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2015年03月25日23:44

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放送大学「現代経済学」

 このご時世に延々とテレビを見続けなくてはならないという間抜けな羽目に陥ったのは、年度末になって放送大学が現代経済学をまとめて放送しているからです。ネットの動画ならともかく、いまどきテレビなんて。
 経済学については、たまにEテレが個別のトピックを取り上げては番組に仕立てていますが、理屈なんてものはぐにゃぐにゃに捻じ曲げて適当なところへこじつけたりいくらでもできますから、やはり、通史と照らし合わせながら発展の段階を追っていかないと、とんでもない誤解をしかねません。そう思っていたところへうってつけの講座が放送されたもので、もう見るしかないのです。

 講師は京都大学の依田高典氏。放送中、ずっとノートに目を落としながら読み上げるスタイルで、見映えはあまりよくありませんが、内容そのものは視聴者をにやりとさせる指摘を織り交ぜたりして、興味深いものになっています。一回の放送時間(45分)でノーベル経済学賞受賞者を二人ずつ取り上げてその生い立ちと研究成果と現代的意義を解説していく方式は、全体の見通しと個々のテーマの掘り下げについてのバランスもよく、間延びしたり深入りしすぎたりもせずほどよく視聴できます。
 ちなみに、ノーベル経済学賞はノーベルが亡くなってから72年後に、スウェーデン国立銀行の働きかけによりノーベル財団によって作られたものであり、ノーベル本人と直接関係がないことは講義の冒頭で説明されます。

 でもって、第一回に取り上げられたのがポール・サミュエルソンです。大雑把にいって、数理経済学を体系づけた人というところでしょうか。いきなり数理経済学というところで、むむっ、と思うわけです。来たな!と緊張を禁じえないのであります(ちょっと東海林さだおっぽく)。
 数理経済学は大学の共通科目で履修させられたのですけど、「このグラフの傾きをとって」とか言われ、「ハァ?」となるわけです。方程式の傾きなら微分で求められますが、実際の経済活動のグラフの傾きなんか、どのスケールでとるか次第で、どうとでもなります。数理経済学とかいうくせにずいぶんと職人技な世界だなあと思って冷めてしまい、なんとなく経済学そのものが胡散臭く思えてきて講義に身が入りませんでした。さらに当時、ちょうどバブル経済の絶頂期でして、これもまた経済学にアヤシゲな印象をまとわせていたと思います。
 実際には、物理にしたところでいきなり量子力学というわけにはいかず、まずは古典物理学から段階を追って発達してきたように、数理経済学もさまざまな批判にされされながら進んできたわけで、そのあたりの概要こみで教えてくれればよかったのにと今になって思います。

 第二回に取り上げられたフリードリヒ・ハイエクは、ケインジアンにあらずんば経済学者にあらずな当時の趨勢にあって傍流に位置した人物であったこともあり、割と早い時期より研究から転じて社会主義の限界を経済学の立場から指摘する著作を発表するなどしました。当時、冷戦の真っただ中にあって、これらがサッチャー首相やレーガン大統領など西側の指導者に熱烈なファンを獲得し、その名は広く喧伝されましたが、経営学界での身内の評価はそれほどでもない、といった感じだそうです。

 そんなこんなでいよいよ第五回で取り上げられるミルトン・フリードマンの主張は、「政府は経済にいっさい介入するな、小さい政府万歳」でして、あれだけ隆盛を誇ったケインズはすべて否定され、アダム・スミスまで巻き戻ってしまうのでした。彼らマネタリスト、シカゴ学派が新古典主義と称される由縁であります。まだ全体(全15回)の1/3にして、それまでのすべてが白紙に戻されてしまっています。なんだかロックですなあ、経済学。
 背景としては、ベトナム戦争後の70年代、不況とインフレが同時に進行するスタグフレーションにケインジアンが為す術なかったからなのですが、では、それまで有効であるかにみえた政府による財政出動がすべて幻覚だったのでしょうか。番組での解説によると、すでにケインズ的手法は福祉国家として制度内に組みこまれているため、あらためて政策として実施しても効果は限定的というようなことだったと思います、多分。
 財政出動はあくまで対症療法であって、喫緊の問題へ対応するためには処方する必要もあるけれど、健康はあくまで規則正しい生活やバランスのとれた食事や適度な運動によるものだよ、とかそういうことらしいです、おそらく。

 というわけで、壇の浦でケインジアンが滅亡した後、今度はシカゴ学派がわが世の春を謳歌するわけですが、第六回のジョージ・スティグラー(ハンバーグラーはどこへ行ったのでしょうか)なんかはファンキーなおっちゃんで、差別や犯罪、結婚と離婚と出生まで経済学の手法で分析してしまい、世の心ある人たちの非難と憤激を買ったりしていたそうです。
 差別や犯罪はともかく、他は共同体を維持するために制度化されているわけですから、なんらかのモデル化は可能でしょうけれども、しかしながらそれは、合理的な判断というより、判断を飛び越えたところで成立する度合いが大きいのではないでしょうか。なので、合コンのネタぐらいが関の山のような気がします。もっとも、その無茶な感じが行動経済学の発展を促したかどうかはわかりませんが、いま思いついてしまったのでそう書いてみました。

 そして、じゃじゃーん、第八回のマイロン・ショールズはあの、デリバティブ(金融派生商品)の評価についての新しい評価法とその理論的証明で受賞した人なのでした。てことは、サブプライムやリーマン・ショックの元凶はこいつってことなんでしょうか。そこらへんはいまいちわかりませんが。
 1993年にロングターム・キャピタル・マネジメントというヘッジファンドの設立に参加します。研究室に閉じこもらず、理論を現実の場で検証しようという態度は敬服に値します。ただお金に目がくらんだだけかもしれませんけれど。
 そして、1997年にノーベル賞を受賞していよいよ順風満帆かと思いきや、その翌年にファンドは倒産したのでした。2008年にも自分で作ったプラチナム・グローブ・コンティジェント・マスター・ファンド(長いな)が潰れ、まだまだ理論は現実を捉えきれていないようです。

 放送はまだ1/3残っているのですが、ゲーム理論や行動経済学なんておいしそうなトピックは手つかずでして、これからの放送も楽しみです。経済学はおもしろいっすよ、マジで。

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