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2016年01月11日02:49

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2016年の山歩きを考える 1

0、不注意による負傷

昨年12月19日夜に筋トレのダンベルのシャフトを蹴りつけてしまい、右足中指に人生で初めての打撲傷を負った。

翌朝、指は紫色に腫れ上がっていたが、マイミクで山の大先輩でもある初対面の方と約束していた丹沢の秘瀑 「早戸大滝」へ。

期待に違わぬ大滝の姿に感動し、楽しい山歩きにはなったのだが…
数日後には歩行に支障が出る痛みとなり、40歳にして人生で初めて整形外科に出向く。幸いレントゲンでは骨に異常無し。

ひとまずホッとはしたものの、それから3週間もの長きにわたり、仕事で革靴を履いて歩けば跛行になってしまう有り様。山へ行けない日々が続いた。

だが 、しつこかった痛みも昨日あたりからほぼ引き、どうやら全快も近そうだ。

怪我をしてからというもの、年末年始、正月、そしてこの連休も好天が続き、山はどんなにか素晴らしいだろうかと想像しつつ、無機質な四角い窓に切り取られた小さな青空を眺めては溜め息をつく日々。
脚も鈍るばかりである。


1、古書との出会い

この3週間の間も、山に関する古書探索と収集に熱中していた。
もっとも、財力は無いので生活費を削りながらの暗中模索である。
その為にすべての忘年会、新年会、知己との会食を取りやめ、散髪までも延期した。

山岳古書集めにはそれだけの魅力があるという事だろうか。

尤も、古書とは言っても日本登山史に燦然と輝く山岳名著などという物には手が回らず、古い山岳ガイドブックや古い雑誌をチビりチビりと集めているだけである。

もちろん、専ら自分のこの先の山歩きの範囲となる丹沢道志山塊、奥多摩、奥武蔵、奥秩父、大菩薩連嶺に関する物が中心だ。

まずは現代でいうところのガイドブック。
古いものでは今から約100年ほど前の大正時代の山岳案内本を購入した。
こうした案内本は昭和一桁の時代から太平洋戦争中まで次々と出版されており、読み比べつつ現在の山の様子と比べてみるとおもしろい。

また、太平洋戦争中には丹沢山塊や奥秩父の山岳写真集も出版されており、当時の山々の姿がよくわかる。


次に、山岳紀行文。
これは非常に興味深く、面白い。自分がホームと位置づける丹沢山塊ひとつ取ってみても、明治から大正時代にかけて、日本山岳会の設立メンバーとなる元老、重鎮、実に錚々たる面々が次々と足を踏み入れ、それぞれに貴重な紀行文を記している。

紀行だけではなく、山名考証から山麓の地元民との交流まで、当時の未開の山に挑む山歩きと併せ、興味は尽きる事がない。

登山史上では明治期からアルプスの高峰志向一辺倒の時代が続く一方、大正時代には低山志向も強まり、丹沢や奥多摩、奥秩父、大菩薩に果敢に分け入り、驚異的な探究心と行動力で山と谷を隈無く歩いた先人たちの記録を読むと胸が高鳴るのを覚える。
尤も、そうした登山史よりも先に、土着の人々は遥か昔から山を歩き山に親しんでいるので、低山に関しては山に纏わる信仰や伝説、山村民俗、狩猟や炭焼きといった山と人との関わりこそ重視されるべきだろうと思える。

さて自分は古い雑誌もかなり集めたのだが、この紹介はまたの機会に譲りたい。

一方、山村における信仰の資料や山村民俗に関する調査資料も少し手に入れた。


2、これから目指す山歩き

まず、自分は低山派を貫きたい。
自分が生まれ育った神奈川県及び東京とその近県で、歴史的に人と山との関わりが深い山村を圍る山々をじっくりと歩きたいという気持ちが強い。

ただ○○山だ○○尾根だ一般コースだバリエーションだ、というのではなく、人と山との関わりの歴史と信仰、民俗を見つめながらの山歩きをしていこうと思う。
山歩きそのものよりもそちらの下調べに時間をかけるような、そういう山との向き合い方をしたい。

また、山歩きだけでなく、山麓歩きもしようと思っている。山村の風景を眺め、生活を感じ、路傍の石仏を訪ねるような旅を求める。


3、再び古書について

古書集めの醍醐味は、単に資料や史料としての収集にあるのではないと感じる。

古書店の店主とのメールのやり取りなども味わい深くてよい。「星雲のように犇めく古書店の中から私の店に注文を下さり…」などの文言。
「飲み過ぎなどで返信が遅れる事があります。頓主。」店主ならぬ「頓主」を自称しているところが面白い。
古書に店主からの手書きのメッセージを挟んである物もあり、温かみを感じる。

群馬県の古書店からは電話がかかってきた事がある。書籍の在庫確認が取れたとの内容だった。長年 店を営んでおられるのだろう。滋味のある老店主の声が印象深い。
用件は済んだのだが、数分後に再び電話がかかってきた。
何事かと電話を取ると「はい、何でしょうか?」と店主の声。「いえ、自分はかけていませんが…」と告げると慌てて「あ、当方の間違いですこれはこれは申し訳ありません」との事。こちらは青二才である、謝られて恐縮してしまった。
どうやら御自身がかけた発信履歴を見てそれを着信履歴と勘違いなさって電話をかけてきたようだ。
後日、丁寧な梱包で書籍が届いた。


本は旅人である。古書に触れると、君は古書店の本棚にどれくらいの期間 眠っていたのかと訊ねたくなる。

前の持ち主はどんな人だろう、あるいはその前にも持ち主がいたかもしれない。そんな想像もまた愉しい。

本が辿ってきた旅の遍歴は本のみぞ知るところだが、時折、前の持ち主の痕跡が残っている本がある。

例えば、昭和24年の奥多摩山岳会の会報には写真が2枚挟まっていた。この会報は非売品のようなので、おそらく前の持ち主は会員の方だろう。 渓流だろうか、水面の風景の写真と木を写した写真だ。
山好きの方が思い出の写真を挟んだまま手放すとは思えない。そもそも、山を愛する人が古書店に売りに行くとは考えにくいので、ひょっとして前の持ち主は既に故人で、遺族が売りに出した物だろうか。
そう考えると、つくづく、本を大切にしなければ、と思う。

また、同じく昭和20年代の「山と渓谷」には書き込みがあった。
記事の内容に線を引き、「この文はちょっといただけない」「こういう山には行ってみたい」といった感想が記されている。

他にもバスの時刻など走り書きしたもの、あるいは巻末に「早稲田の○○書店で求ム」といった書き込みのあるもの。

中でも印象深かったのは「蝉の鳴く時刻」とあり、山にいる様々な蝉が鳴く時間帯を鉛筆で記してあった本だ。
持ち主は、蝉の鳴き声に詩情をかきたてられる人だったのかもしれない。

本は人から人へ長年 旅をしてきて、何の因果か自分のところに辿り着いた。今 手元にある多くの古書は、自分よりも年上である。
やけて古びたその姿には、この本と共に過ごしてきた人達の思いが刻んだ年輪がある。

それは楽しくもあり、また重いものでもある。
本の旅にとって自分が最後の終着駅になるかもしれないと思うと、責任は重い。

自分は古書蒐集家ではない。できれば、次の人に襷を繋ぎたいと考えてはいるが、電子書籍が産まれているこの時代、古い紙の本はやがて消え去る運命にあるのかもしれない。
特に目の前にある古書たちはもう既に長い年月を経て皺深いものたちばかりだ。

まだ彼らと出会ったばかりだが、彼らの旅の行く末について考え始めているところである。


(なお、古書の内容について自分だけのものにするつもりはありません。
山歩き日記を書く時に内容を引用するなどして御紹介し、興味のある方には現物をお見せするなどして共有したいと考えています。)

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「丹沢を歩く会」 コミュニティ
副管理人 モリカワ
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