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2016年02月01日14:02

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今回の『真田丸』

録画視聴で、今見ました。

やはり信忠は聡明な君主として描かれていますね。
本能寺の変で信長が死んでも、信忠さえ生き延びていれば織田家は引き続き安泰だったという人もいますが、うなずける気がします。
しかも、光秀は信忠をも討とうという意思はなかったのではないかということから、信忠は逃げようとすれば逃げられた状況にあったともいいます。
父は死んでも自分は生き延びて織田家を守ろうという志はなかったみたいですね。
やはり聡明な君主でも、父への依存心は高かったのでしょうか。
それだけ、父がすごすぎたんですね。

源次郎(信繁)と家康の初対面シーンは、多分にして後のこのドラマのクライマックスになるであろうはずの大坂の陣の伏線ですね。
真田昌幸のお芝居を見抜いた家康は、やはり真田よりも一枚上手だなと思いました。
しかし、昌幸の方がさらに一枚上手だった。
信長との面会前のシーンは、はらはらドキドキでした。

それでも家康はかなり頭が切れる。
そんな家康を信長が危険視しなかったというのは不思議です。
現状は同盟者として自分に従っているように見えるけれども、後々どう動くかわからない。
いやむしろ、危険視していたでしょう。
信長ほどの人物です。
光秀なんかよりももっともっと危ない人物として家康を見ていたはずです。
信長は、いつかは家康を殺そうと考えていたはずだと私は思います。

信長は当時、数え年で49歳。すなわち満47歳。本能寺の変の時は満48歳になったばかり。
やはり、57歳の吉田鋼太郎では年をとりすぎていて違和感半端ない。
しかも、例えば実年齢が上の人がずっと若い役を演じるとしても、ドラマが進行すればその登場人物が役者の実年齢になっていくというのなら仕方がないと思います。
例えば堺雅人さんは42歳で17歳の源次郎を演じていますが、このドラマの最後では49歳になるのですから、それはそれでいいと思います。
でも信長はもうこれ以上年をとらないのですから、年を食った役者にする必要はないはずですけどねえ。

本能寺の変はドラマとしてはオーソドックスな光秀怨恨説ですね。
ま、このドラマの場合本能寺の変の本質がどうでもよく、信長が死んだという事実だけが大事なのですから、いちばん手っ取り早い怨恨説にしたのでしょう。

もう一つ気になったのは、安土の町の町家の木材が古すぎる。
古いという感じを苦労して出しているオープンセットをそのまま使っているから仕方がないのでしょうけれど、安土の町はできてからまだ6年くらいしかたっていない新しい町なのです。
家の木材は少なくとも20年以上たってないとああはならないんじゃないかという気がしましたけれどね。

ということで、本能寺の変はあっけなく終わってしまいました。
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