるが、理屈が判っていないという点において優生保護法となんら変わることがない。
それがむしろ、何らかの病気のパンデミックによる人類の危機に繋がる可能性もある。
例えばエイズ耐性を持つ遺伝子パターンは、エイズ受容体を作れないという障害だ。
欠損が必ずしも悪ではないのである。人が完全なものであって、そこから欠けている部分があれば劣る存在であるという考え方そのものが妄想に過ぎない。
遺伝子異常は進化そのものでもあるし。
それとは別に。
また今後は、障害者の立場がかなり悪くなりそうな気がする。
障害者が生まれることが自己責任とされかねない。
検査をしなかったとしても、検査をして生むことを選択した場合でも。
本人は選択できないから、本人を責める理由にはならないが…
出生前診断で異常判明 96%中絶
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3963369
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