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2015年05月18日18:17

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今回の「花燃ゆ」

実は昨日オンタイで見ていたのですが、レビューを書くのをすっかり忘れていました。

先週、高杉が上海で見たものが今後の彼の攘夷を形作るんだけどどう描くかなって書きましたが、見事に描いてくれましたね。
あの「そうせい侯」まで動かしてしまう。
「花神」の時は上海で高杉と清国の知識人との漢文での筆談でしたが、今回は生々しく西洋人に虐殺される清国人の姿……
やはり観念的な久坂たちと、現実を見た高杉とでは底にある迫力が違います。

かつて成田闘争の時、現地の農民たちの力は弱小で、学生運動の学生たちの方が華々しく(?)戦ったのですが、それでも自分たちの実際の生活がかかっている農民たちの底力の方が真の意味で強かったです。

現代の我われから見れば、あの世界的情勢の中で外国を打ち払うなどは無謀で向こう見ずな暴挙にしか見えませんが、先が見えない当時の人たちにとっては本当にそうせざるを得ないと思ってしまう様子が伝わります。
米軍空襲機を竹槍で落とそうなんて、現代の我われから見れば「ばか」としか思えませんが、当時の人びとにとっては真剣だったんですね。
それと同じだと思います。

だが、攘夷の志士たちが作り上げたはずの明治国家は一転して開国和親路線を進みます。
ある説によるとそれはあくまで「攘夷のための開国」であって、その延長線上の最後の攘夷戦争が太平洋戦争だったという見方もあります。

いずれにせよ、今後は馬関海峡での外国船砲撃から、馬関戦争、そして高杉の回転義挙、奇兵隊創設と大きく攘夷に動いていきますが、藩論は二転三転するはずで、そのたびに藩主のそうせい侯は萩と山口の間を行ったり来たりするはずです。
周布さんや高杉たちの正義派が藩の実権を握っていた時と、彼らが失脚して椋梨などの俗論派が台頭している時とでは、藩主は萩と山口とで居所を変えたといわれています。

すべて「花神」で一度は描かれていますが、今度はどういう別の視点で描かれるか楽しみです。
松陰先生亡き後も、これからがおもしろくなっていくところです。

かつて「平清盛」をどうしても「新・平家物語」と比べてしまいましたが、今回は「花神」と比べてしまいます。
それぞれ比べる対象の原作が吉川英治であり司馬遼太郎であるわけで、「平清盛」と今回の「花燃ゆ」には吉川英治や司馬遼太郎をどう乗り越えていくかという課題が突きつけられていた、あるいは付きつけられているわけです。

いずれも楽しみでなりません。
そして、「花燃ゆ」の場合は明治以降の描き方も気になります。

先週、「井上聞多はまだか」って書きましたら、ようやく今週登場しましたね。
山県狂介もそろそろですね。
今の伊藤利助を含め、それぞれが元勲の伊藤博文、井上馨、山県有朋になっていくところまで描いてほしいです。

いよいよイギリス公使館焼き討ちから年が明けると新選組結成の年

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