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2016年02月14日22:42

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今日の『真田丸』

信長亡き後の大混乱が、よく描かれていました。

前の「軍師官兵衛」の時にも書きましたが、我われ視聴者は歴史を知っていて、つまり物語の中の人物にとっては「未来」を知っている目で見ているわけです。
ところが、当の本人たちにとって、物語の中でも現実の歴史でも、とにかく一寸先は見えないのです。
たとえば昌幸が「先が読めんぞ!」と叫んでいましたが、当時の人たちにとっては全くその通りなんでしょう。
まさか光秀を討つのが秀吉だなんて、その秀吉が数年後には関白になって君臨するなんて、思いもよらないことだったでしょう。
我われ「未来人」から見ればちょっともどかしくもあり、また彼らがどう行動してわれわれの知っている歴史を作って行くか、その過程を見るというおもしろさがありますね。

そういえば、昌幸の妻の薫とその子の信繁の母子を演じている高畑と堺は、「篤姫」でも母子だったんですよね。
今頃気づきました。

今日感じたのは、信長は確かにものすごい天才で、盤石の織田家を築きあげましたけれど、その信長が死ぬや一気に織田家はがたがたで、見る影もなくなってしまいます。
前に「プロ」と「ベテラン」の違いについて論じた話を聞いたことがあります。
何でも仕事をこなし、他の追従を許さないようなトップレベルの人を「ベテラン」というけれど、「ベテラン」はひとたびその人に事故があって急にいなくなったりしたら代わりになれる人がいなくてその仕事はがたがたになってしまう。
それに対して「プロ」は自分がその仕事の頂点に立つだけでなく、いつ自分が突然いなくなっても何ら支障のないようなシステムをしっかりと築き上げている人のことだというのです。
そういう意味では信長も秀吉も「ベテラン」ではあったけれども「プロ」ではなかったようですね。
家康こそが「プロ」であったということになります。

今回、「素っ破」というのが出てきましたけれど、素っ破とはいわゆる忍者という意味と、野盗の類という意味とあります。
忍者といっても黒装束で手裏剣をシュッシュと投げてドロンとするああいう忍者ではなく、もともとは盗賊とかであったものを大名が召し抱えて、諜報部員のような役目をさせる場合です。
誰それの秘密を「素っ破抜く」という語の語源ともなっているようです。

ところで、やっぱ松は生きていた。
たぶん生きているだろうと思っていました。
その根拠は、先週の予告編で松が死んだと思わせるセリフのシーンが出たからです。
もし本当に今日、松が死ぬのならそのようなネタばれになるようなシーンを予告編に使わないと思うのです。
松は死んだように思わせて実は死んでいないというサプライズがあるため、わざと先週の予告編で松が死んだと思わせるシーンを流したのでしょう。
だから、松は死んでいないぞと思っていたら、やっぱ生きてましたね。
もっとも、私が知らなかったからサプライズになりましたけれど、調べれば松は江戸時代初期まで生きて65歳で死んでいるということはすぐに分かりましたから、これもそういう歴史を知っている人にはサプライズにはならなかったでしょう。

これからドラマは、秀吉の時代に入って行くことになりましょう。

『真田丸』 王道の大河ドラマはこうだという懐かしさ感じる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3850844
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