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2015年04月09日03:05

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素人に騙される教育委員会

下記のページ、読みたい人はクリックして読んでください。
http://www.hiroshima9.com/osen/osen.html

 福島原発事故の後、後というのは直後から、情報収集をして情報発信にも勤めてきた。
 個人レベルではあるが、関東の研究機関や、中部電力など電力会社に対しても働きかけを行ってきた。

 当初事故の規模が掴みかねたので、最悪の場合

 関東地方全域が避難区域となる、という想定もしていた。
 これは、おおよそ政府の想定とも一致しているはず。

 風向きが幸運だったり、爆発で吹っ飛んだのが、建家だけだったりしたことは、幸いした。

 使用済み核燃料が火災に見舞われることもなかtった。



 現状でも、危ない橋を渡り続けているのは事実。
 使用済み核燃料が火災で手がつけられなくなる、という危機がなくなったわけではない。



 で、最初にURLを貼ったページには、原発事故と広島の原爆を比較しようとしている文章が記述されている。
 情報収集のために読んでみたのだが、微妙に日本語が変なのと、明らかな間違いが記述されていたりする。
 この本文中では、広島で核分裂したウラン235は800gとしてあり、その核分裂生成物は天文学的数になる。とか、そんな趣旨のことがかいてあるが、ウランが800gなら核分裂生成物は、ざっくり6mol ってところ。
 
 6mol を 「天文学的数字」 というのか?
 ちなみにコーヒー1杯は、 10 mol ぐらいだから、


 私らは、毎日天文学的数字の飲み物を飲んでいる。 ということになるよね。


 そのページから、たどって行くと、著者が誰かわかるのだが、

 原爆の先生、とか、東京の小学校なんかで授業をしているらしい。
 経歴を見る限り、明らかに、完全な素人。

 おい、教育委員会、素人にだまされんなよな。

 まあ、校長先生が1万2000人と売春する、とか世も末のようなニュースが流れた昨日。
 1万2000人って、3P・4P とかやっても、そう易易と達成できる人数じゃないぞ。
 一桁水増ししているのかな?

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「原爆ドームは墓」広島の79歳
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3355952

 5日で完成から100年になった世界遺産・原爆ドームを、「墓」と呼ぶ人たちがいる。地場産品の振興拠点として開館して30年後の1945年8月6日。その日は月曜日で、「広島県産業奨励館」と呼ばれていた建物で多くの人が働いていた。戦況の激化とともに国や県の機関が事務所を置くようになり、館の元々の機能は停止していた。ここで何人が被爆死したのか。70年後の今も分かっていない。

 桜が咲き誇る広島・平和記念公園。木村英雄さん(79)=広島市=は原爆ドームを見つめ「私にとっては、姉と、姉と一緒に亡くなった人たちのお墓なんです」と語った。

 原爆投下時、産業奨励館は1階に県土木出張所など、2階には統制会社の支店や県警の保険課などがあった。1階と3階に入っていたのが、旧内務省中国四国土木出張所だ。木村さんの姉春江さん(当時17歳)は、出張所庶務課の電話交換室で働いていた。始業は8時。「今日は休むけえ、伝えといて」。当日朝、春江さんは同僚の女性からの電話を受けていた。女性が後年、木村さんの兄利夫さん(89)に話したという。

 中国地方建設局(当時)が戦後40年を機にまとめた資料によると、出張所内外で15〜61歳の52人が死亡した。当日は少なくとも13人が所内にいたとされる。内臓障害、重火傷、行方不明……。資料には被爆した職員の記録が刻まれている。春江さんの欄には「行方不明」とあり、備考欄には「8月6日8時20分死亡」との推定が記されていた。

 「原爆ドームが残っていてよかった。ここに姉がいますから」。木村さんは手を合わせた。【高橋咲子】

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