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2015年02月20日08:42

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死の島

「死の島」1883年
アルノルト・ベックリン
80cm x 150 cm ベルリン美術館

 ベックリンの代表作として知られる「死の島」には5枚のバージョンがあります。今回の絵はそのうち3枚目に描かれたもの。

 死の象徴たる糸杉が黒々生い茂り、岩肌には幾つもの霊廟が穿たれています。そこに死神のような人物に先導されて、棺を載せた小舟が向かう。なんとも不安を掻き立てる不気味な絵ですが、元々はある未亡人が、寝室に掛けて心静かに亡き夫の夢を見られるようにと依頼されて描かれたものだそうです。
 19世紀末に描かれたこの絵は当時ドイツで大評判となり、20世紀前半には印刷による複製が一家に一枚あると言うほどたくさん出回りました。かのヒトラーもこの絵がたいへんお気に入りで、彼の執務室の壁にも複製が飾られていたそうです。なぜこんな陰湿で恐ろしげな絵がドイツでそれほど人気となったのでしょうか。

 一つには「メメント・モリ(死を思え)」というヘブライズム的警句の意味がありますが、この絵にはさらにゲルマン的死生観が表されていると言われています。ゲルマン的という概念は、しばしばラテン的の対置として用いられますが、現実をそのまま受け止め計画性をもって質実剛健に生きる、といった気質がイメージされます。
 北方ゲルマン神話をまとめた「エッダ」を見ると、そのテーマが「神々の黄昏」だというところに特徴があります。「ラグナロク」と呼ばれる世界の終末に向けて、人間界の英雄たちは、死んだ後ヴァルハラと呼ばれる主神オーディンの館に眠るとされます。つまり死とは最後の戦いを前にした休息であり、死もまた一つの役割の中にあって、そこには罰や報いとしての地獄や天国といったイメージは無いのです。
 現世での生活は死後の世界への準備期間にすぎず、その死後の世界の生活も、ラグナロクへの準備でしかない。死は恐れるものではなく、生の限りを尽くした後に静かに受け入れるべきもの。そんなゲルマンの死生観がこの絵には込められているのです。

 同じベックリンに「オデュッセウスとカリュプソ」という絵がありますが、カリュプソの誘惑を背にし、海を見やるオデュッセウスの後ろ姿がちょうどこの絵の小舟の上のベールの人物とそっくりで、明らかに連関があると考えられます。
 オデュッセウスはトロイアの戦いから帰還する際、難破して漂着した楽園オギュギア島でニンフのカリュプソと幸福な7年を過ごします。カリュプソはここに残れば不死を与えると約束しますが、オデュッセウスは望郷の念忘れがたく、一人筏で島を離れ長い漂流の旅を続けるのです。つまりこの死神のようなベールの人物は、あえて自ら赴くべき世界(死の待つ世界)へと向かう屹然とした意思の姿を表していると言えるのです。

 蛇足ながらこの立ち姿は、その後ジョルジョ・デ・キリコの初期の代表作「神託の謎」に引用されています。

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