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2015年08月22日17:30

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思いは心臓で、想いは脳で違う。想は走り、相対する「脳」にて受想行識

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私達の魂は「永遠の生命体」であり、その魂を潰したり腐らせたりしなければ、仮に地獄界落ちたとしても再度人間として復活の目がありました。そこにあるのが【輪廻転生】と呼ばれものです。

では、その魂とは人間の肉体のどこに宿るのでしょうか?。一般的には「心臓」に宿ると言われて来ました。このことをよく知っておられる霊能者の方は、「心臓移植手術」には絶対反対されます。現在の医学は「魂」の存在を知らないことにより、心臓移植手術のとんでもない間違いに気づいておられないからです。可哀想だ可哀想だ言う論理と、神の仕組みの「摂理」は同じではありません。
心臓移植手術は、肉体的に亡くなられた方の魂をこの世で生かし、心臓移植を受けた方の魂は、心臓移植を受けないで生きられた時間を短くしているのです。その現象として知られていることに、心臓移植手術を受けた方に出て来る心臓提供者の記憶の数々です。

その時、多くの人が疑問を持たれるのは、心臓移植を受けられた方に心臓移植者の記憶が出て来る事実があったとしても、それで心臓移植を受けた方が心臓提供者そのものになっていないということです。心臓提供を受ける前と同様に、きちんと家族や会社の仕事とか何の違和感もないということです。
それは肉体の「脳」にこれまでのその肉体の知識や記憶が残されていることで、その肉体に入った魂はその人に成りきって生きるからです。私の最初の恩師の魂はある霊的事件で亡くなられて、後任の魂はその肉体として生きられました。ただ、一部の信徒である霊能者達は霊的要素があるので、これまでの師匠と違っているとは気づかれましたが、そんなに差異は起きません。それが魂と肉体は別物である証明でもあるのです。人の肉体とは【魂の服】にしか過ぎないのです。

テレビ等の物語では、魂の入れ替わりの物語がありますが、あのような形態にはなりません。それは「霊媒者」を知っていれば、肉体に入った霊は霊媒者が持つ知識(脳内記憶)を利用することが出来る事実から解るのです。
為に、霊媒者は博学の知識を持つ者は不適格で、あまり知識を持たない無知無学で来た方が適するのです。学者の方はこのことがよく解っていないので、神は自分のように賢い者には懸からずに、無知無学の者に懸かるのだ!。そうした議論になってしまうのです。
私の最初の師匠は、私に対して【貴方はあまりにも賢すぎて、神様が貴方の元に行かれようとしても行けない】と言っておりました。2番目の師匠の元で、自分は霊が懸かる霊媒型ではなく「サニワ(審神)型」だと解ったしだいです。サニワ(審神)型は自分の肉体を他の霊の容器にさせるわけには行かないのです。

幸福の科学の大川総裁は自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体そのものであると公言されており、その教団は公表で日本一の信徒数を誇ると発表されていますので、それを信じれば幸福の科学の大川総裁はお釈迦様よりもイエスよりもモーゼよりも高い方となります。
私などは意味不明のことを言っておられると思いますが、そうだと信じている方が公表通りの数も居られるのか居られないのかは、信じるとか信じないは個人の信条の問題なので、とやかく言うことは出来ません。
その大川総裁は「魂」は脳にあるとその著本にはっきりと書いておられます。魂が脳にあるのであれば、心臓移植手術に何の問題もありません。

では、どうして霊能者や宗教者間で魂は「心臓」に宿ると説く派と、「脳」に宿ると説く派に別れるかなのです。
たぶん、多くの方は自分が持つ「知識」のようなものは「脳」にあると考えておられるからです。

私の神言会のHPの【第九章・人類を唆す蛇霊/八岐のオロチ(遠呂智)】に出しております図を参照していただきたいと思います。
精神世界に興味がある方でしたら【頭上の蛇】という言葉を聞かれた方もあろうかと思います。古来より「蛇」は「智慧」とも「神秘」とも言われ、世界各地で神的存在として「崇められて」来ました。日本では、この「蛇」のことを【オロチ】とも言いましたが、

オロチ=遠呂智の意味なのです

こうしたことを理解していれば、スピリチュアルからは脱却出来ます。自分にマスター(創造神)、ミカエル、カブリエルが降りて来る。メッセジーを送って来ると言っている間は聖書にある【蛇の囁き】が解っていないのです。まして、この日本は古来より言霊の幸はふ国の神国日本であり、世界の大陸の雛形であり、日本に住む日本人であれば西洋名を名乗る霊などは、どうかお引き取り下さいと言わなければならないのです。

私はヴェーダ典の奥義書と呼ばれるものに書かれる事物を体験しましたが、その意味からするとミカエルは【巳(蛇)帰る】の意味なのです。

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イエスはその弟子達に【蛇のごとく賢くあれ】と説きましたが、

蛇には善悪の判断は出来ないのです。蛇霊は「脳」に働いているのです。

で、魂は「心臓」に宿るか?。「脳」に宿るか?。なのです。

言葉とは私達が生み出したものではなくて、【創造神の所管】に属します。
私達は何をもって肉体の死を決めるでしょうか?。一つには「心臓」停止です。一つには「脳死」です。何故、死を判定する場所が二つもあるかです。

魂とは「心」であり、私達の肉体において血を送り出す場所を「心臓」と言います。これは、言葉上も魂は心臓に宿ると教えてあるのです。
そして、もう一つには【思い】と【想い】の漢字はどう違うかと言うことなのです。辞書を紐解いてもよく解らないと思います。人の心臓は四室の「田」の字型に心で思いです。
一方の「想い」は「相対する心」となります。いったい何が「相対する心」なのかです。人間の「脳」は、右脳と左脳で相対しています。その右脳と左脳では働きが違っています。
この右脳と左脳の働きの違いは、既に医学や精神学で解き明かされています。それらを元にした人間の「脳」の働きを図式してみましょう。

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女性のスピリチュアル系の多くの人は、何かと言えば「直感だ!直感だ!」ばかりで、邪神・蛇霊にコロリと欺されるは「右脳」の働きばかりで、「左脳」の働きを生かしていないからです。直感とは「動物的」感覚なのです。右脳の働きです。とてもその段階では本当の神には結びつかないのです。

左脳の働きを生かす為には、「思考・論理」を考える。聖書の「始めに言葉は神と共に在った」で解るように、大本教の出口王仁三郎聖師が「漢字」研究を必死にされたように、「言葉・文字」に対する意識を変えないといけないのです。偉大な宗教家は、この「思考・論理」が非常に優れていたのです。
いくらスピリチュアルで霊的な存在が見えたとしても、高次元と思っている世界は低次元界で、「識(左脳の働き)」がないと落ちて行く先は動物界になりかねないのです。

人は誰しもある種の「体験」をされていると思います。
それは頭(智慧)では、この手を使えば儲かるとか得すると解っていても、それは正しい道では無いと自分を制御する自分の「心」があることです。それは自分の良心から発生します。脳の考え方と心の考え方の違いです。
自己の良心を失った者には、そうしたことが起きないことから「悪の道」に手を染めて行きます。

多くの女性スピリチュアル系の方が何を言っているかといいますと、良心などは重いから捨てなさい。自由に生きなさいです。
左脳の働きを知らないと、本当の神の世界には向かえません。いくら霊的なことが見えても聞こえても魂の点数が上がらないのです。病気治しは人助けになっても、甲、乙、丙の【丙】の段階です。
霊が見える霊の声が聞こえるだけでは、神界の上層部には進めません。

大本教神諭、この神(国常立尊)は病気治しの神ではない。人の心の立て直しの神で在る

人の魂は「人の肉体の心臓」に宿ります。「脳」に在るのではないのです。思いと想いの言葉の違いからでも、こうやって説ける(解ける)のですよ。国常立尊様が長年に渡って仕組まれた言葉による仕組みがあるからです。

スピリチュアルを脱却しないと、創造神の言葉による仕組みのスケールの大きさがまったく理解出来ないことになります。

では、人の肉体が持つ意識と心臓に宿る魂の意識はどうやって繋がっているのかです。

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たぶん、多くの方は今の自分が持っている考え方・思考そのものが自分の魂の考え方・思考だと思っておられるでしょう。そうではないのです。

こうした事例がよく解るのは、俗に「精神薄弱」と呼ばれる方の魂を見ると、魂にはほとんど異常は存在しないのです。肉体のみに発生する現象です。その多くの魂は自分のカルマと言うよりも、その身が出る家系のカルマの解消の為にこの世に降りて来ているがあります。すなわち【菩薩道】の実践なのです。
仮に「脳」に魂があるのであれば、カルマの解消にはつながりません。肉体的に不自由があるから、その子供を必死に育てようとする親の苦労などで、家系のカルマの解消につながっているのです。決して「魂の薄弱」ではないのです。魂と肉体をつなぐ線が不自由なだけです。
この世に出て来て、この世は面白く可笑しく生きないと損だと考えている人の魂よりも、その魂は死後の世界では高い世界にと進まれて行くのです。
そうしたお子さんを授かった方ほど、苦労の賜であるにしても、天使を授かったと言われる意味はそこにあるのです。

この世の苦労なくして、天人界に進む道などなし


自分はバカだからと、学ぶことを忘れてはいけないのです。自分はバカだからと逃げている人を見ますと、その方の本守護神は高い方であっても、副守護神と呼ばれる段階の霊が学ぶことを妨害しています。
で、その副守護神格が少しずつ落ちていくと、これまで自分はバカだからと思って逃げていたことが、何だったのかとなります。だんだんと解って来るようになるからです。

自分の副守護神に従っていたのではいけないのです。副守護神格は未だ地獄界から完全に抜けれていないのです




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