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2016年01月27日00:11

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最近、考えたこと。Part0029

 さてと、話を続けますか。前回、「韓半島でチャイナ軍が撤退したって」ってとこまでいった。これで日本とその属領である半島南部は凶暴な騎馬民族「満州族」と直接境を接することになってしまったわけだ。ここから始まる半島をめぐる「日・満戦争」は1100年前に「最終決着」がつくまで断続的に実に600年間にわたって続く「長い・長い・ながーーーい」戦争になった(ToT)(ToT)(ToT)。これからその話をしよう。戦争開始直前の1700年前に極東に存在した6つの国家(もしくは部族制都市国家連合)は以下の通り


� �扶余王国        扶余系の本国、君主も国民も扶余族

�◆�高句麗王国       扶余王国から独立、君主は満州族、国民は扶余族と満州族が半々で漢族が少々

��、馬韓諸国        扶余系都市国家群、君主層は扶余族、国民の大部分は扶余族で漢族が少々

�ぁ∧朶攴�国        九州系都市国家群、君主層は日本人、国民は日本人と扶余族が半々

�ァ�辰韓諸国        出雲系都市国家群、君主層は日本人と漢族、国民は日本人と扶余族が半々で漢族が少々

�Α�大和国         現・日本国、当たり前だか君主も国民も日本人


だ。不幸中の幸いというか、直後に満州族が鮮卑(モンゴル系サビル人)族と遼河流域をめぐって争い始めてくれたので戦争はすぐには始まらなかった。ラッキーーー。今の白痴同然の「日本国民」とは違い、当時の日本人は「皆殺し戦争」終結直後で国家安全保障に関して頭が物凄くクリアだった。たとえ、何百年かかろうとも戦闘民族が一度決めた戦略目標を放棄することはありえないという事を皆良く知っていた。そして、戦争が不可避であることも・・・・・・。

 日本側はこの時間的余裕を使ってすぐ「体制固め」と「戦闘体制」の構築を急いだ。まずは、何といっても国内固めが先決である。すぐさま反抗を続ける熊襲国(現、熊本県)へ倭武尊(ヤマトタケルノミコト)が率いる官軍選りすぐりの精鋭部隊が向かった。美少女に化けて敵城に潜入し一挙に敵将を討ち取る「元祖忍者作戦」が行われたのはこのときの話。熊襲国の同盟国だった隼人族(現・鹿児島県西部)は熊襲国討滅をみてすぐ降伏してきた。ついで軍装も解かず倭武尊はそのまま東国へと向かった。各地の国造・県主に直接会いこれから行われる外征の必要性を訴え協力を要請し「体制固め」を行った。おそらく、倭武尊はそのまま官軍を改変して新編成された「国軍」を率いてそのまま半島へと出陣するつもりだったのだろう。だが、無理の連続がたたったのか出陣直前に倒れ崩御なされてしまう。1650年前あとを継いだ第十三代成務天皇は兄が新編成した国軍を韓半島に送り全面的な「軍事介入」に踏み切る。そのとき


「韓国」は建国されたのさ。


之を「三韓諸国」と呼ぶ。日本は侵攻した国軍を背景にゆるく結合していた3つの都市国家群を統一した軍事指揮権下に大胆に再編成した。最も大きな点は弁韓諸国を実質的に解体したことだろう。領土の7割を馬韓諸国に割譲し、残った3割を国軍が直接掌握し日本領に編入した。之が「任那日本府」だ。続いて辰韓諸国における漢族・金氏の支配を認める代わりに満州族との断交を要求した。金氏はこれを認め「新羅国」が建国された。直接、満州族高句麗王国に国境を接していた馬韓諸国にはもっと大胆で徹底した策がとられた。はっきり書くね。


日本は馬韓諸国を乗っ取った。


それまでの君主層をパージし日本人を直接、君主として送り込んだ。馬韓諸国への領土の割譲はこれへの償いであるに違いない。日本人を君主として馬韓諸国+弁韓諸国で「百済王国」が建国された。作戦は成功した。1630年前、百済王国軍は平壌へ侵攻し高句麗王国の故国原王を討ち取る大勝利を収める。同時に韓半島内の日系住民に対する日本列島への退避が勧告された。この時期から日本国内に多数の「帰化人」が現れるが大部分はこの勧告に従った日系住民だ。アホな赤学者が「渡来人」なんて呼んでるけど大笑い(^〇^)。かれらは半島で戦争が始まったので国内に帰ってきた混血を含む「引揚者」であり正しく「帰化人」だ。赤学者は「日本語」が理解できない。哀れな奴らだ、少し「国語」の勉強でもしてみたらどうだ(^〇^)?さて、1650年前に極東に存在した5つの国家は以下の通り


� �扶余王国        扶余系の本国、君主も国民も扶余族

�◆�高句麗王国       扶余王国から独立、君主は満州族、国民は扶余族と満州族が半々で漢族が少々

��、百済王国        旧馬韓諸国。君主は日本人、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ぁ⊃畦綛顱        ゝ戝ご攴�国。君主は漢族、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ァ�大和国         現・日本国、当たり前だか君主も国民も日本人


大分減ってきたね(-_-;)。生き残るのは結局、二つだけ。冷酷極まりない力だけが支配する国際条理における極東サバイバルゲーム。この過酷な試練を我らが父祖たちはどうやって生き延びてきたのか。その話はまた次回語ろう。



おまけにみくしー検索かけてみました。

 「百済王国」

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