さてと、前回簡単な軍用航空史とその運用思想について解説した。そんで今回はいよいよ空母(航空母艦)について説明する。空母の発想は第一次世界大戦が始まるとすぐ出た。航空偵察は現在に至るも海戦勝利の「決定打」であり、索敵撃滅(サーチ・アンド・デストロイ)範囲を決定的に広めることとなった。つまり、
少ない兵力で広い範囲を守る事
が可能になるわけだ。海戦においてこの重要性は強調しても、強調しても、強調し過ぎることは無い。見つけなけりゃ、ヤっつけられねーーだローーが!実際、英国海軍は第一次世界大戦中散々チャンスがありながら遂にドイツ艦隊の撃滅に失敗した。一撃離脱(ヒット・アンド・ランナウェイ)戦術を徹底的に応用したドイツ艦隊はユトランド沖海戦始め、半分の戦力で英国海軍を英仏海峡正面に釘付けにして散々に翻弄した。戦争中には間に合わなかったが、戦後各国はこの利点に気付き鋭意、艦載機と航空機搭載艦艇の開発を進めた。
このころの航空機は今で言うモーターハンググライダーみたいなもんで、物凄く軽くものの100メートルも滑走すると簡単に浮いた。船を風上に向けて全力航行するとほんの数十メートルで浮くんだ、凧みたいなもんだね(笑)。だから発艦(船から離陸するの事)は簡単だった。軍艦から砲塔をはずして板ひいてやりゃあいい。だが狭く動いている軍艦に着艦(船に着陸するの事)するが大変だった。そこで大戦中は飛行機の足に浮(フロート)を取り付けクレーで降ろし、離発着は水面でやらせていた。この船を「水上機母艦」という。結構後まで使われた艦種で言うなれば「空母」の前身、卵だね(笑)。だが、これには大きな欠陥があったのだ。一言で言えば
止まってなけれればなら無い
って事。離発着は水面で飛行機クレーンで積み下ろしって、動いて出来るわけないでしょ(-_-;)。海戦中は敵味方双方、必死になって機動中。あっと言う間に置いてきぼりくって、肝心要のときに何の役にも立たない(笑)。そこで、他の軍艦に火薬式射出器(カタパルト)を取り付け水上機を発艦偵察させ、「水上機母艦」は着艦専用にする形で運用されることとなった。「おーおーい、拾ってくれーー」って(笑)。こののどかな風景も長くは続かなかった。戦闘機の性能が飛躍的に向上したのだ。下駄履き(旧軍の隠語、水上機の事)なんかが首突っ込むとたちまち皆殺しになっちまうわけ。そこで、戦闘機を振り切れる専用偵察機が必要となったわけだ。これは、浮(フロート)なんかつけられない、地上機と同じように車輪で着艦しなければならない。戦闘機な同じようにね。それを可能とする船、空母(航空母艦)の開発はここに始まる。
先陣切ったのは当然イギリスだった。巡洋戦艦フューリアスから大砲はずして甲板取り付けた。だが、もともと巡洋戦艦なんで船の真ん中に艦橋と煙突立ってるのだ。之は困った(笑)。発艦は何の問題も無かったが、着艦が大変だ(-_-;)。着陸位置が少し早すぎると艦尾にぶち当たって海に落ち「名誉の戦死(ToT)」、着陸位置が少し遅すぎると今度は煙突と激突して「任務中に殉職(ToT)」、しかも一発勝負でやり直しがきかない(ToT)。しょうがないんで、煙突の前に巨大なネットを張って「ドンとこーーい」ってやったら降りた飛行機が全部オシャカになりましたとさ(笑)。まったく使い物にならなかった。ちなみに、この防護ネットは現在でも空母の標準装備のひとつで、緊急時の設備保護ならびに事故機の滑落防止に使われています。
ま、もともと無理があったんだよ。飛行場の滑走路の真ん中に建物建ってるみたいなもんだもんね(-_-;)。戦争中とはいえ無茶しすぎ(ToT)。当然、邪魔な艦橋な排除された。だが問題は煙突だ。燃料機関を使う限り、排気は必須。煙突残すかエンジン下ろすかだ。仕方がないんでダクトでつなげて船腹につなげました(笑)。すると今度はハンガー(格納庫)どうする?って話になった。飛行機雨ざらしじゃまずいだろって。そこで考えられたのが高甲板(アッパー・デッキ)だ。まず、普通に船を作り甲板(アンダー・デッキ)を設ける。そしてその上に改めて離発着用の高甲板(アッパー・デッキ)を設けるわけだ。その後、元々の甲板であるアンダー・デッキをハンガーにすればいい。空母にリフト(エレベーター)がつきものになったのはこれが理由だ。こうして、基本的な設計が完成し最初に造られたのが日本の空母「鳳翔」だった。大正11年の話。その後、前回やった「爆撃機」特に魚雷を搭載できる「雷撃機」の登場により、空母は戦艦を越える「主戦力」とみなされるようになり海軍軍縮条約の対象にもなった。「我らが条約派」がファシスト共と組んだ「パーの艦隊派」に粛清されたてしまったのはこのときの話だ(怒)。味方空母は続々と進水したが「パーの艦隊派」の指揮下じゃどうにもならない(-_-;)。空母のアッパー・デッキを2重にして「三段式空母だーー」なんて馬鹿なこと始める始末(-_-;)。飛行機が軽い間はよかったが魚雷始め「重装備」を搭載し始めるとたちまち滑走距離が足りなくなって再改造する羽目になった(ToT)。馬鹿すぎ(ToT)。繰り返すが、「パーの艦隊派」を連合艦隊司令長官につけるのはやめてくれ(ToT)!
そして、いよいよ大東亜戦争が始まり「航空機動部隊戦術=エアー・シー・バトルドクトリン」が日米両軍によって実戦で試されることとなったわけだ。結果は知ってのとおり
「米軍の圧勝」だった(ToT)(ToT)(ToT)。
何を間違って米軍風情にボロ負けたのか?根本理由はもちろん基地主義の正統派海軍士官である「条約派」を排除したことだが、戦術的には「パーの艦隊派」がパー振りを遺憾なく発揮して2つの事を無視したことによる(気付かなかったのか?)。
1、火力投射量の算定と分析およびその対策を怠ったこと
2、索敵手法の開発とその定型化(理論化)を怠ったこと
だ(ToT)(ToT)(ToT)。まさに馬鹿に付ける薬はないっつうか、馬鹿は死ななきゃな直らないっつうか、言うべき言葉が見つからん(-_-;)。まず1から説明しようか。「パーの艦隊派」といえども流石に弾(戦艦の主砲弾)より飛行機の方が遠くに飛ぶことだけは知っていた。だが、奴らが知っていたのはここまでだ。この時期、前回書いたとおり航空機の弾薬搭載量は飛躍的に向上し一波(1ソーティ、1航空攻撃隊の1回分の攻撃の事)の火力投射量は戦艦の一斉射撃に匹敵するもののとなってた。少し具体的に行こう。パールハーバー奇襲に参加した空母赤城が全力攻撃したときの第一波の火力投射量は
九九式艦上爆撃機×18機×爆装310��(250�圈�60�圈�2)
九七式艦上攻撃機×27機×爆装800�舛覆い�850�禅�雷一発
計28.53t(最大値)。
これに対して戦艦大和の一斉射撃は
46センチ 主砲×09門×1360�阻っ�
15センチ 副砲×12門×0056�阻っ�
12センチ高角砲×24門×0023�阻っ�
計13.464t(理論値)。
つまり、空母航空隊の攻撃一波とは戦艦大和に横付けされて2回一斉射撃を食らうのと同じなのだ。しかも、射程距離は100倍だ。どんな軍艦でも一発で沈むだろう。そう、空母航空戦とはヘビー級のボクシングと同じで当たれば即ノックアウトの「必殺パンチ」の応酬であり、この手の戦いを制する唯一の方法は
先手必勝
なのだ。何故これが解からん(怒)!すえもの切りに切る(撃墜王・坂井三郎の言葉、ファーストルック・ファーストキル)しかないんだ。だから索敵が大事なんだよ。山本五十六始め「パーの艦隊派」はこの計算をサボりやがった(激怒)!やっていれば6隻の空母を団子状態にして真珠湾に向かうようなマネは絶対しなかったはずだ。しかも、あの時タンカー不足を名目に船中ガソリン入りのドラム缶だらけにしやがったΣ(OoO)。ぞーーーーー。まるで、「かちかち山の狸」だ(ToT)。ほんの20機程度の逆奇襲食らうだけで主力部隊が「壊滅」するところだった(ToT)。神佑天助としか言いようが無い。くりかえすが、ぞーーーーー。では如何したらよかったのか?少し長くなったので、それはまた次回語ろう。とほほ。
おまけにみくしー検索かけてみました。
「航空母艦」
日記 検索 (9件)ひっと。
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