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2015年10月20日21:17

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鳥取/兵庫県境は絶景続き

三週間連続の「歩きつなぎの旅」でした。先々週に鳥取砂丘を歩いた後の旅路に続いて、今年中に兵庫県との県境を越えるという目標を達成したかったのです。まだ決まらないゴールに向けて、また一歩近づくだけが今回の旅の目的でしたが、期待していなかった絶景続きに山陰の旅のクライマックスを迎えようとしています。

新大阪発7:30の「スーパーはくと」での出発は三度目です。鳥取駅で普通列車に乗り換えて大岩駅に降り立ったのは10時36分。無人駅のホームの待合室には東南アジア系の若者が8人くらい屯していました。あいさつ程度の日本語はできるらしい。CANONの一眼レフを下げた男も見かけられて鉄道ファンなのかも知れません。

大岩駅から兵庫県へ淡々と国道を辿りました。何もない道を覚悟していましたが、30分もしないうちに道の駅へ到着。鮮魚売り場の面積が広くて、日本海産の各種の魚介類がケースの中に並んでいました。岩見町の中心街を通って日本海を目指しました。しゃれた商店や住宅も多くにぎわった雰囲気のある街です。列車が1時間に1本もこない街ですが、レジャーを日本海に求める人たちの中継地点としてにぎわっているようです。岩見駅が脇道の突当りに見えたけど先を急いでいたので訪問しなかったのは心残りです。歴史的な建造物の駅舎は、大正時代に建てられ、今上天皇のご訪問に備えて改築されたという経緯まであるのでした。岩見町にはLAWSONとFamily Martも近接して営業しています。道路の途中を遮っている大規模工事はインターチェンジの造営でコンクリートの橋脚が完成したところでした。

街の賑わいが切れて県道が国道に突き当たった向こうには日本海が広がっています。海は紺色と青色のグラデーションとなっていました。砂浜には鳥取砂丘の風紋と同じような波模様が広がっています。白い海鳥がたくさん砂浜を飛び回っています。波打ち際には透明度の高い海水が打ち寄せています。

この先は兵庫県との県境の峠に至るまで8kmちかく、海を眺める絶景ポイントに何度も目を奪われました。砂浜に「離岸流注意」という文字がイケメンのキャラクターと一緒に書かれた看板があります。海に突き出る岬の周辺には奇岩が並んで聳えて、怪獣が海の中に潜んでいるような風景です。先へ進むにつれて景色は荒々しさを増していき、コバルトブルーを呈した海も高い透明度のまま渦巻いています。岩の上には松の木が生えて、長い風雪に耐えて生き残ったことを誇っています。岩には長い年月の地層の褶曲と海水の浸食の歴史が刻み込まれています。

東浜駅の手前から漁村の面影を残す集落となりました。陸の孤島だった土地に悲願の駅が増設された(昭和25年)経緯が書かれています。山陰の海を目的に修学旅行生が訪れた時代もあったらしいけれど、大きな旅館は見当たりません。

集落を抜けて国道と再び合流した後は、県境へ向けての曲がりくねった山道の始まりです。2000年の春にこの道を浜坂方面から鳥取に向けて車で走ったはず。しかも浜坂のユースホステルで泊まりあわせた若い旅人を同乗させていたはず。記憶に残っていないので、当時の日記を取り出して調べると、山道の走行を得意になって楽しんだ様子が覗えました。23年間も乗った車を廃車にしたのは2年前、ドライバー歴30年に達する前でした。車の所有者として走った距離は15万kmくらいだと思います。かつて車で走った道を今度は逆側から歩いているわけですが、急カーブのコーナーを攻めながらのアグレッシブな走行をしているつもりの自分は、もう別人だという思いが込みあげます。筋力が弱くてスポーツがからきしダメな分、マシンの力を借りて運動神経に花を咲かせようとしていたわけでした。車の旅は列車の時刻や交通機関のルートに捉われないだけ自由だけど、景色を見るのは犠牲になると気が付いたのはいつのことでしょうか? 車の旅の利便性と自由、ユースホステル宿泊での出会いと時めき、いろいろなものを捨てた代わりに手にいれたものは何だったのだろう?

坂道を登り始めて間もなく私と同じようにカバンを下げた普段着の同年代と思しき男性の旅人とすれ違いました。また坂を登って行った先の休憩所&展望台ではバイクの三人組が黙ったまま海を見るでもなく佇んで体を休ませていました。県境に達したところで「浜坂町」が「新温泉町」と名前を変えたことに気づきました。この先は兵庫県の西端の駅である居組の地名がずっと続き、ワインディングロードは峠を越えた後も2km位続きました。被介護の高齢男性を車椅子に乗せて坂道を登る中年の男性とすれ違いました。父親に海の景色を眺めてもらおうと登っているに違いありません。展望台からは居組の集落の黒い瓦の並びも見渡せました。

当初の予定では兵庫県入りが目標で、集落から800m位山間に入って周囲に何もない秘境駅に他ならない居組駅をゴールとするつもりでしたが、集落に降りてきた時刻はまだ午後2時過ぎで2時間くらいの余裕がありました。気がついたら国道を外れて水産物の加工などで賑わいも感じられる集落の中で方向を見失いかけていたので、居組駅を探すよりも浜坂方面のルートを取り戻すことにして、じきに国道へたどり着きました。

居組の集落を越えても海には奇岩の並ぶ絶景が続きました。できる限りまっすぐに京都方面を目指そうとする国道にはトンネルが三つもあって、歩道となる路側も比較的広くて安全でした。諸寄の集落も漁村の雰囲気を残すけれど、居組同様にどこか活気がありました。小さな公園では小学生の男の子4人が元気に隠れんぼうのような遊びに熱中していました。

諸寄の駅まで小道が込み合っています。諸寄荘ユースホステルがあり民家をそのまま旅人に開放した宿の様です。海沿いには浜坂ユースホステルがあり、1992年の2月と2000年の3月に宿泊して、旅人同士のカニ鍋やカニ尽くしを堪能したので、今回の旅でも思い出の宿を再訪問してみたい気持ちもありました。けれど浜坂ユースホステルは国道から分かれた道を登っていった先で、歩きの旅の途中で気軽に寄れるところではないようです。また後で検索して調べたら、長期休業中で実際は廃墟同然の姿をさらしているとのこと。ユースホステルの凋落の激しい昨今ですが、特にその悲しい現実と対面するのは辛すぎます。浜坂ユースホステルは思い出だけを胸に秘めることにしました。

諸寄の駅は山間部に入りかけたところにまるで庵を構えたみたいな佇まいでした。まだ浜坂駅まで行く余裕がありました。国道に沿えば良いのですが結構アップダウンがありました。踏切を渡って山陰線の北側の道をたどって駅へ向かうと場末の景色。15時45分に浜坂駅へ到着。駅の北側に温泉街の入り口があり、駅の正面の駅名の看板は温泉宿ののれん風でした。鳥取行の列車は15分後。当初の予定のゴールだった居組駅は10分後。周囲になにもない駅から、三時間前に坂道ですれ違ったオジサン他数名、秘境駅の見物に来たに違いない乗客が乗り込みました。

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