雨の中を古書会館へ。久しぶりに詩集を二冊購入した。
『かっぱの皿』山田孝(昭和二十九年八月十五日時間社)裸本(函、帯、付録欠)、装幀は鐡指公藏。
山田孝の略歴、≪1925年(大正15年)3月、中華民国天津市に生れた。同地の小、中学校を経て、52年、早稲田大学英文科卒業。50年、「時間」同人参加。詩作品を、「時間」「詩学」「SETTE」などの詩誌、並に創元文庫『日本詩人全集』第11巻、『時間詩集』、紀伊國屋書店発行「机」などに発表。53年、東京家庭裁判所の入試に首席、同所の少年調査官補となる。54年3月、癌疾にて死去。≫
「あとがき」は本人山田孝が書いているが(54年1月付)、刊行は間に合わず、唯一の詩集を手にするこたとがかなわなかったようだ。序は高橋新吉が書き、跋と題字は「時間」を主宰した北川冬彦である。
≪かれは私に、<この詩集に山田孝という名は出すまいと思うんですが、どうでしよう? ネオ・リアリズムという集団の運動が生んだ一つの個性にしか過ぎないんですから>と云つた。<その考えは面白く立派だが、しかし、それでは、個人詩集としては形をなさないだろう><では山田孝という名は小さくして下さい>と云ったわけで山田孝の名を小さくはして見たが、そう極端にも出来かねた。≫と北川は書いている。なるほど名の活字は小さい。
もう一冊。
『冬の家』永谷悠紀子(二○○六年十一月二十二日ジャンクション・ハーベスト)。謹呈箋の署名で持っているような気もしたのだが、帰って確かめたら同じ署名箋のはさまった同じ本があった。以前にKYOさんからちょうだいしていたのだった。
永谷さんは1928年生れだからこの当時78歳、「夜の戸口」から。
どいてよ
どいてよ
叫んでいるのは犬のノゾミだ
懐中電灯で真夜中の庭を照らせば
小屋の前に
構えているのは巨きな蝦蟇
乾ききった二月の土
近くに沼などありもしないのに
開いた と思った
異界から自在に
出入りの許される
黄泉の戸口が
そういえばせんだって
俎板で刻む音に目が覚めた
いま着いたばかり といった洋服姿の
玉置さんの背だ
台所のコンロに向って
フライパンの柄に片手を添え
もう片方でさい箸を扱いながら
お得意の キャベツ ピーマン、生椎茸炒めだ
この玉置さんは玉置保巳さんのことだろう。詩誌「アルファ」で一緒だった、いまはいなくなった人があちこちに出てくる。「〈うな又〉へ」では、
風の道を捉えた構えのこの座敷はとても涼し
い 庭の新緑が皆の顔に映え「アルファ」の
合評にも熱の入ったものでした が今日はなぜ
か暗い 襖の奥では静かな話し声 板倉さん
玉置さん 谷澤さん 黒部さん 小園さん
「お久し振り!」跪き声弾ませた私の挨拶は敷
居の上で戸惑いする 受けてくれたのは床の間
の杜若だけ 空の部屋から小走りに戻った橋の
袂 鉄橋に赤い電車 ぼんやり眺める私の背に
板倉さんの笑いを含んだ声
「おいで 例会は〈うな又〉だよ」
ログインしてコメントを確認・投稿する