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2016年02月05日16:20

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1-31 冬の奥武蔵 ウノタワ 大持山 妻坂峠

2016年 1月31日(日)

名郷→山中・横倉林道終点→ウノタワ
→横倉山(1197)→大持山の肩→
大持山(1294)→妻坂峠→名郷

(画像は
ウノタワの幻想的なカラマツ林、
大持山の肩から南を望む、
青空に映える大持山の雨氷 )

(この日のフォトアルバムは近日中に載せます)

雪を求めて半年ぶりに奥武蔵を訪ねる。
この日は関東南部山沿いで珍しい「雨氷」が見られ、奥武蔵でも繊細な氷細工を纏った樹林の雪道を歩く静かな冬の山旅を満喫できた。



0、雪を求めて

先週に引き続き関東を南岸低気圧が通過したので山の雪化粧を期待したが、予報は外れて南部では概ね冷たい雨となった。
調べたところ、南部山沿いでは標高の高い雲取山でさえ雨の時間帯があり、積雪は2cm増えただけとの事。

ならば秩父はどうだ、と調べてみると秩父市の積雪量は7cmのままで増えてはいないが、Twitterで見つけた写真にはほんのりと雪化粧した秩父市街と幻想的な武甲山の姿があった。

その画像に心惹かれ、また、2週連続で東丹沢の歴史と信仰探訪と銘打って資料片手に山を歩いたので、気分転換も兼ねて奥武蔵を訪ねる事にした。

この辺りの山々は昨年 何度か歩いている。
初夏から夏にかけて武川岳・二子山、伊豆ヶ岳・古御岳、大持山・小持山、そして奥多摩 長沢背稜から伸びる秩父の熊倉山だ。

今回目指すのは妻坂峠越えと武甲山表参道だが、現地の状況次第で変更も有り得る。

始発に乗って池袋で乗り換え、西武池袋線で飯能駅に着いて駅前の吉野家で牛丼をかきこんだ。

驚いた事に、バス停で昨夏 毎回一番乗りで待っていた夫婦がこの日もいた。
必ず二つザックを並べて置き、二人とも買い出しに出かけるこの夫婦。

半年ぶりに来ても居るという事は、毎週必ず奥武蔵の山に登っているという事だろうか。

3番目に並ぶと、自分にザックの留守番をさせるかのように二人とも買い出しに出かけた。

やがて国際興業の「ヤマノススメ」ラッピングバスが到着すると10人くらいの登山者が乗り込む。

バスは暫く飯能の街を進み、やがて武蔵野の平地が尽きて丘陵と山が盛り上がってくるといよいよ「奥武蔵」の雰囲気となる。

山間部に入っても車窓からは雪はほとんど見えず、期待していた新雪は無いようだ。

奥武蔵の盟主 武甲山はまっさらな雪の中を訪ねたいので、今日は予定を変更する事にした。
西の奥に見える山の稜線には白く輝く雪が見える。

準備運動などしながらコースを考えていると、柴犬を連れた近所のお爺さんが登山者に話しかける姿が目に入った。
すると例の一番乗り夫婦の奥さんが自分から犬に近づき、大喜びの犬と親しげに触れ合っている。

その後 二人はまだ雪も無いのにアイゼンを装着し、舗装路をザクザクと踏み鳴らしながらいつも通り蕨山の登山口のほうへ歩いていった。



1、集落の神社、山の神、岩の神

周りにいた登山者が全員出発して誰もいなくなってから、自分も歩き出す。

入間川源流沿いの道に入り、少し進むと右手に石段と鳥居を見る。
上ってみると小さな神社があった。

道に戻って進むと大鳩園に至るが、夏場賑わっていた川原のキャンプサイトは一面 雪に覆われ、人影も無く静寂の底にある。

大場戸の分岐には石仏と石道標があるが風化して文字は読み取れない。
資料によると石道標は文政4年(1821年)のもので、「右 大みや 左 志らいわ」 と書かれているそうだ。
大みやとは秩父の事で、妻坂峠越えの秩父への道、志らいわは旧 白岩集落を指している。

石仏を見ていたら後続の単独男性が現れ、白岩への道に入っていった。
自分は右の山中林道に入る。

周囲は杉・檜の植林地で、道は山中入に沿ってつけられている。
旧 名栗村の一帯では沢の事を「入」と呼ぶようで、地図でも奥武蔵のこの山域の沢は「入」の表示になっている。

間もなく、何か異質な空気を感じて右の斜面に視線を走らせると、そこには古い石段があり、奥には石祠が鎮座していた。
石祠の傍らには御神木が2本 聳えている。

旧 名栗村は昔から良材として知られる「西川材」の生産地だ。
江戸時代、伐採された材木は筏に組まれて名栗川から入間川へ、そして荒川を下って材木問屋がある江戸 千住まで運ばれ、建材として重宝された。

西川材とは、江戸から見て「西から川で運ばれてくる材木」を指す言葉だ。
幕府の特別措置で年貢は免除され、村の財政は豊かだったという。

目の前の石祠は小さいながらも立派な造りで、木の恵みをもたらす山への感謝と祈りを表しているように思えた。

それにしてもこの辺り、大きな岩が多い。斜面にも沢にも目を奪われるような大岩がゴロゴロしている。
広く山域で言えば武甲山は山体が石灰岩の塊そのものだし、伊豆ヶ岳には男坂の岩場が、正丸峠付近には「カメ岩」など名前の付いた巨岩がある。

岩の種類は様々なのだろうが、露岩が多い山域と言えそうだ。
信仰の対象になってもおかしくないような岩がたくさんあるぞ…、と思いながら歩いているうちに再び何かの存在を感じて右斜面に目を向ける。
そのまま進むと、果たしてそこには苔蒸した石段と鳥居、そしてその奥には山の影と見紛うばかりの巨大な岩がどっしりと根を張っていた。

石段の両側に壁のような石積みが施され、信仰の厚さを感じる。苔で滑らないようにゆっくり上って鳥居をくぐると、視野を覆い尽くすかのように聳える巨岩の懐に小さな社が抱かれていた。

神前には少し古くなったみかん、餅、さらに瓶の酒が何本か供えられている。
このすぐ近くの「山中」という集落は既に無くなっているが、今でもこの社を訪れて参拝している人がいるようだ。
そういえば鳥居にも社殿にもまだ新しい紙垂が付けられている。
社にはそのいわれを示すようなものは何もなかったが、この巨岩への信仰を示しているのは明らかだ。
暫し佇んで社を見ていると、有るか無きかの微風に紙垂がひらひらとそよいでいた。

最近 山に纏わる信仰に関心があって意識しながら歩いているせいか、今回二度とも雰囲気で祠や社の存在に気付けたのはちょっとうれしかった。

林道に引き返そうと石段を下りはじめると、単独男性が顔も上げずに目の前の林道を歩いて行った。



2、伝説の「ウノタワ」へ

分岐で左に折れて横倉林道に入ると、雪が増え、急に歩きにくくなる。
それに加えて頭上の枝からは溶けた氷が雨のように降り注ぐ。
たまらず途中でレインウェアを着用し、ザックにもカバーをつけた。

折り返すように付けられた上り坂の林道をひたすら歩いて行くと道は横倉入(ナギノ入)の渓流沿いとなり、やがて林道の終点に至る。

ここがウノタワへの登山口だ。
何も考えずにこのコースを選んだが、あらためて地図を仔細に見てみると、初めは沢沿いに進み、その後 浅い谷沿いをトラバース気味に登っていくルートだとわかった。
しかし、地図では尾根を直登する事もできそうだ。

最初こそ横倉入(ナギノ入)沿いの登山道を忠実に辿るも、雪で道形は消えている。

左上の尾根を目指したらしい足跡の誘惑に負けて自分も斜面に取り付くがこれが失敗で、表面が固い雪を踏み抜いていちいち膝まで埋まる消耗戦。

ワカンでも持ってくればよかったと後悔したが、とにかく足跡を辿ろうとがんばる。
下から見上げると大して傾斜が無いように見えても実際には急斜面というのもよくあるパターンで、ここもその典型だった。

登山道を外れてショートカットを企んだ足跡の主の奮闘ぶりに苦笑しつつ、自分も悪戦苦闘。
東に見える武川岳(ホウキ平)の山容を時々眺めながら、ゆっくりと高度を稼いでいく。

木々には雨氷が付いており、まだ高度が低いので水になって垂れる音が四方八方から聴こえてくる。
雪の上に落ちてカラカラと音を立てるのは、枝から溶け落ちた氷だ。

やがて傾斜が緩んで一群の植林帯が見えてくると、ウノタワは近い。
前方から若い男女数人の声がして、立ち止まる。
出会いたくないので彼らが立ち去るまでの10分あまり、その場で小休止。
山で人に、特にグループに会うと心乱されるのでこうしてやり過ごす事はよくある。

雲間から時折 陽光がこぼれると、枝に付いた氷が煌めいて美しい。

やがて人声が遠ざかったので進んでいくと登山道に合流し、そこにはウノタワのいわれについての説明板があった。
その少し先が広い平地で、浅く緩やかな窪みが「ウノタワ」と呼ばれる場所だ。

山の上ではちょっと珍しいこの大きな平坦地の端は背の高いカラマツ林で、雰囲気が良い。
その細く直線的な樹型には凛とした気高さが漂う。
この日は木々が氷を纏っていたので、まるで北欧の冬景色のようだった。

昨夏 来た時には「晩秋の頃また訪ねよう」と思っていたので、まさか真冬に雪を踏んでここに立つとは、と感慨深い。

ウノタワの窪みも雪に埋まり、先程の若者たちのものらしい足跡以外には人が歩いた形跡も無くひっそりと静まりかえっている。

「ウノタワ」(鵜の田)の由来については不思議な伝説がある。

昔々ここに 十町四方の広さがある大きな池があり、鵜が何十羽も棲んでいた。
猟師たちの間では、鵜は池の主だから獲ってはならない、という禁忌があった。ところがある日、猟に来た浦山村 細久保の少年が一匹も獲物が獲れない事を悔しがり、鵜に向けて発砲してしまう。すると不思議な事に、大音響と共に池の水がすべて浦山側に流れ落ち、鵜も池も忽然と姿を消してしまったという。

この窪みに立つと、本当に昔 池があったような気がしてくるから不思議だ。



3、雪と氷の大持山へ

相変わらず踏み抜きはしんどいが、ひとまず稜線登山道がどういう状況なのか見に行く事にした。

登山道に出てみるとそれなりにトレースはあり、これまでの斜面よりは遥かに歩きやすい。
また、薄曇りで気温が低いので雪も締まっており、なにより木々に付いた氷の芸術が美しい。

ひとまず大持山までは歩いてみる事にした。
日曜日の昼過ぎだからある程度登山者の往来があるだろうと思っていたが、雪と氷に閉ざされて人影は無く、とても静かで良い。

時々 枝の氷を折り取って口に含み、贅沢な独り旅を楽しむ。

横倉山(1197)は朝 歩いた横倉入(ナギノ入)の源頭部であり、雪の付いた有間山稜、蕨山、棒ノ折山などの展望が良い。

この先で60代らしい男女混成5人組とすれ違う。
また、大持山の肩に向けた急登では上に人影が見えたが、登りきった時には立ち去った後だった。
妻坂峠への道を下っていく人達の話し声が風に乗って届く。
自分も後でそちらに下るつもりなので、トレースを明瞭にしてくれるのはありがたい。

この大持山の肩は、コース中 随一の展望地だ。
夏に来た時には先行の単独男性が陣取っていたので自分は気を遣い長居せずに立ち去ったが、今日は自分独りなのでゆっくりさせてもらう。

東と南の展望を遮るものは無く、伊豆ヶ岳や古御岳を中心に南北に列なる低山丘陵の向こうに遠く飯能市などの平野部市街地まで望む事ができる。

小雪が僅かに舞い始めたので少し先にある大持山の山頂を踏みに行く。

ここで単独男性とすれ違った。

大持山 山頂(1294)には誰もいない。
もともと展望は無く、一部刈り払われた西側に奥多摩西部の酉谷山方面が雲霧に霞んでいる。

この時、一時的に上空の雲が切れて青空が覗き、木々の氷化粧が青空を背景に眩しい輝きを見せてくれた。

気を良くしてここで昼休憩にしようとザックを下ろすと、北から男性が登ってくるのが見えた。2人、3人… おそらく武甲山から縦走してきたのだろう、息を弾ませながら次々と山頂に到着する。

彼らもここで休憩するようなので、自分は下ろしかけたザックを背負い直し、再び大持山の肩まで下って冷たいおにぎりを食べた。



4、妻坂峠

食事休憩もそこそこに、妻坂峠への道を下る。
ここは初めての道だが、防火帯のように歩きやすく なだらかな尾根道でとても快適だ。
植林地もあるが多くは自然林で明るく、想像していたより断然良い道だった。

次第に傾斜が急になり、峠に向けて高度を下げるにつれて前方には武川岳(ホウキ平)が大きく迫り、北に目を向ければ樹間に武甲山の後ろ姿が見える。

奥武蔵の盟主 武甲山は、北の秩父盆地から眺める姿は採掘で大きく削られながらも隆々と盛り上がっており、南の小持山辺りから見ても堂々たる姿だが、ここから見ると意外にも東に向けて傾いたようになだらかなカーブを描いている。

妻坂峠までに2人の単独男性を見かけた。

峠は思ったよりも広く、大持山と武川岳を結ぶ東西の稜線の鞍部と見れば峠らしい趣は全く無いが、南北に立つと古くから人の往来があった峠としての情趣を色濃く感じさせてくれる。
畠山重忠とその妻の伝説が残る峠だが、昔は「都麻坂」と記し、「つま」とは「端」の意を表すという。

北には武甲山と秩父盆地の端を望み、昔 、 名栗村の山間の谷から登って来て初めてこの峠に立った人は、ここからの景色に未知の土地への想いを乗せて声を上げた事だろう。

風化が進んでいる傍らの石仏は一里地蔵と呼ばれ、昔 追い剥ぎに襲われた老爺の供養の為に置かれたという。
文字は読み取れなかったが、資料によると江戸時代 延享3年(1747年)のものらしい。

暫く峠の雰囲気を味わいたかったが、後ろから雪を蹴散らして賑やかに下ってくる数人の人影を認め、自分は南の名栗の谷へと足早に下る。

薄暗い植林帯を道なりに下りていくと山中入の細い流れに沿うようになり、古い石積みにこの道の歴史を感じる。

雪が軟らかくなっても泥が混じる事は無く、快適な下りのまま林道に飛び出す。

あとはゆっくりと舗装林道を下るだけだ。
途中、杉・檜のまだ新しい切り株を幾つも見かけた。木の匂いが辺りに漂う生々しい伐採跡は、西川材いまだ健在の証だろうか。

他に下山者は誰もおらず、出会ったのは林道サイクリスト1人だけで、最後まで静かな山歩きとなった。

朝出発した名郷に下り着いたのは夕方4時半。
バスが来るまでの1時間はまず湯を沸かしてカップラーメンを啜り、次にカップスープを飲み、最後には瓶の日本酒を熱燗にしてチビリチビリやりながら待つ。

後続の登山者たちはいったいどこに下りたのだろうか、誰一人として名郷に下りて来なかったのは意外だった。

バスに乗り込む時、地元の男性に話しかけられた。
降雪直後、山の吹き溜まりでは70cm近く積もっていたとの事だ。
この日は吹き溜まりで50cm、尾根道は20〜30cmというところだろうか。

久しぶりの奥武蔵の山を満喫して帰路に就く。


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