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2015年10月16日22:12

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歩きつなぎの東回りコース、とうとう北陸に到達!

10月の連休を「歩きつなぎの旅」に使いました。新潟県の柏崎市に二泊して三日間の歩き旅。甲信越と呼ばれる地域の一部は通り過ぎて、北陸に近づきつつあります。

大阪を出発したのは10日土曜日の午前7時前。東海道新幹線と上越新幹線を乗り継いで「歩きつなぎの旅」のスタート地点に至るのは今回が最後になります。燕三条駅で45分の待ち合わせで乗り継いだのは前回と同じ12時17分発の弥彦線でしたが、人の乗り降りは結構多くて吉田駅まで満席に近い状態でした。吉田駅で越後線に乗り継ぎ、西山駅からの出発時刻は13時25分。大阪からは北陸線まわりの方が近いし安いのですが、越後線の本数が少ないので、午後遅くない時刻の出発のためには新幹線を乗り継ぐルートしか選択肢がありませんでした。

西山駅のホームは一面しか使用されていなくて、向かい側のホームは草だらけに放置された感じです。地元の住民など数人が降り立ち、駅前の家では小学生が家族と一緒に遊んでいました。道路の中央に融雪用の水の出口が並び、アスファルトが鉄の錆に染まっている通りから踏切を渡って国道へ抜けました。

国道116号線を少し進むと「刈羽村」の表示があります。全国的に市町村合併が進められているので「何々村」の表示は街道筋では希少になりつつあり、刈羽村も周りの市町村合併から取り残されて孤立しているようです。原子力発電所の存在が影響しているのかも知れません。国道を離れて県道をメインのルートとして歩き出すと、庭と家庭菜園を持つような民家の並びが続きました。また小さな木の板をうろこ状に貼りあわせた壁の伝統的な日本家屋も見かけました。

線路の近くを通る道を進んで歩いたのですが、二時間以上、列車の姿は見られません。刈羽駅の駅舎は工場の控室のような簡素な造りです。次のやはり簡素な駅舎の荒浜駅まで歩いたところ、5分後に柏崎方面から列車が来るというアナウンスを耳にしながら、白と緑のストライプの普通列車が畑の中の築堤の上を走り抜けるのを撮影しそこなったのは不覚でした。

東京電力(原子力発電所)の方面への道への分岐点には、大きなスーパーマーケットがあり食料品や日用品の品ぞろえが壮観です。桃ジュースのビンが数十本並んでいて、刈羽村が原子力発電だけでなく桃の産地でも有名なことをアピールしていました。地方都市に多いチェーン店の宮脇書店はスーパーマーケットの中に開放された店舗を持っていました。

柏崎市に入ると沿道の景色も一時代前の都市郊外のような景色になり、生垣で囲った家やコンクリートの垣がかなり苔むした家も立ち並んでいます。市街地へ向かうにつれてごちゃごちゃした街並みになり狭い路地が張り巡らされていました。古い瓦屋根のお屋敷もあるようです。

駅前公園には文化会館がありチョコレート色の壁の立派な造りでした。内部には市民に開放された一室もあり、読書や勉強や調べ物に打ち込む主婦や学生の姿がありました。文化会館のイベントとしては、三遊亭圓楽一門の落語会がチケット売り切れ御礼、11月末にはクリスティアン・ツィメルマンのシューベルトのリサイタルが予定されていました。

すでに日が暮れていました。紫色に染まった空をバックにピンク色の筋雲がたなびいて美しい夕暮れの明かりの中に駅と駅前のホテルの明かりが浮かび上がりました。柏崎駅に到着したのは17時半。駅構内には越後線と信越本線の時刻表のボードが並んで立っていましたが、1日9本の越後線と1時間に1本以上列車の来る信越本線と明らかな差を示していました。

翌11日日曜日は軽い腹痛があり体調が思わしくないので9時過ぎのスタートとなりました。天気は前日の夕映えとは裏腹に曇っていました。柏崎駅から駅前の通りをまっすぐに北上。前日の夜に夕食に出かけた時、午後7時でも人通りが少なくてシャッターを下ろしたような店が多くて少し寂れた印象でした。商店街は雨避けの廂を連ねていて1970年代頃の地方都市の雰囲気です。西へ向かう道へ進路を変更すると、イチョウ並木が色づき始めた通りになりましたが、川を越えるとまた古めの住宅街と商店街が続いて住民の年齢層も高そうでした。

やがて海が見えだしました。新潟県の歩き旅で海が見えるのは1月に雪の中を歩いた村上市から120kmぶりのことでした。この時刻は海の表情はかなり穏やかでした。海が見える景勝地として旅館も何軒か立っていて、主人か番頭らしい人に「旅行ですか?いい処ですよ!」と声を掛けられたりします。鯨波駅のあたりは線路も複線になっていました。駅を過ぎたあたりで海をバックにレールが緩やかなカーブを描く絶好の景色が広がり、しかもずっと前方から三両編成の白地に青の帯の普通列車が走ってくるのが見えました。いい感じに列車の姿をカメラに収めるのに成功しました。線路を見下ろす位置に構える旅館の案内の看板には鉄道ファンへの歓迎の言葉がありました。時刻表の表紙に使われるような鉄道写真の撮影ポイントに違いありません。

この先の道は海沿いだけど山が迫って険しい地形が続きました。海水浴場とセットのような青海川の駅も国道の鉄橋から見下ろすところにあります。手すりから下を見下ろすと目がくらみそうな鉄橋には歩道が無くて、こちらを避けて走る車がはね上げる水たまりの水を避けがたい状況にもなりました。笠島駅の手前から海水浴場まで降りて行ってみました。道はつづら折れの坂道です。ススキの穂が海をバックに伸びて秋本番の風景です。トンネルを出た列車が谷間の橋を渡る瞬間の姿にも遭遇しました。海水浴場では家族で訪れた小学生の男の子が一人で泳いで遊んでいました。岩場には釣り糸を垂れる若い二人組の男がいました。鉄道のコンクリートのトンネルの隣にはレンガの廃トンネルが残っていていますが、向こう側の出口ははるか遠くて真っ暗で見えないようです。

笠島駅を後にしましたが、もとの国道まで戻るまでに4kmくらい歩いた気がします。海に突き出た半島は馬の頭のようにもワニが顔を出しているようにも見え、褶曲した地層の断面を露わにしています。国道の方向を見上げると赤い橋脚のはるか上を鉄橋が渡っています。こちらの道は橋にたどりつくまでに鉄橋のはるか下をくぐりながら大きく迂回して谷を越えました。橋から下を見下ろすと鬱蒼とした木立の合間の岩場を清流が流れているのが覗えました。また海沿いには黒い瓦の家々が身を寄せ合っていました。

国道にたどり着いたら今度は天候が悪化していきました。雨が降り出して次第に強くなり、風も強くなって傘を差すのも難しい状態です。歩行者の歩ける路側が広く取られているのが幸いでしたが、前方から激しく吹き付ける風雨に進行を妨げられ、カバンの中に入れた新潟県都市地図にも雨のシミを生じました。

雨が弱くなったところで国道から離れて柿崎駅へと向かう県道に進路を変更しました。古めの建物が並ぶ市街地で、道路中央に融雪用の水の出口が並びアスファルトが鉄錆で赤茶色に染まっているのも新潟県のおなじみの街の景色です。柿崎駅に到着したのは14時40分。駅の待合室には高校生のカップルがだらしなく寄り添い、男の方は耳ざわりな音をまき散らしながらゲームに没頭していました。もう一人の初老の客は旅人風で雨に濡れた荷物を乾かすためかベンチに広げていました。時間的には三駅間くらい余裕で歩き進められそうだけど、体調があまり良くないし、柏崎行の電車が10分以内に来るというタイミングだったのでこの日の歩きはここで切り上げることにしました。それでも20kmの歩行距離でした。

祝日の12日月曜は天候が回復して晴れました。三日目の歩きは直江津駅を目指して、ひたすら海沿いの県道を歩き続けました。柿崎駅から西へ向かう県道の沿線は、ツタの絡まる壁があったりして一昔前の雰囲気の残る街並みでした。途中の家からポメラニアンが飛び出してきて50mくらい追っかけてきたりしました。

柿崎市から上越市大潟区というところへ入ったところで、道路中央の融雪用の穴の並びが終わっていました。この先は雪を解かすのに新しいシステムを採用しているのでしょうか? 防風林を抜けて海を眺めると砂浜が広がり、西の方向には石油タンクが並んでいるのが見えて漁村でも農村でもない街が広がりつつあるようです。さらに行くと由緒ありげな神社の境内で子供もたくさん集まって焼き芋大会を行っていて、落ち葉を集めるようにとの町内会の主催者の声も何度も聞こえてきました。枯葉の焼ける煙の臭いにも懐かしさを感じました。

神社や寺も多い古めの街ですが、少しずつ現代的な街に移り変わっていくようです。新建材で建てられた家も増えだし、新しい材料を使って伝統的なスタイルの日本家屋風な家を建てる試みもあるようです。バス停の建物が木造だったり、古い木製のごみ箱が道端にあったりするところに伝統的な日本文化を守ろうとする気概も感じられました。

直江津の一つ前の黒江駅あたりは工業地帯の一部でした。鉄鋼所らしい事業所には消防車が多数集まって、防災訓練の最中でした。信越化学の事業所の回りを歩くのに、踏切の往復を強いられました。工業の用水として使われているに違いない川を二度も渡って、直江津の市街地へ向かいました。途中コンビニで休憩し、市街地では路地をジグザグに歩いたりして直江津の駅に到着したのは13時25分でした。

直江津は北陸といっても良い土地らしいです。歩きつなぎの旅の東回りのコースもとうとう大阪へ日本海に沿って帰れるところまで来ました。北陸新幹線の上越妙高駅まで行くには「えちごトキめき鉄道」で10分ですが、直江津での列車待ちは30分以上。上越妙高からの北陸新幹線は、東京方面は満席だけど金沢方面は余裕あり。金沢では30分以上並んで待ったので「サンダーバード号」の自由席に座れたけれど、満員になって少し息苦しくなりました。真っ暗な中を福井県の難所を次々に通過しているようです。新大阪到着は19時半頃。まだ今後は日本海側の長い旅路が残っているようです。

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