「その意見には賛成しかねる」
「私こそ、貴方の意見に首を縦に振れません」
一か月後に行われる対轟山竜（ごうざんりゅう）族討伐戦に向けての集会。その開催地である聖獣界の広間で二つの意見が対立していた。
「兵は神速を尊う。一刻も早く攻撃を仕掛け仕留めるべきだ。斥候（せっこう。先行部隊）で道中の安全を確保次第、主力を最速で向かわせ第三拠点を占拠。そこから逆落とし形式の突撃を決行させる」
そう推すのは胸元と太ももの位置に深い切れ込みの入った扇情的な衣装を身に着ける銀髪の美女、沙耶姫（さやひめ）。
彼女の指す第三拠点とは敵本陣に最も近い山頂へ設けられた敵防衛拠点であり、相手の防御の要（かなめ）でもある。
「敵の殲滅が目的なのですから、より確実性に重きを置くべきです。相手の動きを待ち第二拠点にて敵を迎撃し、背後に回した伏兵にて挟撃する方が得策かと」
こちらの案を述べるのは肩から掛け布を整然と身に着ける金髪の美女、柚羅姫。
彼女の言う第二拠点は味方本陣と敵本陣の中間付近に位置する森の中の敵防衛拠点であり、付近の安全を確保するために作られたものである。
意見を述べる二人の眉が苛立ちでつり上がる。
「大体、相手の主要拠点をこちらから叩くなど時間の浪費でしかありません。その内に本陣の大将を逃がす時間を与えかねない・・・」
「この程度の敵、我々の戦力で潰しきれないとでも？わざわざ仕掛けてくるのを待ってやるほど価値のある相手なのか？」
共同戦線を張るために呼び出されたはずの白虎族副族長と黄龍族参謀長が敵意を込めて睨み合う。絶世の美女達が対立する様は美術画の一枚にもなりそうだが、実際の場の雰囲気は暗雲が立ち込めているかのように暗く重い。
司会進行を務める聖獣界の代表、妖狐の青年、月草（つきくさ）は彼女達の隣に座る族長達に視線だけで意見を求める。しかし白虎族族長流剛（るごう）と黄龍族族長紫雷威（しゅらい）は、女性陣による対立っぷりに互いの視線をぶつけてしどろもどろしている様子だった。妻二人の凄まじい剣幕に口を開くのも躊躇われる状況である。
「・・・ら、埒があかねぇな」
紫雷威が二人をなだめるように薄ら笑みを浮かべて口を開く。
「決行まであとひと月あるんだ。別に今日付けで決めつけなけりゃならない事案って訳でもないだろ？俺達は互いに戦闘種族で実力主義だ。いっそ演習でもやって勝った方の案にすりゃいい」
黄龍族族長の意見に沙耶姫が嬉しそうな笑みを作った。
「小言ばかり多い女の夫にしては大それた意見を言うではないか」
あからさまな挑発に、流剛は柚羅姫の血管が切れる音を聞いた気がした。
「ま、まぁ待て。儂（わし）は・・・依頼主の聖獣界は感情や状況に流されぬ、努めて冷静な判断を求めておると思うが」
流剛の反論に、柚羅姫の怒りの気配が幾分和らいだ。
「失敗を顧みない妄言甚（はなは）だしい奥方の殿方が怜悧（れいり）なお方で安堵致しました」
今度は紫雷威が、言い返された沙耶姫の怒りが臨界に触れた気配を感じる。
「よし！今夜中だ！今夜中に族長『だけ』の話し合いで決めてやるから！お開きにしよう！」
「そうだな・・・」
紫雷威の必死な取り繕いに、流剛と月草が重々しく頷いて同意する。合戦の予定を立てるというより、目の前で繰り広げられそうな激戦を制止しているだけだと、その場の男達全員が思い知っていたのだ。
○○○
人が住まう人界とは異なる、妖異の暮らす聖獣界の歓楽街。夜中でも賑わいを見せる酒場の屋外席で、酒杯片手に卓上に突っ伏す一人の男がいる。左腕に炎を模したような龍の入れ墨を入れた、野性味あふれた出で立ちの男の名前は紫雷威。
普段悩み事など鼻で笑い飛ばしてしまう困難とは無縁そうなこの男が、現在とある事案に頭を悩ませていた。
「はぁ〜・・・」
体内に溜まった重い気分を少しでも変えようとするかのように深い嘆息をつく。しかし彼の顔に晴れ間は微塵も見えなかった。
「どうした、紫雷威？」
名前を呼ばれて顔を上げる。正面の席に座る男の姿が目に入った。 紫雷威より背丈も肩幅も広い銀髪の偉丈夫だった。
「よぉ流剛。遅かったじゃねぇか」
待ち合わせていた知り合いの登場に笑顔を向けて歓迎の意を示す。
「この前のいくさの後始末に追われていてな・・・」
「さすがに族長ともなれば背負う責任もデケェか。出かけ先でまでご苦労なこった」
「儂が書類仕事を苦手としておるのが問題なのだが・・・責任の重さならおぬしも同じだろう」
黄龍族と白虎族。異なる種族の二人は族長という同じ立場に立っていた。他人が見れば酒場での談笑など許されざる身の上のはずなのだが、この聖獣界では咎める者は誰もいない。
「俺の方は、嫁が雑事の面倒見るのが好きだからな・・・俺の夜の面倒は見てくれねぇけど・・・」
「・・・あぁ、らしくもなく塞ぎ込んでいるのはその件か？」
突然振られた話題に一瞬瞠目した流剛だったが、聡（さと）い男は察した。軽く眉尻を下げて落ち込む彼の肩を叩く。
紫雷威と柚羅姫の結婚という話題は古い話ではないが、それでも新鮮味は失われつつある。一族の中では既に新婚でなく正式に夫婦として定義されている頃合いだろう。
「・・・おぬしはよく辛抱しておると思うぞ」
「だろ？！そりゃ『男と一夜を共になんて〜』って恥じらってる姿も可愛いぜ？けどよ・・・俺とあいつ、夫婦だぞ！」
族長という立場上跡継ぎの心配もせねばならず、この夫婦問題はそういう意味で国家規模とも言える。しかし個人の感情に大きく左右される問題に、流剛は他人事だからといって気軽に無理強いも出来ない。
「まぁ誰しも踏み出すには準備が要るものだ。もう少し待てばきっと・・・分かってもらえるだろう」
「だといいけどな〜」
諦観の混ざった笑みを浮かべた紫雷威が酒杯を仰（あお）ぎ、中の氷が涼やかな音を立てる。
「お前の方はどうだ？婚前は目の前に立った男全員を返り討ちにして『登龍門』とか呼ばれてた嫁さんらしいが？奥手ってこた・・・いやぁ〜、お前が先輩風吹かせてる訳だし、あの嫁さんの見てくれで、んなこたねぇかぁ〜・・・」
酔いに任せて大きい声で笑う、 紫雷威の杯が弾けた。
「・・・は？」
唖然とした瞳が掲げていた己の手元を見やる。紫雷威の手には割れた杯。氷の欠片と酒の雫（しずく）が周囲に飛び散っている。机上には散乱物に混じっていつの間にか見慣れない物が突き立っていた。連なる桃色の花の飾りがついた豪奢な簪（かんざし）だ。
「沙耶姫様、先程手にしていらした簪は？」
「あぁ、流剛に買うように渡しておいた。若干手元が滑ったが・・・」
茂みの向こうにある通りからそんな会話が聞こえる。片方の声は紫雷威に聞き覚えがあった。なにせ、つい昼頃の事だ。
「沙耶め・・・物は放って寄越すなと言っておるのに・・・」
流剛は小さくため息をついて机の簪を引き抜いた。慣れているのか驚いた様子は全く感じられない。
「・・・おめーの嫁さんこえぇぇ・・・」
投げた当人は手元が滑ったと言っているが、とんでもない。
おそらく紫雷威の軽口が耳に入ったのだろう。視界の届かない茂みの向こうから声の発生源を暴き、わざわざ酒杯を狙って警告してみせたのだ。早急に話題を変えなければ、次は命に関わる・・・！
「そ、そうだ！お前と嫁さんの仲のいい所、共闘の様子とか柚羅姫に見せてやってくれよ。なら、ちっとは考えを改めてくれるかもしれねぇし」
紫雷威は流剛に向かって両手を合わせてお願いする。
「儂らのか？」
「他に頼れる奴がいねぇんだよ」
「む・・・まぁ、おぬしの頼みなら」
そこから流剛の声がひそめられる。
「というか、今日の合議で儂ら両族の演習を強く望んだのはそれが目的か？」
「へへ、まぁな。でも、そういう部分理解してても受け入れてくれるお前さんはいい奴だと思うぜ」
「儂としても、おぬしと戦う事は不本意ではないからな。共に戦えるなら沙耶も喜ぶだろう。そうとなれば、誤って死者が出るような事態を避ける対策と盟約を決めておかねばならぬ」
「そりゃそうだ。どいつもこいつも血気盛んな野郎ばっかだからな。・・・いや、男ばかりでもねぇか・・・」
沙耶姫と柚羅姫の激昂具合を思い出し、流剛は大いに同意する。妻の顔が思い浮かんで、ついでに流剛の脳裏にある光景が思い出された。
「そういえば紫雷威、この前沙耶と女官が面白い話をしていた・・・案外、これを実践してみればおぬしの問題は容易に解けるかもしれんぞ」
「そんな名案があんのか？！」
「うむ・・・その内容だが・・・」
期待して身を乗り出してくる紫雷威に、流剛は一つ頷いて口を開く。
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