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2015年09月30日18:24

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映画「卍(まんじ)」 1964年 

弁護士を夫に持つ人妻が、偶然知り合った独身の若い女の魅力の虜となり、同性愛の関係に陥る。そこに若い女の恋人である青年が絡んできて、夫を交えて奇妙な人間関係と倒錯したセックスの世界が、人妻の告白という形で描き出されている。女同士の同性愛という、その頃の日本映画ではタブー視された題材であるが、増村監督は、“恥も外聞もなく欲望を表現する狂人“たちが繰り広げる饗宴を肯定的に力強く描き、増村流美学をみなぎらせている。なお、この小説の映画化は市川崑監督が長年温めていた企画であるが、市川監督が「東京オリンピック」にかかったために、増村監督が演出を務めたという経緯がある。
監督: 増村保造
出演者: 船越英二、 山茶花究、 岸田今日子、 三津田健、 川津祐介、 若尾文子

今日、この映画を 名古屋の「シネマスコーレ」で観た。

若尾文子の若い頃を 全く知らないが、丁度 仕事が休みで、何か映画が観たくなり、あまりどういう映画か 調べなくて観た。

1964年というもう50年以上も前に、こんな衝撃的な映画があったとは知らなかった。

若尾文子がすごく小悪魔で、可愛らしい顔にもかかわらず 大胆で、美しくて ビックリした!

こんな官能的な映画だったとは!

全然予備知識なしで観たのであるが、岸田今日子や船越英二が こういう官能的な映画に出演していたことにも驚いた。
始めは、妻を叱っていて、道徳的な夫だったのに、「ミイラ取りがミイラになる。」というのは、こういうことだな。と、思った。

男でも女でも 両方を虜にしてしまって、「愛の奴隷」になってしまったというのはありえることなのかな?

始めは 夫婦だったのが、一人の女性・光子を愛する同士になってしまう関係になって、「死」ということが段々と真実味を増してきた。

河津祐介の役が 巧妙に 罠を仕掛ける男で、こういう人に関わったら怖いな。と、思った。

この時代の映画は、全裸は写していなくて、足だけ 少し写すだけで、エロティズムが 表現できるんだなあ。と、思った。

映像を観ると、そんなに淫らな映画な感じがしなかった。
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