mixiユーザー(id:9504635)

2015年11月11日18:13

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素晴らしい作品は受け手があってはじめて成立する

音楽であれ、絵画であれ、小説であれ、とにかく創作と言われる作業をする人たち、その音楽を演奏したり歌ったり、物語を演じたり、とにかく表現という作業をしている人たち、始まりにおいて、その目的は色々かもしれないけど、一つのことに向き合って続けていれば、きっと最終的には"いいもの"を作ろうと思わずにはいられないと思うのです。

で、その"いいもの"っていうのが何かと言うと・・・たぶんそれって、受け取った人の"心に響くもの"ということじゃないかと思うのです。

でもね・・・最近思うのです・・・人の心が響くためには、その心が響こうとしていないとダメなんだって。もちろん「さぁ響くぞ」って意識して頑張らなきゃダメってことではないのですよ。むしろ、意識しているようじゃダメかな。たぶん無意識レベルで響く準備ができてないとダメなんじゃないかって思うんです。

というのも、わたし自身が今、なにを見ても何を聞いても何に触れても、それをちゃんと感じる力がないなぁ〜って思うから・・・作り手が頑張って頑張って、どんなに"いいもの"を作ってくれても、それをちゃんと受け取れないなあって思うから。

となるとね・・・人の心に響く"いいもの"って、作り手だけでは成立しないんだなって、つくづく思うわけです。受け取る個人もそうだし、それが生み出され受け取られる環境もそうだし、いろんなものが響き合わないと成立しないんだなって。

そう仕組みを、脳科学だったり心理学だったり社会学だった経済学だったり色んな学問が色んな角度から分析して解明して、ある程度は操作の方法みたいなものが見つけられたりはするのだと思うんだけど・・・で、それでマーケティング的なことが行われているのだと思うんだけど・・・わたしにとっては、そういうことはどうでもよくって・・・っていうか、そういうことは好きじゃなくて・・・

ただ、その人が、何も頑張らずに、ほわっと幸せで・・・だから、出会う色んな"いいもの"に素直に反応して、それでまたほわっと幸せになれる・・・そういう人と"いいもの"との出会いが世の中にたくさんあればいいのになって思うのです。

少なくても、ひどく辛い気持ちの人につけこんで、その心を異常に揺さぶって支配するようなことが、意図的に行われるようなことがないようにと思うのです。

辛い時に「あの音楽に出会って」「あの小説を読んで」「あの漫画があったから」救われたなんてことも沢山あるから、心がギリギリな状況にあるからこそ受けとれるものもあるし、そんな特別な力を発揮できるからこそ"いいもの"なんだとも言えるんだけど・・・

できれば、幸せだからいっぱい感じていっぱい受け取れる、そんな人と、そんな"いいもの"が溢れる世界であって欲しいなと思うのであります・・・なんか、意味不明かな(^^;。

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