未曾有の大震災から4年が経過した。
多くの死亡者は津波によるところが大きいが、勿論それだけではない。
まず、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして、なお行方不明の方が、存命した状態で発見されることを願わざるを得ません。
行方不明で見つかっていない人が存命している可能性はいくつかあるでしょう。
海に流され、何らかの船に救助されたものの、そのまま海外で暮らしている。
地震で強いショックを受けたため、記憶が途切れてしまい、自宅に帰ることができない。
その他。
命が助かっても、自宅を失った人、仕事を失った人、損失が大きく元の仕事に戻れない人、
津波でひどく被害を受けた地域は、元の場所に住むことも不可能であるケースもある。
原発事故でそもそも立ち入りができなくなったエリアが存在する。
コミュニティーが崩壊
人間関係の破綻
様々な要員で、未だ困難を抱えている人は多数いる。
阪神淡路大震災で、都市型の直下型地震は大規模な被害を生む、ということがわかったが、
東日本大震災では、全く別の側面で、自然災害の人間社会に対するダメージが計り知れないことを示した。
小学校の頃から、9月の初めには地震の避難訓練があった。
地震発生と同時に机の下に隠れ、落下物から身を守る。
揺れが一段落したら、校庭へ避難。
全員の無事を点呼で確認。
大体そんな感じだが、
学校が津波到達エリアにあれば、この訓練手順は見直しが必要だろう。
むしろ校庭に避難しないほうが生存確率が上がるケースはある。
この判断を、校長先生がするの?
場合によっては何百人もの命を預かるわけだから、一人の人間の判断、というのはかなり荷が重かろう。
実際、3.11の時、私は死ぬ覚悟をした。
経験したことのない揺れ。 建物の倒壊は当然だが予想できる。
近代的な、免震構造を備えたビルの建築技術の方に命を賭けた。
(外に出て、落下物にあたって死ぬ、は有り得ること)
ともかくも、生き残る方になって良かったとは思う。
あの日は寒かった、ここ数日の寒さは、あの日の寒さを思い出させる。
海に飲み込まれた人は、多くがその冷たさで絶命したことだろう。
もし、海に投げ出されたら、浮かぶものに捕まって救助を待つ。
というのは鉄則だが、冷たい海の中では、その救助を待つ時間は極端に短くなる。
通常の浮き輪ではなく、身体が水に濡れないような状態でキープできて、フロート機能があり、持ち運びもコンパクトな、そんなものの開発がもっと進むと良いと思う。
(レジャーでも使えるものが好ましい、採算性が無ければ誰も作らないだろう。)
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■「震災とは一緒に生きていくもの」祈る列島ドキュメント
(朝日新聞デジタル - 03月11日 22:15)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3314593
■8:30
〈愛知県碧南市〉棚尾小学校が、岩手県釜石市などの小学生たちと防災テレビ会議。棚尾小6年の石川寛乃(ひろの)さん(12)は「(釜石小学校に送った)友情米や芋が生活に役立っていると分かり、うれしい。これからも被災地を支援していきたい」。
■9:55
〈宮崎県延岡市〉南海トラフ巨大地震で津波による校舎の浸水が想定される北浦小学校で防災授業。5年生の前田凜さん(11)は「自分には関係ないと思わず、津波に備えたい」と話した。
■10:00
〈青森県八戸市〉約260棟が浸水した白銀地区で防災訓練。坂頂美和子さん(70)は「サイレンを聞くと、あの日を思い出す。あんな怖い思いは二度としたくない」。
■10:56
〈宮城県東松島市〉大学生らが被災体験を語るシンポジウム。津波で自宅が流され、祖父(当時65)を失った大学2年の志野さやかさん(20)が「私にとって震災は、忘れる、忘れないという問題ではなく、ずっと一緒に生きていくもの」と語った。
■12:12
〈茨城県つくば市〉脱原発などを訴える集会で参加者120人が黙禱(もくとう)。長田満江さん(79)は「今も除染は進んでいない。福島の住民が捨てられているという怒りの思いがします」と語った。
■13:30
〈神戸市中央区〉阪神大震災の「1・17のつどい」が毎年開かれる東遊園地で、追悼集会「3・11神戸からのメッセージ」の受け付け開始。竹灯籠(どうろう)に「忘れないよ」とメッセージを書いた神戸大3年の藤田このりさん(22)は昨春、岩手県大槌町の仮設住宅を訪れた。「風化を悲しむ被災地の人たちへ、私なりの決意表明です」。
■14:00
〈岩手県大船渡市〉昨年4月に全線再開した三陸鉄道の盛(さかり)駅から震災学習列車が出発。ガイドを務めた三鉄社員の熊谷松一さん(51)は「震災を風化させず、被災地との交流を深めてもらうために、全国からたくさんのお客さまをお呼びしたい」と話した。
■14:25
〈東京都江東区〉福島からの避難者ら約千人が暮らす国家公務員宿舎・東雲(しののめ)住宅で追悼行事。約200人が参加した。高橋佑治さん(71)は「先の見える、夢の持てる人生に早く入りたい」。
■14:30
〈新潟県長岡市〉新潟県中越地震で全村避難した旧山古志村で追悼・復興セレモニーが開かれ、住民約150人が参加。住民は東日本大震災の被災地と交流を続けている。山古志住民会議の樺沢和幸代表は「お互いの支えとなるために、これからも交流を大切にしたい」と語った。
■14:46
〈岩手県宮古市〉181人が犠牲になった田老地区。住民約150人が津波で一部が壊れた防潮堤の上で手をつなぎ、海に向かって黙禱。祖母を亡くし、仮設住宅で暮らす会社員山本英貴さん(38)は3歳の娘と参加した。「生きているかぎり、震災の記憶を伝えていく」
〈福島県大熊町・富岡町〉福島第一原発の周辺を除染する作業員約2千人が仕事の手を止め、海の方角に黙禱。大熊町の小林友里さん(43)は「家はまだ帰還困難区域。早く住み慣れたふる里で暮らせる日が来ますように」と祈った。
〈東京都中央区〉銀座4丁目交差点の「和光」。犠牲者を追悼し、時計塔の鐘が11日にあわせて11回鳴った。道行く人が足を止め、黙禱した。千葉県流山市のパート遠藤京子さん(62)は「まだ大変な思いをしている人がいる。復興には何年かかるのだろう」と話した。
■15:11
〈埼玉県加須市〉原発事故で福島県双葉町の住民が避難生活を送った旧騎西高校前で、親戚3人を津波で亡くした関根茂子さん(64)が手を合わせた。「私が元気を取り戻した場所。命ある限り黙禱を続ける」。2013年暮れに避難所が閉鎖された後も市内で暮らす。
■15:17
〈仙台市若林区〉 旧荒浜小学校で追悼の風船が空を舞った。荒浜小と七郷中の卒業生が中心となる「HOPE FOR project」が主催。代表の高山智行さん(32)は「1年のうち1日だけでも被災地に思いをはせてもらえればうれしい。これからも伝える気持ちを大事にしたい」と話した。
■17:30
〈広島市中区〉 平和記念公園での「3・11東日本大震災を忘れない追悼の集い」で、500個のキャンドルに灯がともった。広島県呉市のパート従業員、平田真奈美さん(55)は「昨年8月の土砂災害で東北から支援をしてもらいました。感謝の気持ちも込めて参加しました」。
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