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2015年05月20日19:45

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記念式

母が亡くなってちょうど一年経った。

それで、まあクリスチャン的には一周忌などというものは無いのだけれど。
天に召された人々は時の流れぬ世界に居て、彼らに直接問いかける手段は無い。
自らが将来天に召された時に会えるとも言えるが、それすらも生者の時間の話では無く、死者の時間での話だ。生者の時間でも会えるのは復活の日となる。
復活の日は、「もうすく」と言われて二千年経つ…

それまでにどうしても言いたいことがあるなら、あらゆる法則を無視できる全知全能の神に託すしかない。故に弔った後でなにがしかの式典を行う意味はない。

とは言え、生者が死者を覚える自由くらいはあってもいい。
それで適当な時期を選んで、死者を偲ぶ記念会を開くのである。
教会に依頼すれば、教派によってだろうが希望通りやってくれる。葬式同様に教会で盛大な会を催すこともできるし、墓地に行ってそこでやってもいい。
そこらへんはちゃんと決められてないから残された親族の自由である。

ワシは…母を偲ぶ他宗教の親族も居るし、牧師抜きで家で簡単にすませることとした。
また親族には高齢により体調を崩された方も多く、墓地のある秩父まで行ってもらうのも避けた。
まあ、父の時は墓地に行ったのだけど。季節は悪くないが。

父の弟夫婦が健在だ。それ以外の姉妹は健康上の理由で来れず、すでに亡くなった姉妹の子の中から数人のみ集まる。
母の記念式だが、母系の親族は東京に居るのがそもそも少なく、うち一人が割とフリーな仕事をしていて今日、オフだったので来てくれた。クラッシック系ミュージシャンだ。ちょっと前まではアイドル的な感じでやってたんだが…
彼女は亡き母、そして父にバイオリン演奏を一曲捧げてくれた。

リビングに写真とローソク、花を飾った祭壇をつくる。
クリスチャンでも無い知り合いがイスラエルで聖地を巡った蝋燭をくれたので、それもつけてみるが、煤が多く断念。w
みな他の宗教というものに敬意をもって接してくれる。ちゃんとした信仰を持つ人間はそうで無ければならないと思う。

少しばかりのビールと食事、後はしばらくの談笑。
父母の残した写真や遺品などを見せる。母のアクセサリーやスカーフなども見てもらって少し持ってってもらう。

それだけだ。

来年は4月下旬に亡くなった父の記念式と合わせて行おうと思う。
しかしさらに参加できる人は減りそうな気も…(-_-)




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