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2015年08月30日21:53

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今日の「花燃ゆ」

第二次征長戦たけなわです。

ところでこのドラマではずっと現代と同じ「下関」で通してますね。
「花神」では下関のことを「馬関(ばかん)」としか呼んでいませんでした。
実際に当時は下関と馬関、どっちがポピュラーな呼称だったんでしょうか?
(ちなみに「馬関」とは、かつて源平の壇ノ浦の頃の呼称の「赤間関(あかまがせき)」の「赤」が落ちて、「間(ま)」→「馬(ま)」→「馬(ば)」となって「馬関」になったと聞いたことがあります)
もっとも「下関」の名称の方が、「赤間関」よりも古いようですけれど。

「花神」といえばその主人公だった大村益次郎が、今日、また突然に降って湧いたように登場しました(笑)
あたまも大きくなく、あまり肖像画に似ていない普通の人ですね。
「花神」のときの中村梅之助が本物の肖像画にそっくりと評判になったのですが。
大村益次郎といえば東京招魂社(現在の靖国神社)の発起人の一人として、今靖国神社の境内に銅像が建てられていますね。
ちなみに靖国神社というと大東亜戦争というイメージが強いけれど、本来は幕末から戊辰戦争にかけての戦死者を祭るものであって、実は上記の大村益次郎本人も祭られているし、吉田松陰先生や高杉晋作、坂本龍馬も靖国神社に祭られています。

幕府軍艦の富士山丸が出てきました。
後に鳥羽伏見の戦いの後に、新選組を大坂から江戸まで運んだ軍艦です。

この征長戦争では幕府軍の本陣は広島に置かれたということですが、広島といえばかつて秀吉の時代の毛利家の本拠地が広島だったわけです。
徳川家康によって萩へと転封させられた毛利家ですから、徳川幕府に臣従していても、ずっと代々徳川に対してくすぶっていたものがあったのでしょうね。
その毛利家の故地の広島に幕府軍が本陣を置いたのでは、長州藩としてはそれが怒りの矛先になったのかもしれません。

最後の美和の中臈拝命のシーンでは、思わずもらい泣きしてしまいました。
実は自分はドラマや映画・アニメなどでも、人の死で泣くということはほとんどないのです。
むしろ、こういうところで泣くんです。
アニメでも、号泣したのは人が死んだ場面ではなく、「さくら荘のペットな彼女」の卒業式回でした。

来週から、ちょっとテンポが速まるのかな?
今後に期待します。
このドラマをちょっと見て「つまらない」と1話切りや3話切りしちゃった人たちは、ここからがおもしろくなるのにもったいないなあと思います。
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