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2016年01月09日22:44

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最近、考えたこと。Part0021


 ぐえーーーー。はーーー。疲れた。なんで、俺が朝から12時間もかけて「魏志倭人伝」なんて全訳しなきゃいけないのよ?勘弁してくれ(ToT)。でも、これで少し自信もって史実との整合すると言える翻訳が手に入ったよ。同時に今日は、日本の考古学界がいかに「マッカッカ」なのかを骨身にしみて思い知らされたね。最低限、おサルのお尻より「マッカッカ」だ。ほんと、吐き気が止まらない。



おまえら「子供たちの右目」を抉り取るのがそんなに楽しいのか(激怒)!



奴らの議論は常に自分たちの「薄汚い政治的意図(プロパガンダ)」とそれから敷衍された「結論」がまずあって、それに基づいて「意図的な」資料選択を行う。本当に吐き気がする。真実を求めて努力した結果ならそれが例えどんな結論でも俺は決して非難しない。批判はするけどね、「そこ間違ってね?」って。でも、奴らは違う。絶対に違う(怒)!昨日もビートたけしがTVで言いたい放題出鱈目こいてたけど、ほんとーーにたまんねーーよ!主題とずれるけどちょっと言わせてくれ。まず、以下の文章を読んで欲しい。



「三角縁神獣鏡は古墳ばかりから出土しており、邪馬台国の時代である弥生時代の墳墓からは1枚も出土しない。よって、三角縁神獣鏡は邪馬台国の時代のものではなく、後のヤマト王権(大和朝廷)が邪馬台国との関係を顕示するために偽作したものだ」(薮田嘉一郎・森浩一)



・・・???・・・???・・・絶句。「三角縁神獣鏡」は「証拠」なのだ。普通の思考法なら古墳から邪馬台国の時代(西暦200年代)の「証拠」が出てくれば、当たり前だが(当時は300年代から造営され始めたと考えられていた)古墳の年代測定のほうを疑う。「おい、大丈夫か?」と。だが、薮田も森もその他の自称「考古学者」たちも古墳の年代の再測定もいっさいせずに、何の根拠も無く「証拠」は「捏造」されたものであると言い放ったわけだ。ほんと正気じゃねーー。繰り返すが「捏造されたという根拠」は何にも無いのだ。ちなみに森浩一は同志社大学の教授で、あからさまなインチキ学説「騎馬民族征服説」を放言した江上波夫と共著し、「言語障害」があるとしか思えない「歴史専門用語改竄」の常習犯で日本共産党ご用達の自称歴史家の網野善彦と対談を繰り返し、日本共産党の正式宣伝工作員の松本清張のアドバイザーを勤めた男。ふーーーーー。まじかよ。もうウンザリ(-_-;)!うんざりだよ!(ToT)。なんとかならんのかこの状態(ToT)。勝てるとは思わん。相手は外国と通じた巨大組織、こっちはただの個人でオタッキー。でも、子供たちへの被害を少しでも軽減するためには書かずにゃ居られねーーよ!ふーーーー(-_-;)。


 さてと、愚痴り終わったところで話を元に戻そう。前回、「統一以前の外交史」まで行った。今回は古墳時代の外交史に入ります。統一がなり、大和軍は同盟軍として九州へと入った。まず、南九州へと使者が送られた。受けたのは第二代綏靖天皇の時反乱を起こしたタギシミミノミコトの末裔たちだ。言う慣れは「皇室お留守番部隊」だな(笑)。「お留守番部隊」は使者が到着すると同時に全員、即時無条件降伏した。「あの時はどうも申し訳ありませんでしたm(_ _)m、調子こいてましたm(_ _)m、なにとぞなにとぞひらにひらにご容赦くださいーーーーー(ToT)(ToT)(ToT)。」、みんな大泣き(笑)。ま、無理も無い。「皆殺し戦争」の時代に、古代ではどこの国でも絶対に許されない「大逆事件」の犯人一族なのだ。しかも、戦力がライオンと三毛猫ぐらい違うんだから(笑)。平和を求めていた第9代開化天皇は日向(ヒムカ・宮崎県南部から鹿児島県西部)の本領を平和裏に回復しその民を免訴した。そして、タギシミミノミコトの末裔たちにかつての皇族一門の遺体・遺骨を収集し「神道」形式で改葬することを命じた。これが西都原古墳群(西都市、国の特別史跡)だ。大和国本土とほぼ同時期に南九州に前方後円墳が現れた理由がまさにこれだね。ま、さぞ熱心に取り組んだことでしょうね。それは自分たちが皇室の一門であり「許された」ことの証だったんだから。

 こうして、南九州はあっさり片付いた。そしていよいよ、九州諸国本隊である北九州に大和軍は進駐した。戦力の差は歴然。大和軍改め官軍は九州諸国の旧盟主「奴国(福岡県福岡市東部)」を通り過ぎ「伊都国(福岡県糸島市)」に本拠を定めて自分たちこそ九州諸国の「盟主」であると宣言した。そしてその執行機関として「イタケル(一大率)」をおいた。ついで、水軍を派遣し「末廬国(=松浦、長崎県松浦市)」、「一大国(=壱岐国、長崎県壱岐市)」、「対海国(=対馬国、長崎県対馬市)」、「狗邪韓国(=金官国、慶尚南道金海市)」へと軍を進め玄界灘を制海した。ただ、この時点ではまだ「狗奴国(=熊襲国、現熊本県)」を中心とする西九州がまだ独立しており、用意に渡海作戦を行える状況ではなかった。1750年前、そこに漢末の内戦を抑え韓半島南下の兆しを見せていたチャイナの魏王朝から使者が来る。第10代崇神天皇はこれを契機にその150年前に「失敗した」対チャイナ外交を再開することにした。目的は敵情視察と「狗奴国(=熊襲国、現熊本県)」等の日本国内の独立勢力がチャイナと同盟関係を結ぶ事を阻害するためだったに違いない。そのためには「邪馬台国(=大和国、奈良県)」を今度こそ日本列島全体の代表者として認めさせなければならせない。そのための仔細な準備を施して天皇は使者「ナトメ(難升米)」「トシグリ(都市牛利)」をチャイナの首都「魏都・洛陽」へと送った。ってとこで今日はここまで。はらへったーー(ToT)、飯も食わずに朝から15時間ぶっ通しだよ。とほほ。もーーー、やっ(-_-;)。



PS、これだけ頑張っても、成果はたったこれだけ。ふーー。愚痴聞かせてごめんね。でも、でも、やっぱり「量」が決定的にたりない!ホントはレベルも考えなくてはならないんだ。いまは「量」と割り切ってレベルを決定的に下げてるのに、それでも「決定的に」量が足りなーーーーーい!!!!!いったいどうすりゃいいんだ?とほほ。



おまけにみくしー検索かけてみました。はーー、コミュニティ回ったときの絶望がよみがえるね。この人たちの責任じゃ無いけど。とほほ。


 「邪馬台国」

日記 検索 (7件)ひっと。

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