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2016年04月06日09:16

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3-27 西丹沢の辺境 椿丸 織戸峠

2016年3月27日(日)

西丹沢の辺境
「誰も知らない丹沢」(岡澤重男 著)で世に紹介された一般登山道空白域の山と峠を歩く

浅瀬→椿丸(902)→織戸峠→法行沢林道→大又沢林道→丹沢湖

画像は、
椿丸から 西丹沢の山々と遠く丹沢主稜を望む、
織戸峠 付近の大木、織戸峠の手製標識
(フォトアルバムに山行写真54枚を掲載)

山北町 世附の山々は、古くから甲相駿の国境を劃する山域にあたり、交易の為の峠越えが盛んであった。山深いところには関所を避ける秘密の道もあったという。
また、特に菰釣山に代表される現在の甲相国境尾根付近を中心に甲斐と相模の熾烈な国境紛争が繰り広げられた山域でもある。

かつての交易路の一部を辿る登山道が少なくとも40年ほど前にはあったが、現在は一般登山道の無い空白域となっている。

今回は春の静かな山歩きを求めて世附の椿丸(902)に登り、古の交易路が交差していたオリト峠(織戸峠・降戸峠)を訪ねた。


0、浅瀬の管理人

先週に引き続き、丹沢湖畔にやってきた。先週は山に登るでもなく玄倉の境ノ沢を覗いたり徘徊したりで終わってしまったので、今回はしっかり山を歩くつもりだ。

落合隧道を抜けて浅瀬に向かう。
車がたまに通るだけで人影の無い車道を歩いていくと、大出山(大嵐・通称「ミツバ岳」)(835)の登山口である滝壺橋にはたくさんの人がいた。

近づいていくと、総勢20名近い中高年の団体だ。
静山派の自分にとっては山で出会う人数は1日に20人でも多いくらいなので、朝っぱらからこんな大人数の団体に出くわしては堪らない。

「ミツバ岳」はミツマタのシーズンだけはやたらと人気だが、それ以外の季節は見向きもされない山だ。
自分は敢えて昨年の晩夏にこの山に登り、世附権現山(1019)まで歩いてみたが誰にも出会わなかった。

湖畔からはホーホケキョの鳴き方が拙いウグイスの囀りが何度も聴こえてきて微笑ましい。綺麗な音色を出すにはまだまだ練習が必要なようだ。

浅瀬のゲートを抜けて進むと渓流釣りの管理事務所の前に世附川 周辺の沢名が書かれた略図があった。

今日歩く笹小屋ノ頭(780)、小クマ沢ノ頭(795)、クマ沢ノ頭(838)などのピークを眺めながら川沿いを歩いていくと、浅瀬橋のあたりに人影が見えた。
向こうから声をかけてくださったので挨拶して話してみると、渓流釣りの管理をしている漁協の方だとわかった。

ここ数年、世附の山にも以前より人が入るようになり、マイクロバスで団体が来た事もあるという。
やはり西丹沢登山詳細図(吉備人出版)の刊行によるところが大きいだろう。
自分も大いに活用させてもらっている。

この漁協の方は今日は午前3時半頃からいたが、登山者はまだ見ていないという。
また、鹿の管理捕獲のハンターも入っていないとの事で、静かな山歩きが期待できそうだ。

「この辺りはクマの巣だから気を付けて!私はちょうどこの林道でクマに出くわした事あってね。小さいクマだったけど、もうちょっと大きいのがいるかも。鈴とか笛で用心しなよ。」との言葉に礼を述べ、歩きだす。

後で思い出したが、かつて「浅瀬の番人」と呼ばれ、世附の歴史の生き証人でもあったという湯山さん(2012年逝去)の事を聞き忘れた。



1、笹小屋ノ頭(780) 周辺

浅瀬橋を渡り、水ノ木林道に入ると間もなく、椿丸南ルート(西丹沢登山詳細図)の取り付きに至る。

世附川のほとりに降りてみると、全身黒ずくめの釣り師が上流に向けて歩いて行った。

さて椿丸(つばきまる)(902)に登るのは2回目となる。
前回はちょうど1年前(2015年2月)で、稜線には少し雪があった。

今回は春なのでヤブ対策をしてから、9時半、斜面に取り付く。

最初の急登をこなしていくと、椿の赤い花が目立つ。ひょっとして椿の木が多いから「椿丸」なのだろうか。
右手には大出山が大きい。

空は晴れて青い。山で青空を眺めたのは久しぶりの感じがして嬉しい。
やはり太陽の力は偉大で、春の陽射しを浴びた山肌はまだ冬枯れの様相ではあるがまるで木々が喜んでいるかのように生き生きとして見える。

やがてミツマタの群落が現れた。
花はまさに今が盛りとばかりに黄金色に輝き、馥郁たる甘い香りが湧き上がってくる。
ハイカーで賑わう大出山を背景に独り満開のミツマタを眺める贅沢に酔う。

やがて笹小屋ノ頭(780)の小ピークに至る。
北には菰釣山を中心とする甲相国境尾根の長大な稜線を望む。

椿丸へのルートはここで東に折れるのだが、西に気になる場所があるので寄り道していく事にした。
西側のなだらかなヤセ尾根をずっと辿っていくと、地図では等高線の間隔が大きく開いた、ほぼ平らと思われる自然林の広場のような地形が読み取れる。

尾根を辿っていくと、そこは予想以上に明るく開け、ビバークに最適と思える気持ちの良い平地になっていた。

再び笹小屋ノ頭まで引き返し、ルートに復帰する。



2、ピーク群を越えて椿丸へ

鞍部を経ての登り返しでは古い横木階段が現れ、やがてピークに至る。

少し先の小クマ沢ノ頭(795)を確認しに行くと、南に向けて下る仕事道があった。再びルートに戻って北に向かう。

杉林を抜け、その後は左に植林帯、右に自然林を見ながらルート明瞭な一本道をひたすら歩くのみだ。

芽吹き始めた樹間から覗く青空を見上げ、静かに頬を撫でる風を慈しみ、小鳥の囀りに耳を傾けながら歩む山道。
誰にも会わない独り旅に心身の充足を感じながら一歩一歩を大切に歩く。

長い登りをこなしていくと、突然 目の前に黄土色の巨大な池が出現して面喰らった。
いや、池のように眩しく反射する光景が目に飛び込んできたと言うべきか。

昨年は、ここは広大な窪地に一面カヤトが広がる場所だった。
確かめようと近づいてみると、カヤトは季節的なものなのか勢いが無いが、茶黄色の広大な草原になっている。
陽光で反射して、まるで輝く泥の池のように見えたのだった。

ここからの展望はとても良い。
北に甲相国境尾根、東には西丹沢の主だった山々が連なり、その向こうには遠く丹沢主稜の山々をも望む事ができる。

クマ沢ノ頭(838)に寄り道してから戻り、植林帯と自然林の界尾根を西に歩き続けると、北と東の展望が大きく開けた椿丸(902)山頂に至る。

時刻は13時半。
あちこちに寄り道した為か、取り付きから4時間もかかっている。
ちなみに、西丹沢登山詳細図によると椿丸までの参考コースタイムは2時間半だ。

ここは尾根上のなだらかなピークに過ぎず、木に掛けられた手製標識が無ければ山頂とは気付かない。
しかし西丹沢の中では標高1000mに満たない山からの展望としてはここは指折りの良さだと思われる。

ザックを下ろし、昼休憩とする。
山に入ってからここまで、誰にも出会わなかった。
昼御飯を買ってくるのを忘れたので魚肉ソーセージを食べながら丹沢山塊の展望を眺める。

名前を失念してしまったが、茶黒斑の蝶が目の前にひらひらと飛んできて、傍らに置いてあるザックに止まった。
ザックに花の香りでもついているのだろうか、近づいて写真を撮っても至近距離で声をかけても蝶は熱心にザックのショルダーの上を行き来している。

やがてダニ対策のスプレーが吹き付けてあるザックカバーのほうに行こうとしたので、手で風を送って払った。
蝶はひらひらと舞い、やがて南の樹間に姿を消した。

越冬した蝶だろうか、それとも成蝶になったばかりなのだろうか。
蝶との出会いもまた、一期一会だ。



3、織戸峠

山神峠への分岐を見送り、織戸峠に向かう。
鹿柵に沿って小ピークに登りつき、北に下る。
鞍部を越すと、次第に大木が現れ始めて深山の様相となる。

椿丸までは杉・檜の人工林も多く、登山者や山仕事の人が入ってる痕跡があって踏み跡も明瞭だったが、織戸峠への道は一転して自然林が優勢となり、バリエーションルートらしい雰囲気だ。

途中で誤って東の尾根に引き込まれてしまったが、自然林の落ち葉の絨毯が気持ち良いので登り返しも苦にならない。

北に菰釣山を眺めながら尾根を下って行くと、14時半にようやく織戸峠に辿り着いた。

この辺りは上法行歩道・下法行歩道といった古道が横切っているとの事で、織戸峠は十字路となっていた。

昔の山渓 アルパインガイド(羽賀正太郎 昭和46年版)には中川温泉近くの上ノ原部落〜地蔵平〜二本杉峠〜富士見峠〜降戸峠(織戸峠)〜水ノ木の馬印に至るコースが紹介されている。 概ね、古道を辿っているようだ。

かつては水ノ木の馬印からさらに西に切通峠を越えて山中湖方面に至る道が、南には峰坂峠を越えて駿河小山に下りる道があったという。

かつてはこの西丹沢の山間部に四通八達した峠路が甲相駿の三国を結び、交易の商人や様々な人生を背負った旅人が盛んに往来していたのだろう。

山と渓谷 第98号(昭和21年)には「世附川流域の峠」という鈴木経一氏による紀行があり、氏はこの織戸峠について「付近の峠中、最も旅情豊かなところと云えよう。静かに味わうべき峠であり、追憶に耽るにはふさわしい境地である。」と記している。

「オリト」は地形語で「坂を下りたところ」を示すといい、北の甲州 道志村から菰釣山を越えて大栂から降りてきたところ、の意から「降戸峠」あるいは「折戸峠」とも表記されたが、現在は「織戸峠」に落ち着いている。

かつては笹藪が繁茂していたとの事だが、近年の西丹沢におけるスズタケの急速な衰退はここにも及んでおり、ヤブに触れるような場面は全くなかった。

40年前にはこの峠にベンチが2つあったそうだが、今は跡形も無い。

峠には春の午後の物憂げな斜陽が柔らかな陽射しを落とし、まだ葉をつけていない木々の梢をただ静かに風が吹き抜けていく。
新緑や晩秋の頃にまた訪ねてみたい峠だ。



4、法行沢林道

富士見峠に向かう道の誘惑を断ち切り、椿丸まで引き返し、さらに少し戻って東の法行沢林道への最短距離となるルートを下る。

赤テープ標旗はあるが、RFを慎重にしながら下る。
やがて法行沢林道の終点に下り立つ。

ここからはもう林道を下るだけ、と気を抜いたのも束の間、もはや林道とは名ばかりの、痛々しいほどの崩落の連続に驚かされる。
近年 繰り返し西丹沢の世附を襲った集中豪雨の影響は凄まじく、わずか20年余り前に延伸されたばかりの林道は復旧が困難に思えるほどの惨状だった。

やがて道が法行沢に沿うようになると、眼下の美しい渓相に目を奪われる。
世附の沢は総じて登攀困難な滝が少ない癒し系のナメ沢だというが、それはこの法行沢にも当てはまるようだ。

やがて15時半、法行沢林道の起点に至り、大又沢林道に合流する。

法行橋の袂には確か、昔この辺りで殺害された測量技師の墓碑があったという情報を記憶しているが… 橋から下りて少し探してみたが、見当たらなかった。

自分が記憶している「測量技師と愛犬の話」というのは以下の内容だ。

昔、電力事業に関する測量で儲けた測量技師がいた。
いつもお金を肌身離さず持ち歩いていたが、雨が降りしきる夜に施設の見回りを終え、帰宅する途中で法行沢付近にて暴漢に襲われて命を絶たれた。
遺体は世附川から本流の中川へ、さらに下流の酒匂川にまで流されたが、遺体が発見された時、川沿いをずっと走って追いかけたらしい彼の愛犬がそばに寄り添っていたという。



5、夕闇の丹沢湖へ

大又沢林道を下り、暮色迫る浅瀬橋に到着したのは17時半。
結局、山に入ってから下山まで誰にも会わない独り旅となった。

ここからは県道を一路、ひたすら丹沢湖バス停まで歩く。

日中は曇りで夕方以降は雨との予報だったが、幸い日中は好天に恵まれ、日没を迎えてすっかり暗くなった丹沢湖畔の空の雲間には星が瞬いている。

19時、西丹沢自然教室から下りてきた最終バスには誰も乗っていなかった。
山間に降りた闇の帷を一身に背負ったバスは、窓外に次々と影絵のような山々の姿を浮かべながら山麓の街へと下りていく。


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