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2015年07月23日07:22

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二冊の『エリオット』

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 大江健三郎『河馬に噛まれる』(1985年文藝春秋)の一篇「河馬の昇天」にこんな件がある。
≪「鑑賞世界名詩選」というシリーズの、深瀬基寛著『エリオット』。この本は、僕が大学に入った年の秋に、筑摩書房から出た。おなじ著者による『オーデン詩集』とともに、僕は原詩と注解と見事な訳文からなる、これらの訳詩集から、英米現代詩へというより、むしろ世界文学そのものへの入門をみちびかれた。青春時を今日にむすんで、もっとも大切だったその訳詩集二冊のうち『エリオット』が、十数年も書架から失われていたのだった。≫ はて? さらに、
≪アフリカからの手紙で、僕はそれに気がついた。あらためて書棚を調べてみるまでもなく、僕の書き込みがページごとに入り、東大駒場生協で購入した日付も小さな紙に書いて貼りつけてある『エリオット』を、アフリカからの手紙の主が、いま現在座右の書としている、というのだ。≫とあり、手紙の主の母親から頼まれて貸した本が、いまその息子の手にあることが明らかになる。
 5月6日に、深瀬基寛『エリオット』(創元社鑑賞世界名詩選)が『さようなら、私の本よ!』大江健三郎(2005年講談社)に出てくることを書いた。大江が19歳のときに大学の生協で手に入れたカバー付の初版ではなく函入りの再版しかなかったが、すぐあとに同じつくりの『リルケ』高安國世がみつかった報告もしたのだった。そして、大江はその本を手許に見ながらこの小説を書いているのだな、という印象を持ったのだが、深瀬基寛の『エリオット』は1985年時点で大江の書棚から消えていた。初版の『エリオット』はアフリカから大江の書棚に戻ったのか、「河馬の昇天」には、≪アフリカからの手紙が深瀬基寛著『エリオット』の失われていることを示した日、その午後にも僕は神田の古書店街に出かけて、同じ版を手に入れた。≫ともう一冊を確保したことを記している。では、2005年に≪この本を古義人は大学生協の書店で十九歳の冬に買った。≫と書いた「この本」は、アフリカから戻った本なのか、それとも「神田古書店街」で手に入れた方なのか。『河馬に噛まれる』を読みおわったが、「手紙の主」と会う最終章にも、『エリオット』を返してもらったとの記述がない。もちろん『河馬に噛まれる』以降の小説に、そのことが書かれているのかもしれないが……。
 とまあ、つまらないことながら、小説のなかとはいえつじつまを合わせていただきたいと思ったところです。
 そうそう、『エリオット』には「河馬」という詩も収録されています。一連だけ。

   だだひろい背中を負ふた河馬のやつ
   泥沼にお腹を押しあて揺ぎもない、
   よそ目にはとてもがっちりしてゐるみたいで
   このやつ、肉と血ばかりのかたまりだ。

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