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2015年03月29日08:24

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「宇宙の人間原理」


桜井邦明「宇宙には意志がある」(クレスト選書)よりまとめます。なお、桜井先生は当時、神奈川大学教授、元NASA主任研究員です。

桜井先生は、実際に宇宙のことを知れば知るほど、「やはり人類が地球上に誕生するというのは、そうたやすいことではない」ということ、そして、もし、“宇宙意志”という言葉を使うことが許されるのであれば、よほど強靭な意志が宇宙になければ、人類という種は存在しなかったと思えるほどである、と言われます。

そして、以下のように「宇宙の人間原理」を説明されるのです。

物理学と「宇宙意志」との出会い

20世紀になり物理学は急速に発展した。ことに量子力学と宇宙論の進展は目覚ましい。ところが皮肉なことに、物理学が進めば進むほど、大きな不思議がクローズ・アップされてくるようになった。それは、私たちヒトがこの地球に存在するには、単なる幸運以上のものがあったのではないか、ということである。

それは言い換えれば、この宇宙には、「宇宙意志」のようなものが存在しており、それがヒトという種を作り出したのではないか、という考えである。

こんなことを書くと、人間を超越した“創造主”の存在を認めるようで、不本意なのだが、そうとも思いたくなるようなところが、この宇宙には数多くある。

宇宙は観測されることを望んでいる

もちろん、物理学はあくまでも科学であって、宗教とは一線を引かねばならない。しかし、、物理学の発展は、もう“宇宙の原理”そのものに肉薄するところまで来ているのも事実である。
こういった状況を受けて、1961年にロバート・ディッキーが発表したのが「宇宙の人間原理」である。

いったい何のためにヒトのような知的生命体が作られたのか。「それは、宇宙が知性的存在を求めていたからだ」とディッキーは言う。
私たちのような生命体が宇宙に望遠鏡を向け、宇宙の法則を解明しようとしなければ、宇宙は誰にもその存在を認知されることなく、その一生を終えてしまうことになる。「それでは、宇宙の存在意義はなくなってしまう」と彼は言うのである。つまり、宇宙は自分の姿を見るための“鏡”として、作ったというのである。

このようなディッキーの考え方は、たいへん人間に都合がよすぎる、虫のいい発想に聞こえるかもしれない。しかし、その「人間原理」が、彼だけの単なる思いつきや奇説でなかったのは、続々と「人間原理」の論文が出されたことからも明らかだ。

イギリスのブランドン・カーターという学者は、1974年にディッキーの考えを更に拡張し、「そもそも宇宙は、人間を生むためにデザインされていたのである」と、その偶然性を否定した。

“神の領域”へと踏み込んだ現代物理学

ディッキーとカーター、どちらにしても、宇宙は現在見られるような姿になるのが必然であったとする点では、違いない。

もちろん、だからといって、こうした宇宙の要請を受けて生まれたのが、地球上のヒトであるというのは言い過ぎかもしれない。しかし、それが地球ではなくても、宇宙は結局、知的生命を作り出したのではないか。それを「宇宙意志」と呼ぶのは許されないだろうか。

このような言い方は、宇宙を誕生させた「創造主」のような存在がいると仮定するようで、正直言って、日本の物理学者である私としてはあまり気が進まない。

アインシュタインにしても同じである。宇宙が無目的で、ただ単に偶然に作られたのではないとする考えは、無神論の彼にもあったようである。現に、彼は「神はサイコロを振らない」のだと言っている。宇宙の誕生と進化は、ちゃんとした設計図に沿って行なわれたことなのだ、という考えが彼の根底にもあったことの証明だろう。

ケンブリッジ大学のスティーブ・ホーキングも、現在、私たが見ている宇宙は“神”のような、何らかの手によって作られた設計図(デザインといってもいい)にしたがって作りだされたのだという趣旨のことを言っている。

36億年前に地球上に誕生した生命は、今や“神のみわざ”を理解しようとするところにまで来ているのである。



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