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2015年06月05日12:54

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伊予国 【 象ヶ森城趾 】

伊予国 【 象ヶ森城趾 】
南北朝時代に重見通宗によって築かれました。
重見氏は得能氏の一族でこの通宗が祖です。
現在でも、近くの地名に徳能があります。

その後は櫛部氏の居城となり、櫛部出雲守兼氏・櫛部肥後守兼久父子の居城でした。
天正7年(1579年)金子城主金子備後守元宅が不意に象ヶ森城を攻めると、櫛部父子は防戦できず城を捨てて河之内村に逃れました。
櫛部父子は後に近田ヶ原城主近田三郎経治を頼ったが、天正8年(1580年)金子元宅が近田ヶ原城を攻め落とし近田氏と櫛部氏は自刃して果てました。

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現在は観念寺になっています。
背後の山に城が築かれていました。

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護運玉甲甲賀益八幡神社と瀬戸内海・燧灘が見えます。
道が整備されていない昔は船による海路が重要な交通手段でした。
この高台からなら敵の動向が手に取るようにわかります。





今までのお城巡りの目次です。
お時間があるときに見てやって下さいませ。
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