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2015年09月25日04:17

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神は言っている、ここで死ぬ運命ではないと・・・

「そんな身体で大丈夫か?」

「大丈夫だ、問題ない」


『神は言っている、ここで死ぬ運命ではないと・・・』


と、まあ、ゲーム El Shaddai - エルシャダイ - から有名な台詞を拝借しましたが・・・
我輩の生活の中でそのような会話がなされる様な事柄がタイムリーにも2件ありました。 (゚◇゚ )

9月23日のニュース「腎臓の再生医療」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150923-00000011-mai-sctch

おおっ!すごい!!
10年持ち堪えれば、わし、復活するかもしれんで。 :(;゙゚'ω゚'):


9月24日のニュース「森嶋家の明るい幸せ計画」
腎臓移植への意思はあるのか合意を求めて 9月24日に森嶋家の御両親が来訪。

腎不全により緊急入院を余儀なくされた当日から、両親は「私らの使える腎臓をやる!」と訴えてた。
親父は73歳、お袋は68歳。
どれだけ健康だろうが高齢の身体にメスを入れさすなど自分は考えられない。
手術中に間違いが起こる可能性だってある。
癌とかで臓器を頂かない事には確実に死ぬとかであったなら、ありがとう!と喜んで受け入れられた事だろう。
でも、腎不全だったら透析さえ行えば命を延命できる。
わしは頑なに拒否したよー。
今まではね・・・
だが、透析生活も一ヶ月も過ぎ冷静に考えられるようになってきた。

そこで思ったのが、「これって、ただ俺の自己満足なだけじゃないだろうか??」

もし、仮に逆の立場だったらわしは必ず子供がなんと言おうが臓器を譲るだろう。
確実に、絶対に。
ましてや、わしは森嶋家の一人息子。
愛する対象がわししかいないから二人の心配や不安もさぞかし大きい事だろう。
二人の意思である腎臓移植を有難く受け入れて、二人に安心を与えるほうが心配させるよりも良い事なんじゃないだろうかと考えるようになった。
ただ、内心は正直受け入れるのが非常にカッコ悪い事だと考えている。
これは単なる自分の見栄なのだが、10代の先ある子供ならいざ知らず40過ぎたオッサンである。
どうにも自分の中でこの歳で親に甘えるという事が消化出来ないんだよなあ・・・^^;

まあ、それよりも移植するしないにも、まず臓器の適応があるかどうかが問題なので来月に病院へ検査の予約をしに行く事になりました。
まだ、時間はある。
真剣にじっくり考えよう・・・。 ('・_・` )
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