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2016年02月10日10:48

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誤読ノート306  「死者に訊くことができたもっとも大事なこと」 「死者と生者の市」(李恢成、文藝春秋、1996年)

誤読ノート306  「死者に訊くことができたもっとも大事なこと」

「死者と生者の市」(李恢成、文藝春秋、1996年)

小説の中心舞台が1995年、出版が1996年。そのころ、ぼくは、在日韓国人の人権問題や韓国の民主化闘争に関わる集会によく出かけていたので、この本に出てくるそうしたことがらを少しは聞きかじっていた。

同じ時期、友人になった韓国人留学生が「アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯」 (岩波文庫)をくれて、胸を躍らせながら、頁をめくった。その著者のキム・サン、ニム・ウェールズも、「死者と生者の市」の主要な登場人物だ。

この本は、たしか、韓国民主化闘争にも詳しい真鍋祐子さんの「自閉症者の魂の軌跡~東アジアの「余白」を生きる」で紹介されていて、知ったように思う。

主人公はおそらく著者の李恢成さん自身で、T・K生こと池明観さんをモデルにしたと思われる人物も登場する。詳しい人が読めば、かなり多くの実在のモデルを指摘できるのではなかろうか。

在日韓国人、在日朝鮮人、朝鮮半島以外の世界の各地に住む朝鮮人、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、朝鮮籍(これは単純に朝鮮民主主義人民共和国籍ということではない歴史背景がある)といった多様な状況についての著者の思索も大きく展開されているが、ここでは、「しかし、『在日』は外される。宙に浮く。既成組織を出た『左』の人間には所属すべき場所がないのだ」という一節だけを引いておこう。

もうひとつのテーマは「死者」である。真鍋さんもそういう文脈でこの本に言及していたような気がする。それから、ぼく自身、ここ数年、若松英輔さんの著作を通して、「死者」を考えてきた。それがなければ、この本の味わいはもっと浅いものになったかも知れない。

「今やっと民主化の時代を迎えたけれど、かつて軍政時代に血を流して戦いにたおれていった人々のほとんどはまだ陽の目を見ていないのです」(p.37)。

主人公は、天安公園墓地と光州市の望月洞のふたつの墓所に出かけなければならないと心に決めていた。「強いて言えば、死者のそばに行くことで自分の気持ちが安らぐという感覚があった」(p.94)。「向かいの山もまた段々畑の墓地。死者たちの憩いの場だった・・・排気ガスのない墓地の山。死者にはせめてものはなむけだ」(p.104)。「文錫は彼に会い、墓を抱きしめたかった。そして、この稀にみる清廉潔白な男、『頑固』な人物の墓前でなにかを詫びたかった」(p.117)。天安公園墓地のことだ。

「墓地に入ると、視界いっぱいに幾つもの碑がひろがってきた。秋陽を受けた黒っぽい碑石の上辺がにぶく光っている。なぜかそれが人間の頭部に見える。土の中で頭だけ出して一斉にこっちを見つめている光州の犠牲者たち。『五月英霊』と碑文にあった」(p.120)。望月洞。日本留学時代に知り合った光州の友人がぼくを案内してくれたところもここだと思う。

「死者や死にゆく者への優しさが欠けているのだ。彼らによってじつはこの国の名誉が辛うじて保たれていることに気づいていないのである」「死者や死にゆく者を大切にしない国が生者を大切にしているといえないのは逆理ではないか」「『生者』は『死者』が蓄積した遺産によって生かされているのだ」(p.146)。侵略戦争の肯定ではない。侵略戦争の主犯の賛美でもない。加担させられた者の神格化でもない。犠牲となり殺された人びと、不正義に抗い正義を打ちたてようとして殺された人びとのことだ。

主人公はこのように死者を感じ、死者を想わないではいられない。しかも、その死者は生きている。60年近く前に死んだ朝鮮人革命家、キム・サンが「黄塵の舞う平原のどこかから」「むっくり立ちあがり、こちらに近づいてくるように感じられ」(p.178)、もっとも聞きたかったことを聞くことができたのだ。

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