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2016年04月04日13:53

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カマキリハンドルの歴史

この自転車の改造の直接の先祖は、80年代ごろの暴走族のオートバイ改造でよく見られた「絞り」ハンドルから来ている。
そういう意味も含めて北関東における若者文化が現代で言うトコロのヤンキー、もう少し旧い時代からのつっぱり文化の潮流に属しているコトが読み取れる。

暴走行為を含む若者文化は世相や社会構造を反映している。そういう意味で東京などの都市圏でもかつては自動車や自動二輪車を保有することが格好良さにつながっていた時代はあった。
しかし、解消しない渋滞や公共交通機関の充実により…そして何より若者の生活資金の低下が取り締まりの強化より的確に彼らから車やバイクを奪い、それらを基盤とした文化を破壊した。

このカタチのハンドルが彼らにとって格好良かったのは、彼らの文化の中でそういう閉鎖された美意識があるからに他ならない。
若者言葉や服装や色使い、生活習慣や食べ物、或いは非行の種類までそれぞれ彼ら独自の内的な価値観に基づいていたのである。
このジャンルはワシがデザインの仕事から関連して研究し続けてきたものである。とは言うモノの仕事にはほぼ役に立たないので趣味の域を出ることは無かったが。(-_-)
こうした若者文化を文化人類学的、或いは民俗学的見地から観察している人は他にも多い。
ワシのは至って実用的で、閉鎖されたデザイン指向がどういう方向性を持ち得るかという部分だった。

しかし必ずカタチ…すなわちデザインにはなにがしかの意味が存在している。デザインとは言葉の意味として「意味を取り出す」ものなのである。
とは言え、このカマキリハンドル、そしてその先祖と考えられる絞りハンドルはいかなる機能を有しているか。
ひとつにはプレスライダーの存在がある。大型バイクを仕事で使う職業の中で記者が撮ったフィルムや原稿を大急ぎで新聞社へ運ぶ…雇用形態はよく判らないがフリーの人間も多かったと思う。
彼らが渋滞する車の間を走り抜ける時に邪魔だったのでハンドルを手前に絞っていたのである。

大型バイクは車検があるから、自転車と違って明らかに整備不良となり違法である。
そういう違法性もいい感じの味付けとなって、彼らのあこがれとなったワケだ。
しかしレース的な乗り方という観点では絞りハンドルではアップライトな姿勢を崩せず、高速運転には不向きだ。あくまで狭いところを抜けるという意味しかない。
レース…モータースポーツ的なものもまたあこがれの対象ではあったが、そこにはそこに集まるレース好きの若者の別の文化がすでに存在しているため、彼らのアイデンティティの確立のためには「あえて」機能的でないものを選ぶ必要があった。

この「あえて馬鹿なコトをする」と言う部分は彼らの文化の本質に近いモノがあって、彼らの文化の喜びや悲しみ、それらを内包する薄氷の如く危うい根幹をなしている。
そうした文化はすぐに壊れてしまったり、自然消滅したり別な文化に取り込まれてしまったりするのだが、居場所のない若者達によって再生するのも早い。
長年、そういう文化を注目してきて思うのは、それら文化は継承されているワケではないのではないかという点だ。部分的な模倣により継承されているように見えるだけのようにも思えるのである。
ここで劣化コピーという言葉は使わない。
再生されるたびに新たな可能性を花開かせる、若いエネルギーを感じさせてくれるからである。

大型バイクの絞りハンドルは本当に危険だったから、熟練したプレスライダーでは無い運転技術の未熟な若者が扱うのは無理があり、自転車で継承されているのは平和でいいかもしれない。
また北関東文化圏では自転車のサドルをいっぱいに下げて乗らないと格好悪いという感覚がある。あれだとスピードは出ないし、足もつきやすいからそんなに危なくないんではないか。むろん普通のハンドルの方がより安全だが…

なお、カマキリハンドルの先祖としては絞りハンドルの他、チョッパーなどに見られたイーグル、ロボットと言われるタイプのモノなども名称の混乱などもあって混沌としてはいるが関係性をうかがうことができる。


■北関東でお馴染み?「鬼ハンドル」「カマキリハンドル」改造自転車は違法なのか
(弁護士ドットコム - 04月04日 10:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=3930012
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