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2015年12月31日06:57

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Mission Possible

 帰ってくると、「そういえば、あそこ見ておけばよかったなあ」ということばかりで、なかなかミッションが完了しません。
 またもや出動ということになり、多摩川河川敷を歩きます。

 今回の最初のミッションのターゲットは川崎河港水門です。大師線で多摩川の方を景色を眺めていると、鈴木町の味の素の工場の奥にこの水門が見てとれます。搬出入に用いる工場の施設の一つで、河川敷のサイクリングコースはあそこで途切れているんだろうかぐらいに思っていたのですが、実はなかなかに由緒のある国登録有形文化財なのでした。

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 かつて、今の川崎区を斜めに貫通する幅35m級の一大運河計画があり、この水門はその計画の手始めとして大正の末年に着工されたものの、計画自体は市内に工場や住宅が建てこんだことや戦争の影響などで昭和18年に廃止されたそうです。

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 水門の上には大脳にも見えなくもないモリモリした像が乗っており、「おいおいグロ系か?」とあらぬ疑いをかけてしまいそうになりますが、当時の川崎の名産品だった葡萄と梨と桃をかたどったものだそうです。まぎらわしいなあ。

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 案内板には計画のころの川崎の地図が載せられていて、これがおもしろい。埋立地である浮島地区がないのは当然として、まだこの当時は扇島や東扇島すら影も形もありません。

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 Googleのマップへこのころの海岸線を水色、計画の運河を青色で描き入れてみました。

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 扇島や東扇島どころか、千鳥町もまだ海です。産業道路駅の改札口を出てすぐのところに川崎大師海岸郵便局があって、不思議に思っていたのですが、郵便制度創設のころは本当にこのへんまで海岸だったのかもしれません。
 夜、海で光るものがあって引きあげたら仏像だったという川崎大師創建にかかわる与太話の舞台となった夜光町もたしかに海岸だったようです。
 あと、さらに興味深いのは赤い丸として描きこんだ競馬場の位置で、当時は現在よりずっと海の近く、おそらく現在の南部生活環境事業所のあたりでしょうか。

 遠大な計画でしたが、案内板にも廃止とあるとおり、現在の運河の全長は水門からほぼ200mといったところです。

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 というわけで、またまた六郷橋を渡って蒲田へ向かったのですが、もうこの遠回りのルートで蒲田へ行くのは最後にしたいです。しんどいっす。

 第2のミッションは東急プラザ蒲田の屋上、かまたえんの調査です。

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 屋上へ上がる途中の踊り場では、かまたえんが地域の住民の憩いの場であることがアピールされています。となると、上の様子もだいたい察しがつくといいますか、上がって最初の印象は、やっぱり敷地自体はそんなに広くないなあということです。各フロアは適当に空間が区切られていて、狭さを感じないように配慮されているのですが、見晴らしのいい屋上にきてしまうと、狭小さを実感してしまいます。

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 そんな中でもまず目を引くのが観覧車。とても小さいですけど、都内では唯一の屋上観覧車だそうです。

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 他には真っ白なトランポリンもあります。

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 それから、エコドライブという漕ぐのが無意味に大変そうな車もありました。他に小さなイベント用のステージもありますけど、この狭さにもかかわらず最大の面積を割り当てられているのが休憩スペースではあります。

 まあでも、一時のデパートの屋上の寂れっぷりを思い返すならば、かなり頑張っているとも思います。かつて百貨店の屋上といえば、それこそ小さな遊園地みたいでアトラクションもたくさんあって、週末ともなれば親子づれでごった返していたものを、それがかなり落ちこんだところから、今また試行錯誤しつつ盛り返そうとしているでしょうか。

 さて、帰路について京急蒲田駅を通りかかると、前に来たときにはまだ工事中だった通路が完成して通れるようになっていました。

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 まあでも、ルートが遠回りでどうとかということでなく、さすがにもう飽きました、蒲田。3回も行けば、それゃ飽きますよね、ふつう。ニューヨークだって3回行けば飽きると思います。

 そんなあれやこれやを振り返りながら環状八号線、カンパチを羽田方面へと向かいつつ、目指すは最後のミッション、荻中公園です。

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 東京都大田区の西は第一京浜、北は環状八号線で区切られた南東部というけっこう広大な地域の避難場所に割り当てられているっぽい、この公園。大師公園みたいなものかと思いながら行ってみたところ、まあほぼそんな感じでしたが、わずかながら大師公園より広く、施設も充実しているように感じました。こちらへ引っ越してきた当初は、大師公園の広さですでに驚きでしたから、名前は地味なくせに侮れません、萩中公園。

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 子どもむけの野球場なんかも、バックネット裏や両サイドにベンチが設けてあります。別になくても支障はないでしょうが、ないよりはあった方がいいような気はします。

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 ポンコツ公園という一角には廃棄された機関車やバス、消防車なんかがずでんと据えられていて、大人でもけっこう楽しめる人はいるんじゃないかと思います。

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 軌道モーター車なんてシブい乗り物もあったりしまして、子どもがむこうを向いていたからちょうどいいと思って撮ったら、その瞬間にはこちらへ振り向いていたらしく、画像処理ソフトを立ち上げてモザイクをかけなくちゃいけなかったので面倒でしたよ。

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 自動車教習所みたいにアスファルトのコースがめぐらされている一角もあって、ここはまだ補助輪のとれない自転車乗りたちが疾走していました。

 こうしてすべてのミッションをつつがなく完了させ、新たなミッションがそこで見出されたとしても、そんなものはすぐ封をして見なかったことにしようという固い決意を胸に大師橋を渡って神奈川県川崎市へ戻り、いつもは渡り切った後そのまま直進するのですが、その時はなんとなくすぐ曲がって河川敷のサイクリングコースに沿って歩いてみたところ、川から離れた高台のところになぜか大量のテトラポッドが並んでいました。

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 このあたりは河口から3kmのところにあたるそうです。

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 そして、ヘリポートがありました。

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 横から見るとすごく読みにくいけど、上空からは読みやすいのでしょう、大師河川防災ステーションと書かれています。

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 なにか大きなことあったら、ここへ物資を運びこんだり、負傷者を搬出したりするのだと思います。ものものしいですな。でも、近所の子どもたちはふつうの空き地みたいに遊んでいました。

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