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2015年10月26日19:03

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父娘の混浴 日本では歴史的にアリだが欧米では性的虐待扱い

父娘の混浴 日本では歴史的にアリだが欧米では性的虐待扱い
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3681748

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 10月13日に放送された「マツコの知らない世界」(TBS系)で紹介された「温泉好きの父娘」が、意外な論争を呼んでいる。これまで2000か所以上の温泉を回ってきた2人は、全国の秘湯や温泉グルメを紹介しているのだが、視聴者が食い付いたのはそこではなかった。

 

 22歳の娘とその父親は、混浴可能な温泉の場合、2人で混浴しているというのだ。番組内では、もちろんバスタオルを巻いているものの、父と娘が実際に混浴している様子が映し出された。

 

 ネットでは、この様子が大変な話題となっている。ツイッターでは、「この親子良いな。ホント仲良さそう」「羨まし過ぎるんだけど」「かなり綺麗な娘と混浴し続けられるなんて理想の生き方じゃないか!」などの声が相次いだ。

 

 マツコは、「お父さんは幸せだろうけどさ〜」といいながら、「2人で入っちゃうの平気?」と娘に疑いの目を向ける。だが娘は「平気です!」とあっけらかんとしていた。

 

 実は家庭での入浴においても、父と娘の混浴は“高齢化”している。朝日新聞デジタル(MOM’S STAND)が子育て世代に向けて行なった読者アンケートでは、「親とのお風呂、いつ卒業?」という質問に、父と娘の場合、「小学校高学年まで」が29%、「低学年まで」が20%と回答。ここまでは妥当な結果だが、意外なことに「中学まで」が16%、さらに「19歳以降も」と回答した人が17%もいたのだ。

 

 芸能人でも、関根麻里が中学まで父の関根勤と一緒に風呂に入っていて、「いまでも入れる」と公言している。娘が思春期を迎えても一緒に風呂に入る父親は、案外多いのである。

 

 株式会社バスクリン広報でお風呂博士として知られる石川泰弘氏は、父娘の混浴は「日本では歴史的にみてもアリ」だという。

 

「日本には昔から混浴文化があるんです。江戸時代の銭湯は混浴でした。多くの家族が一緒に入っていて、入浴後は家族やご近所さんとコミュニケーションをとっていました」

 だが、注意する必要があるのは、それがあくまで「日本の文化」でしかないという点だ。ヨーロッパやアメリカでは、親子が裸で一緒に入浴することは「性的虐待」にあたると考えられており、外務省も海外安全ホームページで具体的な事例を挙げて注意を促している。「先進国に暮らす邦人一家。現地校に通う娘が作文に『お父さんとお風呂に入るのが楽しみ』と書いたところ、学校から警察に通報、父親が性的虐待の疑いで逮捕された」というから恐ろしい。

 

 フランス在住の日本人ジャーナリスト、宮下洋一氏はいう。

 

「父と娘の混浴は日本では当たり前ですが、欧米人には異様な行為に映るのは間違いない。欧米では、この話を自慢気に話さない方がいい。いくら説得しても理解してもらえず、白い目で見られますから」

 

 もっとも、多くの父親は、物心ついた娘から「キモいから一緒に入りたくない」といわれるのがオチだから、そんな心配もなかろうが。
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海外では子供とのお風呂が虐待として認識されるのは有名だと思う。といっても海外に行ったことはないので、本当のところは知らない。日本に来る海外の人がどう思っているかも知らない。

第一、日本とヨーロッパ、アメリカではお風呂の形が違う。あっちはどっちかといえば風呂おけがでかいだけ。湯船ではない。

つまりタライの中で寝そべっている雰囲気。そりゃ日本でも変態かも知れない。

日本人は結構、他人の行動に寛大なところがあって、これはお国が違えば違う風習があるのは当たり前という前提がある。これが、江戸時代に涵養されたのはたぶん間違いないと思う。

この狭い国土の中に二百数十藩がひしめいていた。それが21世紀にも続く県民性などと生み出した。驚くなかれ、同じ県の中でさえ、異なる県民性が同居しているのである。

アメリカには50州ある。南北戦争で北部と南部でカルチャーも違う。他民族である。様々な人種、ルーツの異なる人々。それをまとめ上げるのは合衆国憲法しかない。

それほどの違いがありながら、お風呂についてはどうやらみんな同じ感情を抱くらしい。ただ変態!と。

ヨーロッパである。ローマの時代から、興亡を繰り返してきた。ある意味では世界中の文化の吹き溜まりでさえある。民族の違いであれほど、血を流しながら、お風呂の世界では、日本人を変態!と呼ぶのに一致しているらしい。

異なる文化があれば、何があっても驚きはしない。そういう話は、スタートレックの中でさえ、語られているのである。異星人の全く違う風習にピカードが一生懸命なのは面白さの一つではないか。

そう思うと、どうもよく分からない。日本人の方が、生まれが違えばあらゆることが違っていても驚くには値しないと考えるのに対して、どうやら、この記事に従えば、ヨーロッパの人々にはそういう考えはないらしい。

こうあらねばならぬというのは思い込みであろうか。それとも世界の中心には自分たちしか存在しないと思っているのであろうか。


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