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2015年09月21日08:27

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鏡は自分の御霊を映すもの


「かがみ」の真ん中の「が」を取り除くとカミとなります。
小林美元「古神道入門」に王位の象徴としての三種の神器の一つである鏡について解説しています。

宇宙の法則を象徴する三種の神器
宇宙間のあらゆるもの、太陽も月も地球も、その他の惑星も球形です。宇宙間の一つの現象としては神器を表現するものはすべて玉で表現されています。
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三種の神器の一つである鏡も、本来球形のものであるべき太陽を平面的に象徴的にあらわしたものです。鏡についてはいろいろと古語の解釈もありますが、「かがみ」の真ん中の「が」を取り除くとカミとなります。直霊(なおみたま)を正しくして、自我を消していくところにカミに通じる道があるということですね。

鏡は自分の姿を映す、万物を映す。正は正なりに、邪は邪なりに、善は善なりに、悪は悪なりに、この鏡に映る。またこの鏡というものは必ず日・月・星という光を反射する。
このようなことから鏡は神社の御神体として用いられるようになってきたわけです。

神の御心に倣(なら)う「御鏡御拝」の儀

天皇が毎日早朝になさる行事として、御鏡御拝(みかがみぎょはい)というのがあります。
・・・・・・・略・・・・・・・
この御鏡御拝の儀というのは、ご先祖のアマテラスオホミカミ(天照大御神)の御霊と格合するという深い意味が込められています。
祀られる神と、祀る人。この関係がだんだんと近づき、祀る人もやがて祀られる神になる。その回数を経て、神に昇格していくというような方法を御鏡御拝の儀として捉えています。

もっとやさしく言えば、自分の姿を鏡に写して神の御心に倣うということです。つまり自分の神から賜った御霊を拝礼するということにもなります。ですから、宗派によってはこういう儀式を自霊拝といいます。

仏教の教えにも、「仏法はるかにあらず 心中にしてすなわち近し」という言葉あるように、自分の中に秘められている神様を拝むことによって、だんだんと限りなく神に近づく。その一つの奥義が御鏡御拝なのです。

何のことはないと思われる方もいるかもしれませんが、これはまさしく神道の神髄といってよい大事な儀式です。

昔、鏡というものは、娘が嫁に行くときに母親が必ず持たせました。ひそかにそっと持たせるわけです。今日のように洗面所の前にある鏡などと違って、鏡はその人の御霊そのものでしたから、その扱いも非常に大事にされ、普段は覆いをかけてあるわけです。明治の頃まではそうでした。

覆いを外した鏡に裸になった自分の真の姿を映す。そして御鏡御拝の儀として、終わったらまた覆いをかけておく。どんなに貧乏な人でも、柄のついた小さな手鏡くらいは必ず持っていますから、毎朝、その手鏡を自分の御霊として映し、薄い紅をつける。欧米人の感覚からすると、ただお化粧をする道具にしか思えないかもしれませんが、決して単なる道具ではなかったのです。
(以上)

私たちの先祖が守ってきた日本古来の美しい伝統や精神を何時までも伝えたいものです。



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