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2016年01月10日18:27

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最近、考えたこと。Part0022

 さてと、話を続けますか。前回、「統一後の九州処置」まで行った。今回はいよいよ本番、第二次対チャイナ外交について述べます。第10代崇神天皇が仔細な準備を施し使者「ナトメ(難升米)」「トシグリ(都市牛利)」をチャイナの首都「魏都・洛陽」へと送った。とこまでやった。では、この仔細な準備とは何なのか?それを理解するためには、神武建国を思い出さなければならない。なぜ、神武建国は行われたのか?それはチャイナの列島への軍事侵攻を恐れてのことだった。そのときの使った「機密情報」とは何か?そう、日本列島の地理的構成である。「魏志倭人伝」を読むとき絶対に忘れてはいけないことがひとつある。それは



古代において日本の地理的構成は「最高機密情報」てあった



ということ。みんな「日本史」なんて自国を外から見た「ゲテモノ史」しか知らないんで気付かなかったでしょ。一度でいいから自国の歴史を自らの「父祖達の苦闘」の記録つまり「国史(ナショナル・ヒストリー)」として読んでごらん。見えてくるものがまるで違うから。重要な事なのでもう一度繰り返す。「日本史」と「国史(ナショナル・ヒストリー)」はまったくの別物だ。本稿「日本法制通史概論」は日本の「国史(ナショナル・ヒストリー)」から「国法(ナショナル・ロー)」を取り出すための学術的取り組みであり挑戦なんだから、ここんとこはよく理解して欲しいもんだね。はーーー、なんで・・・・。さてと、愚痴は無しにして先を続けよう。つまり第二次対チャイナ外交いわゆる「邪馬台国の女王ヒミコの遣使」は第10代崇神天皇の命令で始まった対チャイナ「情報戦争」であったということ。以前「ロシア・東欧史概論」のおまけで情報戦は「二つの軸」と「4つのカテゴリー」で分類できることを述べた。再録すれば以下になる。


情報戦カテゴリー               担当者          活動区域

�.▲�ティブ・アタック情報戦  (情報工作戦) エージェント       主として外国
�▲▲�ティブ・ディフェンス情報戦(対抗情報戦) カウンター・エージェント 主として国内
��パッシブ・アタック情報戦   (諜報戦)   スパイ          主として外国
�ぅ僖奪轡屐Ε妊�フェンス情報戦 (防諜戦)   スパイ・ブロッカー    主として国内


 4つ全てが使われた。まず、情報工作戦を行うために「偽装君主」女王ヒミコが立てられた。その正体が崇神天皇の后にして実質的な第2代「斎宮(伊勢の祭主)」である御真津比売命(ミマツヒメノミコト)様であることは「古事記」の記述から見て間違いない。対外呼称が「斎宮(現・伊勢の祭主)」であることから「日巫女(ヒミコ)」にすることもすぐ決まっただろう。ちなみに崇神天皇は宰相役の「男弟」として振舞うことも決まった。弟なら「女王」の宮殿に出入りしても不自然じゃないし宰相役の王族なら普段道理、官・兵を指揮していても矛盾しない。この「設定」は全国の役所と王族に厳しく命じられた。一人でも裏切れば台無しだ。特に出雲王族(現・出雲国造家)と奴国王(後の筑紫の君一族)には目付け(スパイ・ブロッカー)が張り付いただろう(笑)。ついで、熟練の船乗り達が集められた。彼らにはとんでもなく困難な任務が与えられた。



「最高機密情報」である日本の地理的構成を偽装することが命じられた



のだ。まず、日本海ルートが決まった。瀬戸内はあまりにも島が多く、進行方向を偽装することが難しかったからだ。以前より平壌コロニー(楽浪郡)から多くの使者が来訪していた北九州における偽装も無理だった。そこで九州最後の寄港地、不彌国(福岡県福津市)以後、航海中「東を南」「西を北」と偽装することが決まった。うまくいけば本拠・大和国を今の南大東島の東方海上に偽装出るはずだった。「邪馬台国はムー大陸か?」って話にしたかったわけだ(笑)。そして使者派遣から2年たって諜報作戦込みで「魏都・洛陽」へ行った「ナトメ(難升米)」「トシグリ(都市牛利)」が魏の使者・梯儁と金印をともない帰任した。いよいよ、上は両陛下から下は庶民にいたるまで国一丸となった情報作戦、名づけて



「女王ヒミコ、役者やのうで大勝負!」大作戦ーーーー。



の幕が切って落された(笑)。大勝利だった。「魏志倭人伝」はその明白な証拠である。チャイナに大和の君主である皇后が「親魏倭王(魏の友好国たる倭の国王)」であることを認めさせ、地理情報と国力情報を秘匿し、ついでに昨日書いた「三角縁神獣鏡」のような宝物を大量にゲットした。一粒で3度おいしい大成功だと誰もが思った。そ・の・と・き・は。。。。最初の使者から8年後、帯方郡(平壌コロニー南部)の太守に王頎いう男が着任したころから雲行きが怪しくなる。王頎は張政という部下を送って「狗奴国(=熊襲国、現熊本県)」制圧作戦を中止するよう「内政干渉」を試みてきたのだ。こっちに言わせれば



え?親魏倭王(魏の友好国たる倭の国王)なんだから内政自治権あるんじゃないの?



みんな、ビックリした。そのころの日本人はあのいやらしい「野蛮な中華思想」について、まだ甘く見ていたのだ。やつらは一度てもかかわった外国を勝手に蔑み目下に置こうとするするのだ。特に崇神天皇は本当にビックリしたことだろう。魏の皇帝ならともかく平壌コロニー南半分を支配するだけの小役人のその又部下から、日本の国内問題について指図されたのだ。「野蛮な中華思想」においては「友好国」とは「属国」を表すことを思い知らされた崇神天皇は「斎宮(現・伊勢の祭主)」に本来の任務に戻るよう命じて伊勢へ送り出し、使者には「死んだ」と伝えさせた。それでも張政は日本おそらく奴国(福岡県福岡市東部)で奴国王の保護下に居座った。なんと、20年間!よっぽとぶっ殺してやろうかと思ったに違いない。だが、西九州を制圧せずに対外戦争など論外だった。そのご心痛の中で崇神天皇は崩御される。第11代垂仁天皇は再び偽装君主「トヨ(正体は「斎宮」豊鍬入日売命(トヨスキイリビメメノミコト)様)」をたて、皇帝への送答使の役目を与えてようやく張政たちを国内から追い出すことに成功した。人を呪わば穴二つ、人を騙さばうそ三つ。やっぱ、慣れない事するもんじゃないね。正直が一番と反省しきりの1750年前の日本人一同なのであった(笑)。


PS、はーーい、ヒミコの時代、王頎というチャイナの小役人が日本に「内政干渉」繰り返してたの知ってる人?はーーい、張政というクソ・チャイニーズが皇帝の威を借りて20年間も支配者気取りで日本に居座ってたの知ってた人?「国史(ナショナル・ヒストリー)」大切だと思わない?ま、いいや。良かったらお読みください。とほほ。




おまけにみくしー検索かけてみました。斎宮さまを「卑しく叫ぶ女」なんて書いて欲しくないな。テレビってサイテーー。



 「ヒミコ」

日記 検索 (1件)ひっと。


 「卑弥呼」

日記 検索 (17件)ひっと。


 「日巫女」

日記 検索 (1件)ひっと。


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