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2015年03月05日21:34

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『ロード・オブ・ザ・リング』が糞つまらなさすぎて泣けてくるんだが

 たしか大晦日にはBSプレミアムで『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を16時から25時にかけて、一挙放送していたはずである。紅白でもダウンタウンでもなく、『ロード・オブ・ザ・リング』で年を越された方もいらっしゃるであろう。しかし、この『ロード・オブ・ザ・リング』、糞つまらないと思う。

 そもそも、原作の『指輪物語』は第一部「旅の仲間」の下巻で挫折した。なんか連中、やたら歌いやがるのだが、もともと歌なんて歌詞だけ読んでもさしてしっくりこない上に、さらに翻訳とくればニュアンスなんぞすべて吹っ飛ぶのであって、どないすんじゃこれと思っているうちに、まるっきり読む気が失せたのだった。パトリシア・コーンウェル(デビュー作は傑作らしいが、少なくとも中期以降は出涸らしでしかないと思う)ですら、歯を食いしばりながら読み進め、最後の一文を読み終えたその瞬間に本をゴミ箱へ叩きこんだというほど忍耐強い自分である。その私をして断念せしめたというのだから、相当なものである。

 しかし、小説なら自分で字を追って読んでいかなければならないし時間もかかるが、映画なら勝手に話が進んでくれて、泣いても笑っても9時間さえたてばすべて終わってくれるわけだから、なんとなるだろうと思ったいたら、甘すぎましたな。

 挫折した第一部の下巻からおもしろくなるなんて言われたこともあったけど、別にちっともおもしろくならねえでやんの。しかも、途中から一行がばらばらになって、もともと誰が誰やら見分けがつかない上にそれぞれの話があっちゃこっちゃで進むものだから、もうわけがわからない。たしか、最初の方(読んだ記憶もある)に出てきたゴクリとやらが後になっても出てきて、「え、こいつ引っ張るの?」と驚くこっちをそっちのけでなにやら延々とやりとりをくり広げているのだけれど、見ている方としてはさっぱり要領を得ないのだった。あと、終盤も山を登るんだか遭難しているんだかぼんやりした状況で、これまたなんか話し合っているのだけれど、こっちとしては完全に他人事でしかなく、喫茶店で隣の席のカップルが始めた別れ話みたいに迷惑この上ないのであった。

 戦闘シーンの迫力はすごいというので、そこだけはなんとかなるかと思ったけど、別にそこもどうということはなかった。もっとも、「てめえのちんまいテレビじゃしょうがねえだろ、せめて映画館で見ろや、ド貧民」と言われればそうかもしれないので、そこはもういいや。でも、すごい予算かけて作っているかもしれないけど、そうかあ?としか思えなかったが。エルフの女が追いかけられて馬で逃げるシーンの疾走感は素晴らしくて、そこだけはJRAのCMに使えると思いました。

 とりあえず、テレビの前で9時間我慢すれば『ロード・オブ・ザ・リング』をクリアしたことになるからの一念で頑張ったけど、そもそもなぜそんなセルフ・ルドヴィコ療法に耐えなければならないのか、そこをもう見失ってしまうのである。もちろん、見失うのは当然で、そんなものにはもとからなんの意味もないのである。ただ、「ファンタジーについて語るなら、『指輪物語』は必読」とか言われるので、読んでおかないといけないような気になるにすぎない。しかし、ファンタジーについて語らなければならない局面など、ふつうの人間の人生にはまずない。さらに言えば、別に『指輪物語』を読まなくてもファンタジーについて語っていいと思う。そこらへんは、マニアが自分を高位に置くためのありがちな序列化のロジックでしかなく、そんなものに付き合う必要はさらさらない。

 だいたい、『指輪物語』の話題になると、トールキンは言語学の権威でとかドヤ顔で言い出されたりして、妙にこちらの神経を逆撫でされるのである。おまえはトールキンの親戚かなにかか? 本当にそうだとしても間抜けなことには変わりないが。学者が書けばおもしろい話になるわけでなし、おもしろい話は学者にしか書けないわけでもない。モチーフをいかに数パターンの「おもしろい話」のフォーマットに落としこめるか、そこがエンタメ作家の腕のみせどころである。トールキンはエンタメ作家ではないし、自分でそのつもりもなかっただろうから、別にそっちで評価されたくもなかっただろうけど、やはり、おもしろいということではない思う。

 ハイ・ファンタジーというジャンルを創造した文学史上の功績は敬意に値するし、読みながら異世界の描写にびしびしと想像力を刺激されるような読者にとっては「おもしろい」ということになるかもしれないけれど、こちとらそういう話はしとらんのである。あくまで、ストーリーで引っぱっているかに尽きる。

 だいたい、捨てに行くか取りに行くかの違いに目をつむれば、あんなもの桃太郎と同じ話なんである。しかも、桃太郎の方がイヌ・サル・キジとキャラクターが立っている。イヌのような人・サルのような人・キジのような人ですらなく、そのままイヌ・サル・キジである。一目瞭然である。さらに、きびだんごごときで鬼退治に狩り出されるという理不尽な状況におけるイヌの内面の葛藤などという、どうでもいい些事は軽くスルーしている。単純にしてきわめて明快な筋立てである。
 そして、なにより短い。5分ぐらいですべて語り終えることができる。これのなにが優れているかというと、つまらなかったとしてもそんなに苦痛ではないのである。
 以上、検討しうるあらゆる要素において、桃太郎が『指輪物語』より優れていると証明された。ゆえに、とりあえず桃太郎を知っていれば、ファンタジーについて語ってよいのである。いや、よいのであるもなにも、誰それにそんなものを認証してもらう必要などないのである。

 そんなこんなで、『指輪物語』は実に困った作品なのだが、それは別にトールキンが発想のスケールの大きさは抜群だけれどキャラクター造形とストーリーテリングにはけっこう難のある小松左京のようなタイプ(どうも無駄に嫌われるようなことばかり書いている気がするが)かといえば、さにあらず。『指輪物語』の前作、『ホビットの冒険』は無茶苦茶おもしろいのである。『ホビットの冒険』の後でトールキンはなぜあんな設定番長になってしまったのだろうか。永野護でもこじらせてしまったのだろうか。逆か。

 そんなテンポのよさでぐいぐい読ませる『ホビットの冒険』なのに、映画化については『ロード・オブ・ザ・リング』ばりの三部作に水増しされてしまっているのだった。ピーター・ジャクソンなあ。

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