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2016年03月28日12:06

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AIのつくる未来とは

知性は身体性をもってその根幹となしているが故に肉体によらない純粋知性というのは、人間やその他の生物が持つそれと大きく異なる概念となる。
身体があってはじめて環境との相互作用があり得、またその発展形としての社会性であり、その観察による分析が意味をなす。

そういう意味で、早々に過激思想に簡単に染まる愚かなガキや鼻も無いくせに花粉症にかかったりするというカタチが出てきたのは極めて皮肉な結果で面白い。
そのありもしない身体性を偽装しすぎた結果ともいえる。w

しかし、いまAIが目指そうとしているのは知性のように振る舞うことの出来るプログラムにすぎない。人のまねをしているのは単なる実験でそれは必要とされているものではない。
チェスや囲碁のAIがある程度の成果をなしているように各分野において一定の能力を有するAIは続々と出てくるだろうと思われる。

いわばそれらは高性能なツールに過ぎないとも言える。例えば車のレースで高性能な車は同じレベルのドライバーを勝利に導くが、素人をチャンピオンにしたりはできない。
そういう意味で人はより高度な操作をできるようにならなきゃならないわけだ。(-_-)
かつて仕事では長年の経験と、実地で得た知識が重要でそれらを賢く利用できる者が仕事の能力が高いとされたワケだけれども、そういう部分にさえ機械的なサポートが入るようになったと言う感じかな…
同様に経済的に見ても、AIを搭載するツールによって得られた成果はそれを用いる人間と、そのシステム資本の所有者にもたらされることになる。

そういう意味で、AIによって仕事を奪われてしまうのでは無いかという危惧はある意味正しく、ある意味正しくない。
職を失うのは、あくまで高機能なツールを自由に使いこなし、特定の人々の生産性が高くなった結果としてやる仕事が無くなるということに過ぎない。
それはそういうツールが在ろうが無かろうが今までもずっとあったコトだし、どこからどこまでと区切って考えられるものでもないだろう。

むしろ真剣に危惧しなければならないのは、重大な事故が発生したときに誰も責任をとらずにAIの不調などというカタチで責任転嫁するのに利用されるのでは無いかという点だ。
そういう意味において、判断システムがいかに高度になったとしてもどのような条件下でどのような判断が下されるかと言うコトを明確化しなければならないし、AIの判断が常に製造者、使用者の責任の下にあるようにしないといけない。

米MSの人工知能「Tay」が人種差別発言で暴走していたころ、日本MSの人工知能「りんな」は……
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3917822
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