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2015年03月15日22:41

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中将

 時、陸軍において既に皇道派、統制派とふたつの派閥に別れて血を血で洗う抗争が沸き起こる、その直前の昭和一桁後半の頃合いの話しである。

 帝国陸軍中将に香椎浩平という人物が居った。
 後に、昭和11年2月26日に発生する大事件に於いて、帝都を守護する戒厳司令官の立場に立つ男である。
 特技は裸踊り。

 西浦進氏の「昭和陸軍秘録」では、尉官時代のエピソードも、当然出てくる。
 年代的には丁度、荒木辺りが陸相の時代だが、事件発生の時は海外出張中でそれどころではないというのだが、それはまた別の話しである。

 さて、帝国陸軍に山岡重厚という人物が居た、最終の階級は中将、結構すごい人なのであり、この文章を書いている時の、私のミクスーにおける顔写真は彼の顔を模写したものである。
 そのくらい、この場所ではとてもメジャーな人物なのである。

 それで、当時の陸軍という組織は、軍政(政治)、軍令(作戦)、教育の3本柱で成り立っていたのである。
 軍政の頂点が陸軍大臣。
 軍令の頂点が参謀総長。
 教育の頂点は教育総監。
 まぁ、3者並立の建前ながら、人事を握り、且つ、内閣に参画し、軍隊組織の建前上、唯一の政治参画者である陸軍大臣が概ねの頂点に立っていたのである。
 その中で、山岡重厚という将軍は、概ね、教育総監部を歩いて階級を上げてきた人物なのである。

 だから、昭和7年のいつごろか知らぬが……朝日か毎日の新聞で……
 山岡重厚が陸軍省「軍務局長」に就くという観測記事が載った時、当の陸軍省に勤務していた西浦進氏含めて、その場にいた人達の諸々が……
「この新聞記者は今度クビだぞ、山岡重厚が軍務局長に来るなんて、およそ非常識もきわまる」笑い有って居ったとかナントカ……と当時の事柄を回顧しておるのだが、問題は本当にその通りの発令があったのである。

 陸軍のエリートである事は誰もが否定せぬが、それでも、教育畑にいた山岡将軍が軍政実務の頂点である軍務局長に就任するというのは誰も彼もが想像し得ない事であったということがこれだけで十分に想像できるであろう。

 当事者達も想像の埒外であった筈の人事を誰が予測して、これを的中させたのであろうか……と、考えた時に浮かぶ名前が……まあ浮かんでしまうのである。
 今、新聞記者の名前を挙げろ、と云われても全然浮かばぬ。
 下品なゴシップ紙が人脈を以て個人を論う時代とはやや違う。
 それで、朝日新聞であれば緒方竹虎……後の自民党副総裁である。
 毎日であれば新名丈夫、読売であれば馬場恒吾、外にも新聞者で云えば、桐生悠々や陸羯南辺りが著名か、まぁ、岡山出身者としては犬飼木堂を挙げぬワケにはいかぬのであろうが。
 外にも時事新報から共同通信、後に産経新聞社に入った、大海軍記者と呼び称された伊藤正徳は、まぁ別格と云ってもよかろうか。
 その中で、一部……まぁ、この辺りであるのだが。
 朝日新聞勤務で名を成した、高宮太平を思い浮かべる。

 皇道派の印象は残念ながらあんまりヨクナイ。
 その中で、荒木貞夫や、山岡重厚というのは中々愉快痛快な人物である事が判るが、僕の観測では、その本質が教育畑にあるからではないか……と思っている。
 そして、もうひとり。
 香椎浩平という陸軍中将が出てくる。

 荒木貞夫に無闇に惚れ込んだ、中々に奇特な男である。
 ある時、新聞記者として陸軍の人事異動を記事してやらうという高宮記者が香椎の元を訪れた。
 時に、昭和9年3月頃の話しである。
 彼が第六師団長の内命を受けた其の日、その晩、取材に訪れた高宮を捕まえて「まぁ、のめ、のんでくれ。今夜はキミの云う事はナンでも聞くから、酒を飲んでくれ。軍人として師団長になるほど愉快なことはない……」という有り様である。
 等とイイながら自宅で裸踊りを披露し出す。
 アレコレとやっつけているトコロ、商売根性を出した高宮も「時に、今日内命の出た人事を少し教えてください」と持っていく。
 そこで香椎公平も浪々と、
「第六師団長香椎浩平!!」(笑
「それはわかっていますから、ほかはどうなっていますか??」
 聞いて、少し考える陸軍中将……「貴様、新聞に書くのだろう、だったら教えない」と云うが、そこは新聞記者である。
「書くことは書きますが、今夜はもう十二時でしょう、締め切りには間に合わないから明日の夕刊に書きます」とやっつけると「じゃあ、教えてやる」。
 チョロイ!!
 ナニか知らぬが、新補職を含めた重要人事をべらべら喋らせ十二時まで付き合った後は直ぐに香椎のトコロを抜け出して電話で本社に連絡を入れる。
 朝刊にはゆうゆうと載るワケであるが、翌朝、香椎と会った高宮は「閣下が酒ばかり飲ませるから、私より先に人事異動が社にわかっていて、おかげで私の面目丸つぶれですよ」と、逆ねじの挨拶をすると「すまんすまん」と誤る。

 高宮曰く、同じ手口で香椎からは随分取材したものである。
 と白状しているのであるが、昭和7年の人事についても、少々疑って居る(笑
 詰まり、この記事の犯人は高宮であり、情報入手のみなもとは香椎浩平であらぬか……と云う事である。
 昭和9年には陸軍省を出る香椎であるが、山岡が軍務局長に入るのは昭和7年の異動時機であり、丁度そのころ、香椎は陸軍次官補佐に補任されている。
 或いは、高宮がその一流の腕を振り回した結果が、西浦氏の疑問の源であったのかも知れない……なんてのはなかなか面白い想像である。

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