小林正観さんの「笑顔で光って輝いて」(実業之日本社)より。
ある二つのグループに、実験をしたことがあります。
一つ目のグループの2、30人の方に紙を渡して、
「足りないもの、欲しいもの、手に入れたいものを書けるだけ、紙に書いてください」というお願いをしました。30項目、50項目書ける人がいます。
書き終わったあとに
「自分がすでに手に入れて恵まれていると思うものを、同じ項目数書き出してください」というお願いをしました。
同じ項目数書けた人は、いまだかつて、ひとりも見たことがありません。
二つ目のグループには、「すでに手に入っていって、自分が恵まれていると思うものを、書けるだけ書いてください」というお願いをしたら、30項目、40項目、50項目書ける人がいました。
次に「同じ項目数だけ、足りないもの、欲しいもの、手に入れたいものを書きだしてください」とお願いすると、同じ項目数を書ける人はひとりもいません。
どうしてでしょう。それはかけているメガネが違うからです。
恵まれているものを見続けている人は、すでに恵まれていて、とてもいい思いをさせていただいているのにもかかわらず、そこには目がいかないので、足りないものだけを見ているけれども、恵まれているものが見えていないのです。
人間は、どちらかの世界にしか住めません。今日まで、あるメガネをかけてきた人が、今日から別のメガネに切り替えることはできるけれども、両方のメガネを取り替えながら生きていくことはできません。メガネはひとつきり。
私は30年ほど前に、幸せメガネに切り替えました。
足りない生活を一生懸命見る生活をやめて、恵まれているものはよく見えるけれど、足りないものはない、という生活にしました。
結婚している人は、独身の人が羨ましい。
独身の人は、結婚している人が羨ましい。
今ある生活を喜んでいる人というものは、恵まれているものはよく見えるけれど、足りないものはない、という生活です。
目が見える、耳が聞こえる、食べられる、自分の足で歩ける、酸素を何者かがくださっていること、何ものかが雨を降らせてくださること、私たちは神様からこんなにたくさんの
恵みをいただいています。
いま、幸せと思ったら、いきなり「幸せ」になります。
幸せとは、何か手を入れることではなく、ただ、自分が感じるものなのです。
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