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2015年07月05日07:56

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今年は講演会がありません

 T堺船場店でこちらを買った。
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 『戦後文学と編集者』松本昌次(1994年11月16日一葉社)。未来社の編集者だったときに関係の深かった著者について書かれた短文の集成で、登場するのはこちらの人々。
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 花田清輝を追悼した「『ボレロ』のように―追悼」で、≪二十年以上、花田さんの家を訪ね、単行本十一冊、著作集七冊を刊行させていただいたとはいえ、わたしは一度として花田さんと気楽に[三字傍点]接したことがなかったような気がする。花田さんの家へ向かう白山下からの坂道、逆に小石川植物園からの坂道、そのどちらからの急な坂道をのろのろとのぼりながら、今日もまた、花田さんに批判されることをひそかに予想し、どうしたものかと心をなやませながら、冬でも汗をかきかき花田宅を訪れたのである。≫と書いている。これを読んで、小沢信男さんも花田家へ向かう坂のことを書いていたのを思い出した。
 富士正晴の追悼文「酒大いにのみ のたれ死にがよいとのんで…――追悼」の冒頭、
≪富士正晴さんの自室には、主(ぬし)はいなかったが、その他のものはそのままあった。煙草のヤニで背が赤茶けた自著のかずかず、それよりもっともっと多い他著のかずかず、それらが古びて傾きかかった本棚に無造作に並んで、昼なお暗い四畳半の大部分の壁を占め、畳の上にも本や雑誌が横一列に並んだり放り出されていたり、テーマ別と思われる新聞切り抜きのスクラップ帖も何冊か、ふすまが開きっぱなしの押入れには、竹内勝太郎の資料ということがマジックで書かれたダンボール函が五、六個、そして小さなちゃぶ台のような机、さまざまなガラクタ、絵の描きかけ、吸いガラ・灰皿、ゴミ屑……。そこにいないのは、富士さんだけであった。≫
 この富士の書斎について、≪かつて、酔っぱらってわたしもゴロ寝したことのある書斎も復元されていた。主(ぬし)のいない書斎は、ありし日のように息づいておらず、きちんとして静かで寂しかった。「坐而不悟」の書があった。館内には生前、富士さんが好きだったエリック・サティのピアノ曲が流れていた。≫(「富士正晴記念館」)と。

 図書館に本を返却に行き、一冊借りたらチラシを渡された。「休館のお知らせ」で、今年の10月1日から来年の1月31日まで、「空調機器の更新と設備等の改修工事」なのだそうだ。貸出しは予約すれば分館等で受け取れるらしいが、このところずいぶんお世話になっているからこれは困ったなあ。ということは併設の富士正晴記念館も休館、秋の講演会も今年はないのか? さっそく中尾さんに問い合わせたら、そのとおり、講演会は2月以降になるとの返事だった。がっかり。

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