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2016年01月18日19:24

2007 view

英国の夢 ラファエル前派展

Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の、“英国の夢 ラファエル前派展”に行きました。まさに、夢の国、ふわっふわな夢心地になれる美しい絵が沢山ありました。

今回は、リバプール国立美術館所蔵の作品展。
てっきりリバプール国立美術館って言う美術館があるのかと思ったら、そうではなく、リバプール近郊の7つの美術館・博物館の総称なんだそうです。リバプールは、造船、工業製品の輸入で栄えた街。そんな理由から、絵画が集まったりしたみたい。
今回は、前述の7つのうち、ウォーカーアートギャラリー、レディ・リーヴァーアートギャラリー、サドリーハウスという3つの美術館から出展された絵画コレクションだそうな。

ラファエル前派というのは、19世紀末に英国で起った美術運動です。完璧を目指すんじゃなくて、ラファエロ以前の素朴な絵画に戻ろうよ・・・そんな運動。だから、ラファエル前派という。ミレイ、ロセッティ、ハントが作ったラファエル前派は、やがて、象徴主義に姿を変え、ワッツやウォーターハウスに引き継がれていく。
ラファエル前派は一般大衆の好みを、激しい感覚や個人の抜き差しならぬ関係を扱った、切実なテーマの方向へ導こうとした・・と解説にあった。文学、宗教が主題のものが多いのは、ドラマティックだからなのかな?
芸術が想像の世界への逃避を許容することで生活をより豊かなものにする・・という理念もあったようだよ。この言葉、私好きだったな。“芸術が想像の世界への逃避を許容する”。ちょっと享楽的なイメージもあるかも知れないけれど、私がそこに感じるのは、やはり耽美さ。唯美から派生した耽美さなんだ。
そう思えてしまう辺り、私はやっぱり耽美馬鹿なのだと思う。

まず最初に、ジョン・エヴァレット・ミレイの『いにしえの夢−浅瀬を渡るイサンプラス卿』がお出迎え。何でも、ロイヤル・アカデミーで発表された時は、トム・タイラーの詩が添えられていたんだって。黒い馬の上。老騎士が手綱を持ち、2人の子供を馬上に乗せている。後ろにいる男の子は、背中に薪を背負っている。男の子は騎士の体にしがみついている。前には赤い服の少女。少女は老騎士を少し訝しげな表情で見つめているように見える。奥の2人の人物は修道女だろうか?山と木々も描かれている。
発表当初は、老騎士がどのように2人の子を自分の馬に乗せたかが記されていたらしい。良く見ると、馬がデカいんだ。巨大馬なの。わざとかと思ったら、何でも、ミレイは馬をデカく描き過ぎて、手直しに苦労したんだそうな。へぇ〜、ミレイでも失敗するんだ!凄く完璧に描きそうなイメージがあったから、ちょっと親しみが湧いた。まぁ、それでも、超上手い絵だケドな。

同じくミレイの『森の中のロザリンド』。小さな絵だったのですが、非常に良くて、私、この絵欲しかった!ロザリンドだから、モティーフは、シェークスピアの『お気に召すまま』って、すぐ分かるね(笑)。茶色の服。男装をしたロザリンドが銃剣(かな?)を持ち、木の根元に座っている。周りの苔むしている感じが物凄く丁寧に描かれている。小さい絵なのに、力入ってるなぁ。

またまたミレイ。『巣』。母親に抱きかかえられた白いドレスの少女。頭上の鳥の巣を、強い眼差しでじっと見つめている。白のドレスに薄水色のリボンが良く似合う。母親(なのかな?)の花柄の服も綺麗。
ところで、この少女。ミレイの『目覚め』 『眠り』の絵にも出て来たよね?お気に入りのモデルの女の子なのかな?それとも近所の子とかか?あれには、鳥籠が描いてあったよね。

またミレイ。『春 <林檎の花咲く頃>』。1856年。妻エフィーの家で暮らしていた時に、ミレイが描いたんだそうな。妻の妹などがモデルなんだって。絵にはそれぞれ、人物の幸・不幸が象徴的、暗示的に描かれている。
林檎の花咲く明るい庭。女性達が各々寛いでいる。寝そべったり、ミルク(かな?)を貰っていたり。ミルクの入った器を「はい。」って手渡そうとしてる女の子もいるが、その女の子は、ラファエル・コランのフロレアル(花月)の絵のようなポーズで、草をはみながら寝そべっている。髪の毛に花飾りをつけた少女もいる。とても幸せそうなのだが・・・。さきほどのフロレアルポーズの少女の上には、大鎌が描かれ、少女に向けて斬りつけてきそう・・・。何でもこの大鎌は、不吉の象徴なんだそうな。何で、こんな明るい絵に、不吉の象徴なんて描いた、ミレイ(^_^;)、
花の描写は流石に見事。人物より、何なら、花をずっと見てしまった。

同じくミレイ。いや、冒頭、ミレイの絵が、これでもか!って沢山あったのよ。私、ミレイ好きなので、嬉しかったが。
『ソルウェーの殉教者』。海の中に鎖で岩に縛られた桃色の服の女性がいる。彼女の顔はうつろな表情だ。彼女は、マーガレットという女性。16世紀に教会のヒエラルキーを拒絶し、溺死を宣告された。死刑宣告なんですね。彼女はこれから溺死させられるところなんだね。でも、彼女の服、16世紀っぽくない。ブラウスとスカートみたいで、現代風なんだよな・・・。わざとそうしたのかな?鈍色の空が不安感を煽る。

私の好きなシメオン・ソロモン。今回は1点しかなかった。『泉の少女』。水汲みに来たのか、水差しに水を入れてる少女なのだが、顔の表情は恍惚として、どこか心ここにあらずな感じ。何でも、この水差しと水って、ちょっと性的な意味があるらしい。なるほど!割れた水瓶が、実は処女喪失の暗喩・・ってのみたいな物だ。そう考えると、この何処か恍惚とした表情はエロティックにも見える。
もっとソロモンの絵、見たかったな・・・。いつか、ソロモン展やってくれないかな?

アントニー・オーガスタス・フレデリック・サンズ 『トロイアのヘレネ』。しかめっ面のヘレネ。ギロリと横睨みしている。トロイア戦争のお話ね。絶世の美女ヘレネは、トロイアの王子パリスに拉致されてしまう。このヘレネはその後、彼と不義を起こした後の姿らしい。だから、肝っ玉が据わった風になってるのかな?何でも、サンズは、この絵の主題の扱いの盗用を巡ってロセッティと争ったコトがあるんだと。赤い髪に白い服、血の色の首飾りをしたヘレネは妖艶にも見える。
サンズって、以前、メディアか何かの絵を見た時も、こんな表情だったのだが、サンズって、女性のしかめっ面の表情が好きだったんじゃないのか?と思えてならない(笑)。

ダニエル・マクリース 『祈りの後のマデライン』。“聖アグネス祭”。真夜中マデラインは服を脱いで寝る準備を始めている。真珠の髪飾りをはずし、結わいた髪の毛を解き、服も脱げかけたマデライン。しかし、クローゼットには、彼女の恋人のポーフィロが隠れている・・・それを彼女は知らない・・・そんな絵なんだそうだ。
中央に髪を解く美女。彼女の後ろに描かれた祭壇画も美しかった。手前にある楽器はリュートかな?クッションや祈祷書への光の当たり方が、また美しい・・・。全体的には薄闇の中で、落ち着いた感じもする。
この絵、大判のポストカードになっていたのですが、買ってくれば良かったかなぁ。図録買ったから、予算オーバーで、我慢しちゃったの・・・。

アーサー・ヒューズ 『聖杯を探すガラハット卿』。私が好きなアーサー・ヒューズの絵。ガラハットですから、アーサー王伝説ですね。アーサーが描く、アーサー王伝説(笑)。この人、アーサー王伝説の絵を良く描きません?
イングランド北部のカンバーランド地方を、この絵では描いているらしい。向かって左に、白馬に載ったガラハットの姿。剣を持ち、キッと前を見つめている。馬は少し疲れている様子にも見える。川や岩も描かれ、ここはどうやら荒地らしい・・・。頭上には3人の天使。香炉を振り、ガラハットを元気づけている。
THE物語絵!みたいな感じで大好きでした。でも、ポストカードなかった・・・・。欲しかったのに・・・。

次のテーマは、古代を描く。1859年にレイトンがイギリスへ帰国し、新たな絵画様式の幕開けになったそうな。1869年。ロイヤル・アカデミー展覧会で個展の主題を当代の芸術に取り入れる傾向が決定的になった。神話世界や古代世界(古代ギリシャ・ローマ)が好んで題材にされたようだ。ワッツ、ソロモン、ポインター、レイトンなどなどが、そんな絵を描く。中でも、アルマ=タデマは、自身が古代ローマで生活を送っているかのように想像させる作品を描いた。ワイルドは「考古学が始まるところ芸術は終焉する。」と言ったんだそうな。レイトンやムーアも同じ考えで、歴史的な根拠より、建築的、装飾的に描いたらしい。神話の主題は性的な含みがある主題を扱う機会を提供するものでもあったそうな。さしずめ、セクシー部門担当画題ですかね。なので、ちょっとデカダンで耽美になるよ。

ローレンス アルマ=タデマ 『バッカスの巫女(「彼がいるわ!」)』 この絵、可愛かった。窓の板戸を開けて下を覗く女性。右手には・・旗・・なのかな?・・を持っている。壁にはギリシャ彫刻も描かれている。タイトルがバッカスの巫女なので、彼女は巫女なのでしょう。好きな男性を見つけたんでしょうね、「あ!彼がいるは!」と嬉しそうに無邪気に窓の外を見ている。タデマは濃艶な絵もあるけど、これは可愛い絵だった。

同じく、アルマ=タデマ 『お気に入りの詩人』。2人の女性が、ギリシャ建築のような場所で寛いでいる。白いドレス姿の女性はパピルス紙の書物を読んでいる。後ろの透けてるピンクのドレスの女性は、艶めかしいポーズでクッションに寝そべっている。壁にはホメロスの叙事詩が書かれているそうな。大理石の床の描き方も見事だった。窓からは白い神殿の柱らしき物も見える。女性の比較としては、白ドレス黒髪。ピンクドレス金髪って言うのもある。何処かデカダンな雰囲気を漂わせる絵。

私の好きなアーサー・ハッカーもあった〜!! 『ペラジアとフィラモン』。私、この絵のあまりの美しさに、暫く時間を忘れて見入ってしまいました。
1853年に出版された歴史小説が元ネタ。ペラジアは5Cのアレクサンドリアで堕落した日々を過ごしていた。彼女は、死の直前、罪を償うべく荒野へ行く。
絵の中の彼女は、砂漠に倒れている。頭には光輪が浮かんでいる。おそらく、もう、死んでいるのだろう。白く輝く美しい裸体をさらして死んでいる美女。(もう、この時点で、耽美バカの私は堪らん)。横には修道士がいるのだが、彼は、ペラジアの兄のフィラモン。葬儀を執り行おうとしてるらしい。フィラモンは、ペラジアの足側にいるのだが、彼女ではなく、何処か遠方をじっと見つめている。感情を押し殺すように、左右の手をギュッと繋ぎ、それでも出てしまう感情は、足の親指が上がってる姿で分かる。「こんなところで死んで」とイライラしてるようにもとれ、悲しみを押し殺しているようにも見える。
ハッカーのこの、裸体の美しさね。この人、女性のヌード上手い!前もそう思ったケド。
私ゃ、この絵に、魂とられて暫し呆然・・・。

ハーバード・ジェイムズ・ドレイパー 『イカロス哀悼』。私、この絵の、大きい完成バージョンを、ビクトリアヌード展で見たと思った。小さいケド、これもやはり美しい。
ミノス王の迷宮に閉じ込められた職人のダイダロスとイカロス。彼らは鳥の羽を集め蝋で固め、それで大きな翼を作り、脱出するも、イカロスは飛ぶ楽しさに夢中になり、高く飛び過ぎ、太陽の熱で蝋が溶けてしまい、イカロスは墜落。死んでしまった。その落下した姿を描いたのがこの絵。イカロスは、海の岩の上に墜落したらしい。彼の周りで悲しんでいるのは、ニンフかな?竪琴を持っているニンフもいる。前述通りテートにある作品の習作なのだが、ドレイパー曰く「完璧な習作」だそうな。

アルバート・ジョセフ・ムーア 『夏の夜』。古代ギリシャ風の部屋にヌードの美女4人。4態。髪を結う者、寝そべる者、後ろ向きでポーズをとる者、天井には花飾りのモールもある。窓の外には海。月が出ているのか水面に映ってキラキラしている。遠くに島も見える。金のベッドや長もちも、絵にアクセントを加えている。この絵、別に特定の物語の場面ではないそうな。色や形を装飾的に組み合わせている絵画的美と女性美を追求した絵なんだそうな。女性は同一人物で、女性の一連の連続する動作を記録した姿・・とも言われているらしい。
写真の連続撮影みたいな感じでしょうかね?

フレデリック・レイトン 『プサマテー』。後ろを向く美女プサマテー。白い布を纏い赤茶の布を敷き、海を見つめている。後ろ姿なので彼女の表情は見えない。苦悩しているようにも見え、寂しがっているようにも見える。
プサマテーはネレイスと呼ばれる50人の娘たちの1人。アイアコスはプサマテーがアイアコスを受け入れられず、彼から逃れようと、アザラシに身を変えるコトに成功した。しかし、アイアコスは彼女を強姦した。
ギリシャ神話の神様ムッチャクチャな奴多いケド、アイアコスは、アザラシの姿のプサマテーをレイプしたってコトよね?アザラシを強姦・・・、まぁ獣姦だな。ある意味、ガッツあるな!とも言いたくなるが。スゲエよな・・・。獣姦話は、ギリシャ神話には、これ以外もあるけれど。
海を見る彼女は、「普通、アザラシをレイプする?」とちょっと呆然としているのかも知れない。

同じくレイトン 『エレジー』。白い服の女性が目を伏せ、悲しみにくれている。何処か呆然としているようにも見える。エレジーとは、誰かを亡くしたり、何か大切な物を失った時に作られる歌や韻文のコト。背景もこげ茶の闇で、悲しげだ。恋人が死んだのかな・・と、ちょっと思った。レイトンの絵は内省的だと思うけど、これもそうですね。

チャールズ・エドワード・ペルジーニ 『ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)』 2人の女性が、古代ローマ風のテラスにいる。白いチュニック(かな?)の女性は葉っぱで蝸牛をからかって遊んでいる。左には、その様子を、テラスの手摺に凭れて見ている白いドレス姿の女性。後ろは海。彼女たちの足元にはカーネーション。ペルジーニは洗練された家庭内の場面や庭などで、愉快な娯楽に興じる女性を主題にした絵を良く描いたそうな。コレもそうらしい。テラスの手摺に施された彫刻も見事に描写してあった。
甘美なる無為って面白いタイトルですよね。彼女たちがやってる好意は、無為な行為だケド、甘く美しいんだね。

同じくペルジーニ。『シャクヤクの花』。芍薬の花かごを持つ緑のドレスの女性。後ろの左には古代神殿の柱のような物が見える。女性は少しツンとした表情にも見える。女性は花かごから、左手で芍薬を取ろうとしているようだ。

エドワード・ジョン・ポインター 『愛の神殿のプシュケ』。花を持ちサーモンピンクの服を着た、物憂げな表情のプシュケ。花には蝶もとまっているが、プシュケと言えば、蝶だもんね。魂の象徴だっけ?プシュケの後ろには古代神殿の噴水のようなものも見える。恋人のクピドに夜しか会えないプシュケは、昼の時間を持て余している。「あぁ〜・・・暇・・・。早く彼に会いたいは。」そんな感じなのでしょう。
ポインターは、後にロイヤル・アカデミーの会長やナショナルギャラリーの館長になったそうな。成功した画家ですね。
この横に、『テラスにて』というポインターの絵もあったのだが、おそらく、これ、モデルさん一緒よね。顔が同じだったので。ポインターのお気に入りのモデルさんだったのかな?

次のテーマは戸外。外。この時代の風景画はこれまでにない近さで主題に取り組んだと解説にあった。見ている対象をもっと知りたいという感覚からそうなった・・とのコト。天気の移り変わりの描写なども。イングランドの人口の多くが都市に住み、田舎社会の暮らしそのものが考古学的検証に値すると思われるようになったらしい。

数々の英国の風景画を見ると思うコト。「英国の空、曇天多いな!」 英国って、よっぽど晴天ないんでしょうね(^_^;)。だって、殆ど鈍色の空なんだもの。ターナーもそうだケドさ。

そんな中、面白かった絵が、フレデリック・ウォーカーの『魚屋の店』。吊るしてあるカレイにハリセンボン。テーブルに無造作に並べられた数々の魚たち。主人がよさそうな魚(鯛?)を指さしている。横で買い物篭を持つ奥さんが買おうかどうしようか悩んでいる。奥さんの足元には白いモコモコ犬。左には子供がおり、輪遊びをしている。軒の上に鉢植えが沢山並んでいるのだが、あれ、落下しないんだろうか?危なくない?と心配になった(^_^;)。

19C後半の象徴主義に入って行く。
象徴主義には、対照的な面があり、不安を駆り立て感情を刺激するような主題を、伝説と神話における歓喜と苦悶の描写として好んだ。初め“ラファエル前派 第2世代”が出て来た。バーン=ジョーンズなどがそうらしい。挑戦的な主題をイギリス絵画に導入したグループにいたワッツ、レイトンは独自のテーマを進んだ。慣習的な表現を突き放し、芸術とはシンプルで即座に理解可能な物であるべきと信じる者たちに疑念を起こさせた・・と解説にあった。最大のラファエル前派後継者はウォーターハウス。1850年〜1860年の革新を継承しつつ発展させ、象徴主義の潮流を形成していった。
象徴主義はシンボリックなので、分かりづらいかも知れないが、耽美幻想大好きには、嵌るジャンルではあるんだよな。

ジョージ・フレデリック・ワッツ 『プシュケ(クピドに置き去りにされたプシュケ)』。私、これの大きいヴァージョンを、ビクトリアヌード展で見た記憶がある。寝台の傍らで、力なく寂しげに立つ全裸のプシュケ。彼女は、クピドの正体を見てしまい、「絶対見るな。」との彼との約束は破られ、クピドは彼女の元から去ってしまったのだ。彼女は今、絶望の淵にいるのだろう。このモワモワ感、朦朧体みたいなこの感じがワッツだよね。

同じく、ジョージ・フレデリック・ワッツ 『十字架の下のマグダラのマリア』。赤い衣のマグダラのマリアが力なく、上・・・十字架の上・・を見上げている。彼女は、十字架の根元に力なく座り込んでいるのだ。おそらく、彼女は磔にされたイエスを見上げているのだろう。その状況に呆然自失状態。濃い緑の空が妙に不安を煽ります。

ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ 『楽園追放』。向かって右に、アダムに手をとられ、楽園の門を出て行くイブの姿が見える。2人は知恵の実を食べ、楽園追放になったのだ。出展は旧約聖書ね。アダムは顔を手で覆い嘆いている。左には角っぽい剣を持った天使。2人を追い払うように、手を上げている。周りには林檎や花が装飾的に描かれる。遠近感や奥行感といった自然主義的な構成はなく、自然主義絵画からの脱却を図ったのでは?とのコト。
本当に装飾的な絵だな・・・って思った。美しいけれどね。遠近感も狂っているので、見ていて、フワっという感覚になる。

エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ 『フラジオレットを吹く天使』。私の好きなバーン=ジョーンズ。青い服に赤い衣を纏った天使がフラジオレットを吹いている。青い羽が自分を包み込むように横から出ている。光輪が月のようにも見える。天使の顔は少し悲しげだ。凄く幻想的な絵で美しかった。これ、水彩とグアッシュで描いてるんだもんな・・・。ちょっとカラーチョークで描いたみたい・・とも思うのだが。フラジオレットというのはクラリネットのような物らしいのだが、この時代には、演奏されるコトはなくなっていたそうな。懐古主義みたいな感じなのかな?

同じく、バーン=ジョーンズ 『スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)』 経長の画面。右下に青い服を着た女性。何処か恍惚とした表情。足元には百合の花。左上には、南風と北風の擬人化がいる。花を纏っている方が、おそらく、南風だろう。擬人化2人は耳に手を当て、何か唄っている風にも見える。後ろには木々・・森なのだろう。旧約聖書の『雅歌』がモティーフ。
かなり大きな絵なのだが、水彩とグワッシュで描いていてぶったまげた。紙に描いてるし。こんなデカイ紙に描くのがまず大変なような気がする。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 『デカメロン』 座って語らう男女。向かって右にマンドリン(かな?)を持った男が右手を出し、何か物語を語っているらしい。その後ろには青い服の男。左には5人の女性がいる。4人は彼の話を聴いているが、1人は花摘みに夢中のようだ。花摘みをしてる女の子は、ちょっとムッとしてるようにも見えるので、話に飽きちゃったのかな?とも思った。(もしくは、男の話がド下手だったか・・・) 後ろには庭園が見え、果樹も見える。左手前にはリュート(かな?)が置いてある。
この絵は、10人の若い紳士淑女1人1話ずつ、10日に渡り、100の物語をつむぐというボッカッチョの“デカメロン”が元。この絵は100話のうち、どれを語っているかを示唆するものが描かれてはいない。どの話をしているのかは、鑑賞者の憶測に委ねられる。明白で即座に理解可能な物語性の忌避を信条とする唯美主義的画題なんだそうな。
唯美主義の説明がまた難しいんだよな・・・。ただ、美しい物を描くのを目的とする絵画主義で良いのかな?女性たちのドレスの色も綺麗。紫、白、桃色、緑・・・。
100の物語で、ちょっと百物語を想像したのは私だけではあるまい(^_^;)。

同じくウォーターハウス 『エコーとナルキッソス』 画面向かって右には、水面を覗くナルキッソス。左にはそれを見つめるエコー。ナルシスの伝説だから、黄水仙も描かれている。中央には大木。ナルキッソスは、寝そべり、水面の自分の顔を食い入るように見つめている。彼の足元には水仙の花。水面のナルキッソスの姿が、やけにハッキリ描かれているようにも感じた。もっと、幻想的にフワっと描いても良かったのかも。
綺麗な絵でしたけどね。自分に恋したナルキッソス。エコーは彼をとめたいが、彼女は、彼の言葉を繰り返すしか出来ない魔法をかけられているのだ。エコー・・・つまりはこだまですね。

エレノア・フォーテスク=ブリックデール 『小さな召使(乙女エレン)』 私、この画家さん知らないのですが、この絵は凄く気に入りました。森の中、髪の毛を解き、周囲を気にするように振り向く女性。足元にはドレスが脱ぎ捨てられており、彼女は小姓の恰好をしている。芙蓉の花(なのかな?)も咲き、木々の緑も美しい。
主題は、伝統的な民謡のヒロインなのだそうな。エレンは冷酷な恋人の子供を身ごもり、彼に召使のように仕えるも、彼女は彼から蔑みを受ける。貞節なエレンはそれでも仕えているのだが。エレンは彼が要求するまま、嘘をつく為、森に隠れたエレンが少年に見られるよう、美しい髪の毛を切ろうとしているところ・・なのだそうな。美しい絵なのに、結構テーマが重いぞ!エレン!そんな男とは早く別れた方が良いぞ!でも、子供がいるので、それも大変なのだろうか?DV夫と結婚しちゃった女性みたいなものなのか?
それはともかく、女性が美少年に化ける・・というのはなかなかの萌えなので、この絵は美しいのだ。

お土産は、図録をまず購入。ええ、自分でツッコミましたよ、「オマエは、何冊、ラファエル前派の画集を買えば気がすむんだ!」と。ポストカード6枚。あと、ミレイ缶バッチガチャガチャがあったので、それを3回やってみた。ロンドン塔の王子たちが当たったよ。美少年ゲット。
あと、メダイ(メダイユ)を買った。メダイって、キリスト教のお守りみたいな物だっけ?赤い十字架のメダイ。折角なので、パーツを買って来て、ブローチにしようかな・・と思っている。
護符(だと思う)とセットのメダイも売っていて、216円でお手頃価格だったのだが、護符は、ガチのキリスト教徒じゃないと持ってちゃダメのような気がして、こっちはやめた。マリア&イエスの絵柄の護符で綺麗だったんだケド(メダイも同じ柄)。
あと、来客の方用の土産に、ミニメモも購入。もう、ミュージアムショップが軽く魔窟だったよ。

3月6日までやっています。

他にも、ワッツの希望の習作があったり、色々見どころがあります。

耽美野郎は行ってみるのも一興かと。
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