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聖獣界から帰った流剛と沙耶姫は、自室にて対黄龍戦の戦略を立てていた。
「流剛、せっかくの演習だ。我が白虎島は防衛前線を崩され攻め込まれているという絶対危機的状況を仮定しておく。島周辺の白虎石（びゃっこせき）による結界の力は隠ぺいの能力を無効にし、結界強度は半分程度に抑えておこう。戦艦崩牙（ほうが）の位置と移動についてだが・・・」
「いや、黄龍族の拠点は空飛ぶ城だ。船より投擲（とうてき）型攻城兵器の位置などに重きを置いた方がいいだろう」
「なるほど。では空飛ぶ相手に対して風気の使い方についても考える必要があるな」
合点して卓上の地図の上に並べた駒を移動させつつ思案する沙耶姫。空いた片手が目の前の酒杯を取り、口元に運ぶ。
「・・・沙耶、少し飲みすぎではないか？明日に響くぞ」
戒（いまし）める夫の言葉に妻は上向けていた首を戻し、赤みのさした顔に殊勝な笑みを浮かべる。
「この程度の量などまだまだ飲んだ内に入らんさ」
再び卓に置かれた杯は空になっていた。女の目が追加を催促する。流剛は小さくため息をついて瓶に入った酒を注いだ。彼の目の前には既に空になった酒瓶がいくつも並んでいる。
「昼間の件。まだ気にしているのか？」
彼女が荒れている理由は、既に見当がついている。問われた沙耶姫は流剛に対して不機嫌そうな瞳を向けた。
「・・・お前はあの女の案がよかったと思うか？」
「どちらが悪いとも言えん。互いの案に一長一短があるからな。ただ、沙耶があそこまで頭ごなしに否定するほど悪い案とも思えなかった・・・それだけだ」
流剛の言葉に沙耶姫は小さく息をつく。彼の意見が正しいことは自身も理解しているのだ。理解はしているが、認めたくない。女の態度がそう訴えている。
初対面の二人がどうしてこうもいがみ合うのか？流剛は不思議に感じて止まなかった。紫雷威と自分の初対面は敵陣営同士だったが、ここまで険悪なものにはならなかったというのに。
「なぜそんなに柚羅姫殿を嫌うのだ？おぬしの好かぬ世間知らずの愚者ならともかく、彼女は世論と戦術に通じる優れた知将と伺っているぞ」
「そう言われても、気に入らぬものを好かなくて何が悪い？奴を見ているとどうも心がざわつく。言動が気に食わなくて仕方がない。私はそういう私の気持ちに従ったまでだ」
沙耶姫は眉間にしわを寄せて流剛を睨む。酔いに任せた舌が回る。
「そもそも流剛、お前はどうしてあいつを擁護する？お前が私の意見に賛同していれば早くに決着がついたものを。それとも何か？黄龍の女の方が私より好ましいと―――」
「沙耶」
感情に任せて酒杯を強く握りしめていた沙耶姫の手を、一回り大きな流剛の両手が包み込んだ。ひたすらに見つめてくる夫の視線に沙耶姫の声が途切れる。触れた女の手は小さく震えていた。
「・・・すまない、あり得ない事を・・・少し言葉がすぎた」
「いや、気にする事はない。しかし深酒はそこまでにしておけ。身体に障（さわ）る」
少し感情の起伏に流されすぎではないか、と問いたいが喉奥に留めておく。彼女を非難して傷つけたい訳ではないのだ。おそらく彼女も現在の自分の気持ちの波についていけていない。
だが彼女が自分で言葉を飲み込めたところから理解できる。今は制すれば自身で自分を律する事が出来ている状態だ。暴走していると言っても言葉の刃や暴力で解決する規模ではないだろう。
そう考えているうちに、沙耶姫の手が素直に酒杯を手放した。意気消沈して落ち込む様子の彼女に、流剛は席をたって彼女の後ろに回り込み、そっとその薄い肩を掴む。
「酔いが回ったのだろう。寝床で少し休め」
その言葉に沙耶姫は小さく笑う。
「珍しいな、お前の方から誘ってくるなんて」
「む・・・」
流剛の眉が僅かに寄る。そういうつもりではなかったのだが。しかし妻はお構いなしだ。
「いいだろう。私が満足するまで、残りはお前が酔わせてみろ」
「おい、まだ演習の話し合いの途中だぞ」
「夜は長い・・・時間はあるさ」
耳元で吐息混じりの甘い声が誘ってきて、男は否定することを諦めた。彼女の鬱憤が少しでも晴れるなら、まぁそれでいい。
流剛が身を屈め、互いに近づけた唇が触れ・・・合う直前、扉を叩く音が部屋に響き渡った。
「沙耶ぁ、おるかのぅ？」
「っち・・・柘榴（ざくろ）か・・・」
あからさまに嫌悪感を示した美女の顔が離れる。扉の向こうの主は医師長の柘榴らしい。
「おぬし、前回の戦闘後の診断を受けておらんじゃろう？今からやるから出てこい！」
「異常などないから必要ない」
強い語調の催促を、沙耶姫は絶対零度の冷たさで返す。嘆息を零したのは流剛だった。
「沙耶、遠征後の診断は義務項目の一つだろう。それと師の言う事は聞いておけ」
柘榴は沙耶姫に柔の奥義を伝授した人物である。実力も一級品で白虎族の権威『五重鎮』の一人に選ばれるほどの大物なのだ。が、
「アレを師とは呼ばん」
沙耶姫はそれを断固否定する。何せ特訓内容に「猫耳を付けろ」だの「語尾は「にゃん」がいい」だの、どうあがいても不必要な名目が多すぎた。と、流剛は沙耶姫当人から聞いている。
「私の番だけ異様に時間をかけるし、おまけに変な所まで触ってくる」
「・・・言い方を変えよう。おぬしの心配をしてくれる者の言う事は聞いておけ」
「・・・・・・」
そう返されると沙耶姫も強く返せない。確かに柘榴は変人奇人の類（たぐい）だが、沙耶姫の健康を第一に思ってくれている。何より、夫の願いだ。
「・・・今回だけだ」
苦虫を何匹も噛み潰したような顔をして、沙耶姫は扉を開けた。
「さぁぁぁやぁぁガプペッ！」
すかさず抱擁しようと飛びかかってくる柘榴に鋭い顎突きを食らわせつつ扉が閉まる。
その様子を、流剛は小さく息をつきながら見送った。近頃情緒不安定な沙耶姫の具合。医師の柘榴ならきっとその原因を突き止めてくれると信じて。
黄龍族本拠地、夜陰城（やいんじょう）城内。
柚羅姫が湯浴みから帰ると、自室の扉が僅かに開いていた。室内の光が一条の線となって廊下に漏れている。確か消灯して部屋を出たはず・・・肩口に切り揃えた金髪の水気を布で拭いながら疑問符を浮かべ、扉を押し開ける。女の疑念はすぐに晴れた。
「よぉ〜、柚羅姫〜」
寝台の上でだらしなく寝そべる、体格の良い男が一人。部屋の主人に見つかっても悪びれる様子はなく、むしろにこやかな笑顔で柚羅姫に手を振る始末である。そんな男に対し、柚羅姫は警戒心を解いて小さくため息をついた。
「・・・何をしているのですか、紫雷威？」
男の名は紫雷威。彼女の夫である。
「何って・・・ちょっくら布団を温めておいてやろうと思って」
「不要です。自室にお帰りください」
夫の言葉に、妻は冷たい声音と眼差しで返す。その様子に紫雷威は僅かに眉尻を下げた。体勢をうつ伏せに変え、寝台に肘を立てた腕で己の顎を支える。
「・・・まだ決心着かねぇか？」
男の問いに女は真顔のまま沈黙を守る。
貴族育ちのこの嫁は他人・・・特に異性との交流の機会が乏しく、夫の立場となった紫雷威とさえ同室での長居を拒否してしまう対人恐怖症に近い持病を抱えていた。
「明日の対白虎族との合戦に備えなければいけません。冗談を言う暇があるなら早く寝て下さい」
「つれねぇなぁ〜」
こんな様子なのだから、寝所を共にする機会も未だ皆無である。
「・・・まぁ、無理させるこたねぇと思うし、急ぐ必要もねぇし」
紫雷威は自分に言い聞かせるように呟く。彼女を力づくで組み敷くのは容易だろうが紫雷威自身がそんな強制を求めていない。野性的な身なりに反してそういう気遣いが出来る男なのだ。
「そんなお前に贈りモンだ」
紫雷威は布団の下から四角い物を放って寄越す。軽く抱えるほどの大きさのそれは、綿の詰め物だった。被せてある無地の布は、裏表で色が違う。
実は、これが酒場で流剛から聞いた『名案』である。
「これは・・・枕ですか？」
「そうだ。寝床に一緒に入れるかどうか・・・白を表に置いた時は承諾、青が表なら拒否の意思表示って事にしよう。てめぇの口で言うより楽だろ？」
「紫雷威・・・」
夫の言いたい事が何か察したのだろう。枕を抱えた柚羅姫の頬が紅に染まる。
「その・・・ありがとうございます」
消え入りそうな声で礼を述べる・・・そんな気恥ずかしそうにする様も可愛い、と思いつつ紫雷威は寝台から起き上がり扉に向かって歩き出す。
「・・・よし、じゃあまた明日な！」
意気揚々と扉を閉めた男の顔は、翌朝絶望に染まることになる。
白虎族との演習のため空になった彼女の自室、そこには青を外に向けたまま壁に張り付けられた枕の姿があったのだから・・・！
続く
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