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2016年02月16日16:03

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2-13 初の奥多摩は大岳山へ

2016年2月13日(土)

奥多摩

海沢林道終点→三ツ釜の滝・ネジレの滝・大滝→鍋割山(1084)→大岳山(1266)→
海沢探勝路

(画像は、
海沢大滝、大岳山 遠望、山頂から丹沢山塊 方面展望)


0、いざ初めての奥多摩へ

例えばファミレスでグランドメニューを開くとあれこれ目移りしてなかなか選べない性格で、奥多摩もどこの山のどのルートから登れば良いものやら頭を悩ませ続け、結局 歩かずにきてしまった。

しかしこの度、奥多摩の熟達者にして人生の大先輩でもあるマイミクの「ゆみゆみ父さん」さんからお誘いいただき、奥多摩デビューに付き合ってくださる事になった。

キーワードは「大岳山・海沢」で、詳しいルートは敢えてお聞きせず、一応 大岳山について概略を調べて当日を迎えた。

奥多摩南東部に位置し、いわゆる「奥多摩三山」の一つに数えられる大岳山。
その特徴的な山頂の形からかつては「武蔵の鍋冠山」として親しまれ、遠く房総の海をゆく船からも恰好の目印になっていたという。
頂上からの展望は広闊雄大で、奥多摩の中でも最も多くの人を迎える山の一つだそうだ。

だが調べてみたところで、とにかく奥多摩を歩いた事が一度も無いので何ら実感が伴わない。
結局 何もわからないまま、車でピックアップして下さるJR 日野駅に向かう。

約束の7時半少し前、事前に聞いていた車を見つけ、ナンバーを確認して中を覗きこむ。

mixi日記では何度もコメントしあい、奥多摩行きが決まってからはメールでもやりとりしていたが初対面だ。
気さくで明るい人柄の方だろうと想像していたが、話してみるとイメージ通りの方で安心する。(以下、Kさんとお呼びする)

見回した限り日野は平地であり、山は市街の建物に遮られて見えない。
車は山についての会話を乗せて見通しの良い平地をひた走り、多摩川沿いの丘陵が尽きる頃に前方に目を転じれば、奥多摩の山々が次第に大きくなってくる。

不覚にも地図を忘れたので現在地がさっぱりわからないが、かの有名な吉野梅郷の看板を目にし、青梅街道に入って山間の雰囲気が増してくると、いよいよ奥多摩に来たという実感が湧いてきた。
道路脇には古い民家が時折見える。
帰りに気付いた事だが、青梅街道に沿うようにすぐ上を青梅線が走っていた。

橋を渡って街道を外れ、海沢林道に入ると間もなく左にアメリカキャンプ村を見る。
さらにいよいよ谷間深く分け入ると林道は荒削りな岩壁沿いの道となる。

林道というのはどこもそうだが、よくこんなところに道を切り開いたものだと驚く。

林道終点で車を降り、休憩舎で山仕度をする。
山の北側の為か雪がだいぶ残っており、最初からチェーンアイゼンを装着した。

Kさんが用意してきて下さった電子国土webの地形図であらためてルートを確認し、出発。


1、鍋割山西尾根VR

歩き始めてすぐに、三ツ釜の滝を見る。
正面から眺めると三段の滝になっているが上から見るともう一つ滝がある。

ネジレの滝も近い。滝は小さいが上段と下段がねじれているように見えるのが名前の由来らしい。
滝そのものよりも岩の張り出しが印象的で、水流はただ岩の配置に従うのみであり、滝は岩が織り成す造形なのだ、と実感する。

続いて、海沢大滝へ。
やや奥まった位置にあり、大滝の名に相応しい流麗な水流と碧い釜が美しい。
釜は浅く見えるが実際にはかなり深いようだ。滝が産み出すそよ風が心地よい。

少し戻り、右岸の斜面に取り付いて最初からバリエーションルートとなる。
植林帯なので仕事道はあるはずだが雪に埋もれて見えず、直登する。
地図では尾根だが実際には急な斜面であり、どんどん高度を稼いでいくのが実感できる。
時折 立ち止まると聴こえるのは鳥の囀ずりと遠い飛行機の音だけで、とても静かだ。

やがて傾斜が緩むと雪は疎らとなり、辺りが明るい自然林となって漸く登りついた小ピークからは、南には目指す大岳山方面の稜線が、北には奥多摩湖方面の山々が見える。

ここは陽当たりが良く雪は無かったが、鞍部に向けて少し下るとまた雪が現れ、再び植林帯の急登となる。
前方にはハギ尾根が長く伸びているのが見える。

やがて尾根に乗ると東にこんもりとした顕著なピークが見えたのでKさんに尋ねると御岳山 奥の院だという事だ。

ここから僅かな距離で鍋割山(1084)山頂に至るが、北側は植林帯で展望は無く、標識が無ければ山頂とは気付かない。


2、大岳山北面

ここで二度目の休憩となる。
Kさんは今日は本調子ではない様子で、口数も少なくなってきた。
南に伸びる尾根道の先に目指す大岳山の稜線が見える。

この後、暫くは幾つかの小さいピークを巻くように付けられたほぼ平坦な登山道を南進する。
植林帯が切れると前方には波打つような形状が特徴の尾根が見え、Kさんに聞くと馬頭刈尾根だそうだ。

天気予報では曇りで南風が強まるとの事だったが、稜線に出ても風はほとんど無く穏やかな気候で、やや霞んではいるが青空に恵まれている。

誰もいない静かな登山道を進み、いよいよ大岳神社への登りに差し掛かるのかな、という辺りでKさんが「こっちに入ってもらいます」と指差す方向を見て、驚いた。
雪が積もった北側の斜面は上部を見上げると次第にせり上がり、岩場になっている。
一方、下は疎林の谷だ。
一般的にはまず行こうとは思わないであろうルートへ、Kさんは事も無げに足を踏み入れていく。

Kさんは体調が悪そうなので自分が先行して雪の中に道を付けるべきかと思うが、ルートについては勝手知ったるKさんに従うのみなので自分は後についていく。

登山道を歩く人から見れば、明らかに道間違いをしたかに見える我々二人の姿に唖然とするだろう、と気になって何度も振り返るが、登山道に人影は無い。

北斜面とはいえ気温が高いので雪はゆるんでおり、膝下を押し出せば抵抗無く順調に進む。
やがて張り出した大岩の下を巻いて小尾根に乗ると、岩には横に大きく枝を広げた松が根を張っていた。
この辺りでKさんは以前カモシカに遭遇したそうで、なるほどカモシカにとっては居心地の良さそうな場所だ。

ここから再び北面のトラバースに入り、疎林の中をひたすら大岳山 目指して進む。雪に映える青空が眩しく、二本の飛行機雲が長く伸びている。

やがて尾根に乗るがそこは登山道ではなく、登山道は南側の斜面下にあるそうだ。
大岳神社の北側にあたる尾根を進むと「この上が山頂です。先にどうぞ。」というKさんのお言葉があり、スパートをかけて登るとひょっこり山頂直下に飛び出した。

Kさんを待っていると、5、6人の若者グループがちょうど下っていくところだった。
間もなく、Kさんと共に大岳山(1266)山頂に至る。

南と西の展望が大きく開け、富士山は雲に隠れてしまっているが、高尾・陣馬の向こうに丹沢山塊が大きく見える。

北から間近に丹沢山塊を眺めるのは初めてで、その堂々たる山並みを望む事ができて満足する。

Kさんは疲労困憊の様子で、聞いてみるとここ数日 満足に炭水化物を摂っていないとの事。本格的な体調不良ではなくエネルギー不足が原因とはっきりして少しホッとする。

昼休憩40分間のうちに山頂で見かけた人数は10人程と意外にも少なく、静かだった。

山頂は風も無く暖かで、春を思わせる気候だ。


3、海沢探勝路
〜遭難救助隊に遭遇〜

休憩で元気を取り戻したKさんに続き 西へ下ると間もなく海沢探勝路への分岐となり、北に向けて尾根を下る。
ここは山と高原地図では破線ルートだが、明瞭なトレースがついている。

やはり北面には50cm程度の積雪があるが歩きやすい。そのまま尾根道が続くのかと思いきや、通せんぼするような道標に従って左に折れ、緩やかな擂り鉢状になった谷の急斜面をつづら折りに下りていく。

やがて木材搬出用のモノレール軌道を右上に、古い石積みに守られたワサビ田を左下に見て沢の右岸を進み、細い流れを徒渉して左岸に移って小尾根を乗り越えていく。

この辺りから、どうも上空が騒がしい。
ヘリの音が鳴り止まないので、何機もの編隊が通過していくのかと思いながら度々見上げると、どうやら同じヘリが大きな楕円を描いて旋回しているとわかった。

遭難救助のヘリかもしれない、とKさんと話していると、下からオレンジ色の服を着てヘルメットをかぶった二人が登ってきた。

「Nさんですか?」と聞かれたので、どうやらこのすぐ近くから救助要請があったらしい。
Kさんが隊員に尋ねると、「鋸山から大岳山に向かう途中に道迷い発生」との事。

その後も次々に隊員とすれ違う。
現場は近く、海沢探勝路の一本 西側の尾根のようなので、すぐそばに登山道はあるのだが道に迷った焦りで慌てて救助要請したのだろうか。

救助隊の編成を後から振り返ると、先発の2名がまず現場に向かい、無線で連絡を取り合いながら4名で構成される小隊が距離を置いて続き、この時は4つの小隊がいたのでヘリ要員や麓での待機2名を入れて約20人の出動だったようだ。

皆 精悍な顔つきの屈強な男たちで、海沢林道終点には彼らが乗ってきた何台もの緊急車両があった。

Kさんの車が出る隙間は無く、緊急車両の鍵を持った隊員は出動中なので戻ってくるまで暫く待たされる事になった。

やがて、救助要請をした本人らしい若い男性が警察の車に入れられて事情聴取されている様子が見え、連れの女性の物らしい小さなザックを背負った隊員が下りてきた。
連れの女性の姿はまだ見えず、やがて隊員が続々と戻ってくると、現場責任者の隊長が車の窓越しに「お待たせしてすみませんでした!」とKさんと自分に声をかける。

今回は道迷い遭難者は登山口に近い場所で速やかに救助され、救助隊にとっても短時間の活動で済んだ比較的軽微な事案だったのだろう。

しかし自分はその物々しい陣容を見て、やはり安易な救助要請は許されず、自力下山が鉄則だと強く感じた。
身動きができない重傷を負った場合はやむを得ないが、単なる道迷いならなんとしても自力で下山しなければなるまい。

文字通り、他山の石としたい出来事だった。


4、Kさんに感謝!

車で待つ間、Kさんが図書館で借りてきた明治40年の奥多摩・高尾陣馬・道志などの広域地図を見せてくださった。
大変興味深い物で隈無くコピーを取りたいほどだったが、頼み込んで借りてきた物のようなので自分は我が儘は言えない。

また、御自身の山行ファイルの地図も見せてくださった。
今回の海沢周辺など大岳山北面に限ってみても、Kさんはあらゆる尾根を踏破していらっしゃるのがわかる。

あらためて感じたのは、Kさんがバリエーションルート好きで静山派の自分の為に、御自身が知悉しておられる山域から厳選したルートを設定してくださった事だ。
地図も用意していただいた上に、山行中には周辺の地理を詳しく教えてくださった。
その御厚意にひたすら感謝感激である。

帰りの車では、Kさんの人生経験の話も色々としてくださった。
持つべきものは友、とよく言われるが、やはり聞くべきは人生の先輩の言葉である、と感じた。

あらためて感謝の言葉を述べ、再会を約して日野駅で降りると、生暖かい南風がやや強く吹きはじめている。

翌日にかけて全国的に春の嵐が予想され、関東でも春一番が吹く可能性があるそうだ。

ホームに上がると、暮れなずむ街にはもう明かりが灯り始めていた。

初めての奥多摩への追憶を胸に、東京行きの電車に乗り込む。


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