mixiユーザー(id:1673188)

2015年05月23日18:34

900 view

西武鉄道と沿線開発

と言う、ふるさと文化館のやってる催しの公演があったので聞いてきた。
石神井公園のプールの隣にある。

講師は、三鷹中等教育学校 の高等学校の日本史教師の北村拓さん。FBは無いようだ。
筋金入りの「鉄」であることは間違いない。しかも、日本史の教師だから無敵だ。b
大変に話が面白く、2時間途切れることなく聞き入ってしまった。

あらましを書くと…

日本における鉄道の歴史は、カオスから始まっている。
その中でも、西武鉄道…西武池袋線と西武新宿線など…は他のところより複雑な経緯を辿っているらしい。
旧東急が後に、東急、京急、京王、小田急と分裂する話も複雑そうだが…

西武と言う名前は、どうも所沢近辺の通称で地名でも無く、謂れははっきりしない。
また、西武鉄道と言う名前の会社は途中何回か出現するが、かならずしも同じ系列の組織でも無いそうだ。

ともあれまずは川越鉄道と言うのがあった。これは川越ー国分寺と言う路線であった。明治27年の開業である。
この鉄道は甲武鉄道と経営的に繋がりがあったため、飯田町(飯田橋の近く)まで直通運転していた。
しかし、39年に甲武鉄道が国有化されてしまい、国分寺どまりとなってしまう。

そして、それとは別に明治44年、武蔵野鉄道と言うのができ、こっちは計画では巣鴨ー飯能だったが、結局池袋までしか認可されなかった。後の池袋線である。
しかし、この路線の開業により川越鉄道はより都心に出やすい武蔵野鉄道に客を奪われることになる。

それらとは全く別に村山軽便鉄道(箱根ヶ崎ー吉祥寺)と言うのがあって、これが破たんし、川越鉄道に買収された。
川越鉄道は、これらも利用して中野などに出ようとするが認可されない。結局、高田馬場へ出る道を選ぶ。後の新宿線である。

そうこうしている内、武蔵野鉄道は飯能から吾野まで引いた新路線が大赤字となって危機的になる。この時点で経営者陣にまだ堤の名は無い。

そのころ堤さんは土地ころがしをしながら資産を増やしていたそうだが、あるとき村山貯水池が作られることを知り、そこら辺の土地を大量購入する。後の西武園、西武球場である。
そんで、その土地を観光地として利用するため多摩湖線を作ってそれを運営していた。

…などと言う波乱万丈の話である。w

なお、沿線開発がらみで池袋線の大泉学園駅は、学園と言う名前がついているが、とりたてて大きな学校は無い。しかし、どうも東京商科大学が移転してくる話があったらしい。しかし関東大震災の影響で、一ツ橋へ行ってしまったと言うコトだそうだ。w

レジュメだけで14ページもある。w
いつものように老人たちも来ていたが、割かし比較的若い層も多い。多分、鉄分の多い方たちだろう。子供も居るが、あまり小さい子は居ない。

別に展示もあり十分に楽しめた。(^.^)
前回聞きにいったイカロスの話より面白かった。
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する