mixiユーザー(id:51444815)
2015年08月28日12:22
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奏伝外伝 踏み出す一歩 ��
黄龍族と白虎族の演習当日。
見事な快晴なはずの白虎島の上空では、夜陰城を覆う黒雲が闇の霧のように立ち込め日差しを遮っている。そんな黒雲を切り裂き飛んでくる大きな錨（いかり）のような投擲兵器を閃く雷撃が撃ち落としていく。
海では白虎族の戦士達が巻き起こす大風が高い波を作り上げ、大きく突き出した艦首が特徴の超巨大戦艦『崩牙（ほうが）』が波の壁を突き崩しながら進んでいる。高波をものともしない船団に、黄龍族の戦士達は夜陰城の黒雲『運廻（うんかい）』の一部を足元に装着し、向かい風に挑みながら空を駆って迫っていく。
先頭の崩牙の上では既に剣戟を交える音が鳴り響いていた。
「おい流剛・・・流剛！」
交差させた双剣で叩きつけられた大斧の刃を防ぎつつ、紫雷威が相手の名を呼ぶ。
「流剛！何かちげくね？！」
「む？」
押し返された刃を引き、流剛は間合いをとって立ち止まる。
「計画と違うだろ！俺と闘（や）り合ってばっかじゃなくて・・・嫁さんはどうした？」
夫婦の共闘を期待していた紫雷威はそればかり疑問だった。流剛は困ったような表情を浮かべる。
「それが沙耶なんだがな・・・」
「ちゃんとしてくれねぇと俺が困るんだよぉ！このままじゃ俺、一生一方的に結ばれた停戦調停で縛られる事にいぃぃ！うあぁぁぁぁ！！」
嘆きの声と共にがむしゃらに振り回される双剣を防ぎつつ流剛は察する。どうやら自分が授けた策も玉砕、どころか追い打ちをかけた結果になってしまったらしい。
「ま、待て紫雷威・・・おぬしの奥方も姿が見えんようだが？」
「あぁ？柚羅姫ならいつものように城の上から戦場把握を・・・あれ？」
呆れ声で夜陰城の方へ振り向いた紫雷威だったが、彼の目にも黄龍族らしくない厚着の女将（にょしょう）の姿は映らなかった。
完全に固まった紫雷威に向かい、流剛はひとつ咳払いする。
「紫雷威、先ほど言い損ねたから沙耶について言わせてもらうが・・・」
一方その頃、行方不明と思われていた柚羅姫は白虎島内への潜入に成功していた。
白虎族は黄龍族の大飛行部隊への対策として強い向かい風と幅広い船団の陣形で対抗してきた。その壁は広いが薄くなる。直接参戦を想定されていない大将・・・柚羅姫ただ一人による強行突破なら可能なのではないか、と考えた彼女の予想が的中したのだ。
「大体、紫雷威達が『相手本陣にある物資の奪取で勝敗を決する』とした時点で、そもそも白兵戦など不要なのです。頭が堅い・・・というより単に己の腕を振るいたいだけというのは戦闘種族同士の悪癖とも言いましょうか・・・」
柚羅姫は負傷した左腕を庇いつつ大理石で作られた白い廊下を走り、痛みを紛らわせるかのように独りごちる。流石に強敵の本陣へ単騎突入するという無茶をしては、さしもの柚羅姫も無傷では済まされなかったのだ。
攻城・防衛を目的とした野外演習という名目だけあり、城内ではほとんど人を見かけなかった。兵は外へ駆り出され、女子供などの非戦闘員は更に奥ばった安全地帯へ避難しているのだろう。
白虎島内には何度か会談や合議などの集合場所として出入りした覚えがあり、物品の設置場所として指定された大広間には難なく行き着いた。柚羅姫は大きな木製の重い扉を押し開ける。
整然と並んだ円柱に磨き上げられた床、上位の者のみが座すことを許される雛壇。その全てが大理石の白で統一された大広間の広大さと優美さはいつ見ても損なわれない、と柚羅姫は思う。夜陰城の黒曜石で出来た黒一色の空間も独特な気品があると自負しているが、見慣れないものや手に入らないものには羨望にも似た欲を感じてしまうのは人の性（さが）なのかもしれない。決して自分の手に入れたいという訳ではないが、どこか特別視したくなる魅力がそこにはあった。
しばらく見とれていた柚羅姫だが、己の目的を思い出し我に返る。
「確か雛壇の上の物を回収しろと紫雷威は言っていましたね・・・早く決着をつけて認めさせましょう。私の意見の優位性を」
柚羅姫が意を決して歩を進めた。その時、
「フフフ、随分遅かったな。待ちくたびれて寝てしまうところだったぞ」
壇上で人影が立ち上がった。奥ばった場所にいたために起立するまで階下からは今まで見えなかったのだ。新手の出現に柚羅姫は反射的に腰を落とし得物に手をかけ、抜刀の姿勢をとる。
「貴方が最後の砦・・・というわけですか」
柚羅姫を壇上の端まで歩み出し見下ろすのは銀髪の美女、白虎族副族長沙耶姫であった。
「思いがけず考案した策と用いた策が逆になったな。どうだ？自分の策略に嵌まった気分は？」
腰に手を当てて皮肉気に笑む女に、柚羅姫は眉を潜めてつつ更に腰を落とす。
「御託は不要です。武器を取りなさい」
対する敵は同じく一人だが油断はできない。今いる場所は敵の懐（ふところ）だし、自分は負傷している。何より、相手は男と互角上に戦える女なのだ。
しかし臨戦態勢の柚羅姫とは裏腹に沙耶姫は立ったまま戦う構えを見せない。いぶかしむ柚羅姫の心情に気付いた沙耶姫が肩をすくめる。
「残念ながら、私は流剛より戦闘を止められている。我らの勝負は次回に持ち越しとさせてもらう」
「なんですって・・・？」
「今回の勝ちはそちらに譲ると言っているのだ」
そう言って沙耶姫は視線を落とし、腰に回していた手を前に回す。察した柚羅姫の瞳が丸くなった。
「もしかして、貴方・・・！」
「昨夜医師に診てもらったのだが・・・どうやら『居る』らしい。最近妙に苛々して仕方なかったのも、このせいで体が変化しているからだそうだ」
「それは・・・おめでとうございます・・・と言うべきでしょうね」
「うむ、素直に受け取っておこう」
沙耶姫は毒気も戦意も抜かれて呆気にとられた様子の柚羅姫に向かって頷きつつ、高い靴音を響かせて雛壇の石段を降りる。
「待っている間に少し考えていた。己が変化しているという状況把握が出来ると、自分の思想も客観的に見れるものなのだな」
美女の顔に自己嫌悪の苦みが宿る。
「今思えば、私が貴様に向けていた苛立ちというのは過去の己に向けていたものかもしれぬ」
「過去の自分？」
「あぁ、自分の進む道は誰にも譲らず渡らせず、その道が一本だけだと信じていた頃の私だ」
沙耶姫は一族の最強説と絶対安寧を妄信していた婚前の自分を思い返していた。
「しかしその私も共に道を歩む・・・流剛と出会って少し変われた。無理をするなと制してくれる者、無理を通した時に背中を支えてくれる者・・・他人を頼っていいと、奴は身をもって私に教えてくれたのさ。・・・と、金輪際ないと思うが、私は私の過去を晒すという痴態でもって貴様への詫びとさせてもらおう」
一応、柚羅姫に対し理不尽な怒りをぶつけた事に申し訳なさを感じていたらしい。自己都合と同意ない方法で謝罪と解釈させる手前勝手さは相変わらずだが。しかしそれこそが彼女らしさ、とも言える。
階下に降り立った沙耶姫と柚羅姫が向かい合う。傍で並ぶと、靴の高低差を抜けば二人の身長はほぼ同じくらいだと判明した。
「私が此処にいるのは貴様に勝敗を決したという証拠の品をくれてやる為だ。しかし今回の敗因は他の誰でもなく出撃も戦場指揮も出来なかった私の責。だから族長流剛ではなく私の物で我慢しろ」
目の前に差し出された右手には桃色の花が連なった豪奢な簪が乗っていた。
「白虎族として戦わずして負けるというのは不本意極まりない。しかし・・・母になるという気分は・・・悪くないぞ」
諭すのか、はたまた己に言い聞かせているのか。
ぽつりと呟く女の手から、柚羅姫は静かに戦利品を受け取ったのであった。
○○○
「おーい柚羅姫。先日やった演習の報告書、上がったぞ〜・・・お？」
紫雷威が丸めた竹簡（ちくかん。古式の書類）を手に訪れた柚羅姫の部屋。家主は入口に背を向けて寝台に座り込んでいた。
「私、此度の試合はあまり勝った気が致しません」
やや落ち込んだ様子で女の背が思いを零す。
「白虎族副族長の不参加で相手の指揮系統は本来の半分しか機能しておらず、紫雷威の頼み事で流剛殿には要らぬ心労をかけたという話ではありませんか」
「げ・・・後半のソレ、何処で聞いたんだお前・・・？」
紫雷威が苦い声を出す。おそらく城内で噂好きの女神侍女二人組が、耳に入った噂を辺り構わず垂れ流しているのだろう。人の口に戸は立てられぬというが、彼女達の口元には拡声器が付いていると言っても過言でない。
「それにしてもあの方・・・戦いしか知らない女性とばかり思っていたのですけど・・・」
美しい顔をしながら無茶とも思える戦略を打ち出す非情で冷徹な女将。登龍門や戦女神とも呼ばれる世間の風評も相まって、柚羅姫が沙耶姫に対する最初の印象はそうだった。おそらく沙耶姫を知る多くの者達が柚羅姫と同じように考えていることだろう。
しかし大広間で出会って、彼女は状況に応じて耐え忍べる女なのだと印象が変わった。もしくは妊娠によって沙耶姫自身に身体だけでなく精神の変化が訪れている最中だったのかもしれない。勿論、当人にその話をすれば鼻で笑って否定するのだろうが。
しかし目の前で作られた沙耶姫の最後の笑顔。それは血塗れた武将が浮かべるにはあまりにも優しく、慈しみに溢れていて・・・。
「け、決して対抗したいという訳ではないのですが・・・・・・あんな顔が出来る母という存在になること・・・少しだけ羨ましく感じてしまいました」
「柚羅姫・・・それはつまり・・・」
「その・・・」
紫雷威の言葉を柚羅姫が遮る。
「あまり大きな声で言いたくありませんが、知識としては心得ていますが、誰しもあるように、その・・・初めてですから・・・」
寝台の上で柚羅姫は体の向きを変える。柚羅姫は壁に打ち付けていたはずの枕を両手で抱えていた。羞恥で紅く染まった顔半分を腕の中の枕に埋めつつ、耐えるように抱く力を強める。
紫雷威の視界に移る枕の色は、白だ。
「その・・・やさしく・・・して・・・くださいね・・・？」
僅かに顔を上げた柚羅姫の動きに連なって、金の髪に飾られた桃色の花の簪が小さく揺れる。
女として、妻となりやがて母となるにはいつまでも心身清廉（せいれん）な乙女のままでいられない・・・それは柚羅姫も自覚していた。別に失う事に未練がある訳ではない。むしろ本命の相手に捧げられる事を誉（ほまれ）にさえ思っている。
ただ側近や家族に『大事なもの』と言われ続けた我が身を相手に預けるという未知の領域・・・そこに自ら踏み出す事の出来ない意志の弱さと、それを甘受してくれた周囲に甘えてしまっていただけだ。
そんな柚羅姫を、夫婦の関係になってなお一歩を踏み出すまで耐え忍んでくれた目の前の夫には感謝しなければいけない。そして、変わる強さを教えてくれた彼女にも。
「そんなに怯えんなよ・・・」
紫雷威は手の竹簡を放り出し寝台に片膝と手をかける。姿勢が低くなり妻と視線同士がぶつかった。
「俺は好きな奴には優しい男なんだぜ？」
静かな笑みと言葉とは裏腹に男の瞳には獣の眼光。待ちに待った念願の成就に理性など簡単に崩壊したらしい。
狼の首輪を外してしまった当人は、本能が感じた悪寒に反射的に自らの言葉を覆そうと口を開く。
しかし息が音となる前に枕を抱いていた手を引かれる。浮いた腰に男の腕が回され、抱き寄せられる。これ以上喋るな、と噛みつくような荒々しさで唇が唇を塞いだ。
窓の外では夜闇が静かに更けていく。朝日で白むには、まだしばらく時を要しそうだ。
終
見事な快晴なはずの白虎島の上空では、夜陰城を覆う黒雲が闇の霧のように立ち込め日差しを遮っている。そんな黒雲を切り裂き飛んでくる大きな錨（いかり）のような投擲兵器を閃く雷撃が撃ち落としていく。
海では白虎族の戦士達が巻き起こす大風が高い波を作り上げ、大きく突き出した艦首が特徴の超巨大戦艦『崩牙（ほうが）』が波の壁を突き崩しながら進んでいる。高波をものともしない船団に、黄龍族の戦士達は夜陰城の黒雲『運廻（うんかい）』の一部を足元に装着し、向かい風に挑みながら空を駆って迫っていく。
先頭の崩牙の上では既に剣戟を交える音が鳴り響いていた。
「おい流剛・・・流剛！」
交差させた双剣で叩きつけられた大斧の刃を防ぎつつ、紫雷威が相手の名を呼ぶ。
「流剛！何かちげくね？！」
「む？」
押し返された刃を引き、流剛は間合いをとって立ち止まる。
「計画と違うだろ！俺と闘（や）り合ってばっかじゃなくて・・・嫁さんはどうした？」
夫婦の共闘を期待していた紫雷威はそればかり疑問だった。流剛は困ったような表情を浮かべる。
「それが沙耶なんだがな・・・」
「ちゃんとしてくれねぇと俺が困るんだよぉ！このままじゃ俺、一生一方的に結ばれた停戦調停で縛られる事にいぃぃ！うあぁぁぁぁ！！」
嘆きの声と共にがむしゃらに振り回される双剣を防ぎつつ流剛は察する。どうやら自分が授けた策も玉砕、どころか追い打ちをかけた結果になってしまったらしい。
「ま、待て紫雷威・・・おぬしの奥方も姿が見えんようだが？」
「あぁ？柚羅姫ならいつものように城の上から戦場把握を・・・あれ？」
呆れ声で夜陰城の方へ振り向いた紫雷威だったが、彼の目にも黄龍族らしくない厚着の女将（にょしょう）の姿は映らなかった。
完全に固まった紫雷威に向かい、流剛はひとつ咳払いする。
「紫雷威、先ほど言い損ねたから沙耶について言わせてもらうが・・・」
一方その頃、行方不明と思われていた柚羅姫は白虎島内への潜入に成功していた。
白虎族は黄龍族の大飛行部隊への対策として強い向かい風と幅広い船団の陣形で対抗してきた。その壁は広いが薄くなる。直接参戦を想定されていない大将・・・柚羅姫ただ一人による強行突破なら可能なのではないか、と考えた彼女の予想が的中したのだ。
「大体、紫雷威達が『相手本陣にある物資の奪取で勝敗を決する』とした時点で、そもそも白兵戦など不要なのです。頭が堅い・・・というより単に己の腕を振るいたいだけというのは戦闘種族同士の悪癖とも言いましょうか・・・」
柚羅姫は負傷した左腕を庇いつつ大理石で作られた白い廊下を走り、痛みを紛らわせるかのように独りごちる。流石に強敵の本陣へ単騎突入するという無茶をしては、さしもの柚羅姫も無傷では済まされなかったのだ。
攻城・防衛を目的とした野外演習という名目だけあり、城内ではほとんど人を見かけなかった。兵は外へ駆り出され、女子供などの非戦闘員は更に奥ばった安全地帯へ避難しているのだろう。
白虎島内には何度か会談や合議などの集合場所として出入りした覚えがあり、物品の設置場所として指定された大広間には難なく行き着いた。柚羅姫は大きな木製の重い扉を押し開ける。
整然と並んだ円柱に磨き上げられた床、上位の者のみが座すことを許される雛壇。その全てが大理石の白で統一された大広間の広大さと優美さはいつ見ても損なわれない、と柚羅姫は思う。夜陰城の黒曜石で出来た黒一色の空間も独特な気品があると自負しているが、見慣れないものや手に入らないものには羨望にも似た欲を感じてしまうのは人の性（さが）なのかもしれない。決して自分の手に入れたいという訳ではないが、どこか特別視したくなる魅力がそこにはあった。
しばらく見とれていた柚羅姫だが、己の目的を思い出し我に返る。
「確か雛壇の上の物を回収しろと紫雷威は言っていましたね・・・早く決着をつけて認めさせましょう。私の意見の優位性を」
柚羅姫が意を決して歩を進めた。その時、
「フフフ、随分遅かったな。待ちくたびれて寝てしまうところだったぞ」
壇上で人影が立ち上がった。奥ばった場所にいたために起立するまで階下からは今まで見えなかったのだ。新手の出現に柚羅姫は反射的に腰を落とし得物に手をかけ、抜刀の姿勢をとる。
「貴方が最後の砦・・・というわけですか」
柚羅姫を壇上の端まで歩み出し見下ろすのは銀髪の美女、白虎族副族長沙耶姫であった。
「思いがけず考案した策と用いた策が逆になったな。どうだ？自分の策略に嵌まった気分は？」
腰に手を当てて皮肉気に笑む女に、柚羅姫は眉を潜めてつつ更に腰を落とす。
「御託は不要です。武器を取りなさい」
対する敵は同じく一人だが油断はできない。今いる場所は敵の懐（ふところ）だし、自分は負傷している。何より、相手は男と互角上に戦える女なのだ。
しかし臨戦態勢の柚羅姫とは裏腹に沙耶姫は立ったまま戦う構えを見せない。いぶかしむ柚羅姫の心情に気付いた沙耶姫が肩をすくめる。
「残念ながら、私は流剛より戦闘を止められている。我らの勝負は次回に持ち越しとさせてもらう」
「なんですって・・・？」
「今回の勝ちはそちらに譲ると言っているのだ」
そう言って沙耶姫は視線を落とし、腰に回していた手を前に回す。察した柚羅姫の瞳が丸くなった。
「もしかして、貴方・・・！」
「昨夜医師に診てもらったのだが・・・どうやら『居る』らしい。最近妙に苛々して仕方なかったのも、このせいで体が変化しているからだそうだ」
「それは・・・おめでとうございます・・・と言うべきでしょうね」
「うむ、素直に受け取っておこう」
沙耶姫は毒気も戦意も抜かれて呆気にとられた様子の柚羅姫に向かって頷きつつ、高い靴音を響かせて雛壇の石段を降りる。
「待っている間に少し考えていた。己が変化しているという状況把握が出来ると、自分の思想も客観的に見れるものなのだな」
美女の顔に自己嫌悪の苦みが宿る。
「今思えば、私が貴様に向けていた苛立ちというのは過去の己に向けていたものかもしれぬ」
「過去の自分？」
「あぁ、自分の進む道は誰にも譲らず渡らせず、その道が一本だけだと信じていた頃の私だ」
沙耶姫は一族の最強説と絶対安寧を妄信していた婚前の自分を思い返していた。
「しかしその私も共に道を歩む・・・流剛と出会って少し変われた。無理をするなと制してくれる者、無理を通した時に背中を支えてくれる者・・・他人を頼っていいと、奴は身をもって私に教えてくれたのさ。・・・と、金輪際ないと思うが、私は私の過去を晒すという痴態でもって貴様への詫びとさせてもらおう」
一応、柚羅姫に対し理不尽な怒りをぶつけた事に申し訳なさを感じていたらしい。自己都合と同意ない方法で謝罪と解釈させる手前勝手さは相変わらずだが。しかしそれこそが彼女らしさ、とも言える。
階下に降り立った沙耶姫と柚羅姫が向かい合う。傍で並ぶと、靴の高低差を抜けば二人の身長はほぼ同じくらいだと判明した。
「私が此処にいるのは貴様に勝敗を決したという証拠の品をくれてやる為だ。しかし今回の敗因は他の誰でもなく出撃も戦場指揮も出来なかった私の責。だから族長流剛ではなく私の物で我慢しろ」
目の前に差し出された右手には桃色の花が連なった豪奢な簪が乗っていた。
「白虎族として戦わずして負けるというのは不本意極まりない。しかし・・・母になるという気分は・・・悪くないぞ」
諭すのか、はたまた己に言い聞かせているのか。
ぽつりと呟く女の手から、柚羅姫は静かに戦利品を受け取ったのであった。
○○○
「おーい柚羅姫。先日やった演習の報告書、上がったぞ〜・・・お？」
紫雷威が丸めた竹簡（ちくかん。古式の書類）を手に訪れた柚羅姫の部屋。家主は入口に背を向けて寝台に座り込んでいた。
「私、此度の試合はあまり勝った気が致しません」
やや落ち込んだ様子で女の背が思いを零す。
「白虎族副族長の不参加で相手の指揮系統は本来の半分しか機能しておらず、紫雷威の頼み事で流剛殿には要らぬ心労をかけたという話ではありませんか」
「げ・・・後半のソレ、何処で聞いたんだお前・・・？」
紫雷威が苦い声を出す。おそらく城内で噂好きの女神侍女二人組が、耳に入った噂を辺り構わず垂れ流しているのだろう。人の口に戸は立てられぬというが、彼女達の口元には拡声器が付いていると言っても過言でない。
「それにしてもあの方・・・戦いしか知らない女性とばかり思っていたのですけど・・・」
美しい顔をしながら無茶とも思える戦略を打ち出す非情で冷徹な女将。登龍門や戦女神とも呼ばれる世間の風評も相まって、柚羅姫が沙耶姫に対する最初の印象はそうだった。おそらく沙耶姫を知る多くの者達が柚羅姫と同じように考えていることだろう。
しかし大広間で出会って、彼女は状況に応じて耐え忍べる女なのだと印象が変わった。もしくは妊娠によって沙耶姫自身に身体だけでなく精神の変化が訪れている最中だったのかもしれない。勿論、当人にその話をすれば鼻で笑って否定するのだろうが。
しかし目の前で作られた沙耶姫の最後の笑顔。それは血塗れた武将が浮かべるにはあまりにも優しく、慈しみに溢れていて・・・。
「け、決して対抗したいという訳ではないのですが・・・・・・あんな顔が出来る母という存在になること・・・少しだけ羨ましく感じてしまいました」
「柚羅姫・・・それはつまり・・・」
「その・・・」
紫雷威の言葉を柚羅姫が遮る。
「あまり大きな声で言いたくありませんが、知識としては心得ていますが、誰しもあるように、その・・・初めてですから・・・」
寝台の上で柚羅姫は体の向きを変える。柚羅姫は壁に打ち付けていたはずの枕を両手で抱えていた。羞恥で紅く染まった顔半分を腕の中の枕に埋めつつ、耐えるように抱く力を強める。
紫雷威の視界に移る枕の色は、白だ。
「その・・・やさしく・・・して・・・くださいね・・・？」
僅かに顔を上げた柚羅姫の動きに連なって、金の髪に飾られた桃色の花の簪が小さく揺れる。
女として、妻となりやがて母となるにはいつまでも心身清廉（せいれん）な乙女のままでいられない・・・それは柚羅姫も自覚していた。別に失う事に未練がある訳ではない。むしろ本命の相手に捧げられる事を誉（ほまれ）にさえ思っている。
ただ側近や家族に『大事なもの』と言われ続けた我が身を相手に預けるという未知の領域・・・そこに自ら踏み出す事の出来ない意志の弱さと、それを甘受してくれた周囲に甘えてしまっていただけだ。
そんな柚羅姫を、夫婦の関係になってなお一歩を踏み出すまで耐え忍んでくれた目の前の夫には感謝しなければいけない。そして、変わる強さを教えてくれた彼女にも。
「そんなに怯えんなよ・・・」
紫雷威は手の竹簡を放り出し寝台に片膝と手をかける。姿勢が低くなり妻と視線同士がぶつかった。
「俺は好きな奴には優しい男なんだぜ？」
静かな笑みと言葉とは裏腹に男の瞳には獣の眼光。待ちに待った念願の成就に理性など簡単に崩壊したらしい。
狼の首輪を外してしまった当人は、本能が感じた悪寒に反射的に自らの言葉を覆そうと口を開く。
しかし息が音となる前に枕を抱いていた手を引かれる。浮いた腰に男の腕が回され、抱き寄せられる。これ以上喋るな、と噛みつくような荒々しさで唇が唇を塞いだ。
窓の外では夜闇が静かに更けていく。朝日で白むには、まだしばらく時を要しそうだ。
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