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2015年04月10日07:58

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今日は神戸

 東秀三の『足立巻一』は、足立の著作から引用する形でその生涯を追っている。足立の単著『宣長と二人の女性』(昭和18年)から『日が暮れてから道は始まる』(昭和62年)まで順に27まで番号を振り、引用部分の後にその数字が記してある。巻末の参考文献には、単著とともに共著・編集本もあげられているので書誌としても役立つ。その共著・編集本の中で気になるのが、恩師や友人のために編んだ私家版の句集と歌集で、『西田遮莫句集』(昭和25年)、『金本腸句集』(昭和47年)、『池部宗七歌抄』(昭和50年)の三冊のうち『金本腸句集』は去年運よく手に入れたが、他の二冊もなんとか目にしたいと思っている。
 『池部宗七歌抄』は、足立さんが≪関西学院中学部にいたころの国語の先生で、石川乙馬の名で歌を詠む歌人でもあった。≫恩師の歌集。足立さんが神宮皇学館に入って国語の教師になろうと思ったのはこの先生の影響で、そしてその入試に二回失敗した時には、先生の家で勉強をみてもらったそうだ。池部先生は若い頃ある芸者に入れあげていて、そのひとの名が「乙女」であり、つまり「石川乙馬」は「オトメ」と読むらしい。また、知り合いのところにはそのためだろうか、田畑全部を抵当にいれた「参千円」の借用書も残っている。大正九年の参千円、大卒で月給五十円の時代である。
 この歌集を編むために先生の家を訪ねるところや、先生の同僚や一時期通っていた仙台の学校まで調査に行く、足立さんの行動力について、≪先生の卒業した学校が宮城一中でなく築館中学だと知ると、さっそく築館まで足を運んだ。千葉へも行った。たった一冊の恩師の遺稿歌集を出すために、こうまで巻一を駆り立てるものは何なのだろう。巻一が書いた作品のなかから、先生の足跡を追う巻一の取材行を拾い出してみて、いまさらながらに圧倒される思いがする。≫と東秀三は書いている。
共著の一冊。
フォト

『黒部峡谷』石川忠行・足立巻一著(昭和39年6月1日保育者カラ―ブックス)
 

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