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2016年04月04日17:57

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閔子騫の親孝行

孔子の門人で顔回と並び称せられた閔子騫(びんしけん)の親孝行ぶりは有名で、説苑(ぜいえん)にこんな話が載っています。

閔子騫は二人兄弟でありましたが、その母親が早死にしたので、その父親が再婚し、そして継母に二人の兄弟が生まれました。継母は自分の生んだ子どもだけをかわいがって、閔子騫につらくたりました。

冬のある日、彼は父のために馬車をすすめていましたが、寒さのため、手の感覚を失って手綱を取り落としてしまいました。

それで父が彼の着物に気をつけてみると、彼は非常に薄い着物を着ていました。父親は帰って後妻の子どもを呼んで、その着物を見ると、彼らは非常に温かいものを着ていました。

そこで父親は後妻に、
「私がおまえを娶(めと)ったのは、子どものためであった。それだのにこれは何だ。お前のような人間はいなくてもよいから出て行け」と離縁しようとしました。

そのとき、閔子騫は進み出て「お母さまがいらっしゃれば、一人の子どもが寒い目をするだけです。ところがお母さまが行っておしまいになったら、四人の子どもが寒い目をせねばなりません」と言ったのです。

これを聞いて父親も黙ってしまいました。それで世間では「孝なるかな、閔子騫、一言にしてその母還り、再言して三子温かなり」と言いました。すなわち「閔子騫は何と親孝行ではないか、彼の言葉で母親は離縁にならずにもとにかえり、三人の子どもがあたたかい着物を着て、あたたかい家庭となった」と言いました。

以上、村岡満義「私と論語300選」より。



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