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2015年02月11日00:06

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愚か者が。

■三重の中学でも遺体動画=50代教諭が授業で
(時事通信社 - 02月10日 18:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3267995

全く想像力も指導力もない教師ほど、こうした
センセーショナリズムや「ありのままの現実」という
馬鹿馬鹿しい幻想に弱い。

死体の画像や、殺戮シーンなどに「死」なんか
これっぽっちも映ってやしないよ。

人は、極度に死ぬ事を恐れてきた。
怖かったのだ。だからこそ、「死」を穢れとして
封じ込めようとした。

誰も彼もが死にたくないし、「死」なんて理不尽な現象が
この世に存在するって事を認めたくない。

だからこそ、「死」を処理するのに宗教や、
弔いや、来世や、生まれ変わりが必要だったのだ。

ごろりと「映ったまま」の現象を見せるなんざ、
保健体育の授業としてポルノを見せる事と
なんら変わらん。

それが行われる意味付けが必要になり、それが「教育」なのだ。

本来的には、「死」には意味などない。
ただ、死があるだけだ。だが、それでは動物と
変わらん(無論、ある種の生物は仲間の死を悼んだり、
花を死骸に供えたり、子供の亡骸を手放せなかったりという
「一見弔いに似た行為」をする事実はある)。

その無作為な死に「意味」を持たせたから、人は
死の恐怖を忘れられる、と思ったり救いを感じたりしたのだ。

そういった先人の苦悩を一切鑑みず、ただ何の想像も意義も
必要とせぬまま、こうして「現実だからリアルだから」と
空念仏を唱える類いの馬鹿は、どうにも度し難い。

そうしたドラスティックな死を見せつけたいなら、
野良猫でも拾ってきて、生徒達の前で殺してみせればいい。
その時に感じる、音、臭い、感触こそが、その教師の
生徒達に本当に「伝えたかった」事であろう。

尤もらしく「人は死ぬから見せて何が悪い」などと
ホザくのも、同様の思考停止でしかない。

繰り返す。

そうした「行為」「現象」に意味を持たせる、意味を
発見する事を教えるのが「教育」であろう。

もう一度、その教師自らが「死の意味」を考える事が、
一番必要な事だ。

そして、そこに思いを致せぬのであれば。
その程度の無能者は「死」なんてものには
近寄らない事だ。

その愚か者には、「単なる穢れ」でしかないのだから。
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