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2015年02月10日18:01

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それ、政権に決めて貰いたいの?

安倍政権は女性を働かせたいのか出産させたいのか不明な状況
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3266884

どうも、馬鹿が書く文章というのは
意味がよく通らん。

そもそもの前提として、
「マイクロ・マネージメントを実践しているのが安倍晋三政権だと」云う。
マイクロ・マネージメントとは「重箱の隅をつつくように
部下の仕事を管理・干渉する」事だからいかんよね、と置く。

だが、結論は

「安倍政権は女性をもっと働かせたいのか、
それとも女性がもっと子供を産みやすい社会にしたいのか、
私にはさっぱりわからない。」

で〆。

これ、大学入試の小論文だったらはっきり云って零点でしょう。
前提と結論が食い違ってしまっているんだから。

前提に従うなら、結論は

「安倍政権はマイクロ・マネージメントを実践しようと
しているが、それが曖昧になってしまっている為に
それが達成出来ていない無能な政権である」

か、

「安倍政権の行おうとしているマイクロ・マネージメントは
構想自体が破綻している。きちんと女性は「かくあるべきである」
と構想を打ち立てて実行しなければならない。よって安倍政権は
無能である」

という辺りに帰結しなければ、「論文」の体を為していない。
そして、それはあくまでも「小論文」であるならば、である。

この文責者は「マイクロ・マネージメント=悪」という図式を
最初に打ち出しておきながら、それを徹底出来ていない女性の
社会生活(進出、は既に差別だろう)の在り様を
「マネージメント出来ない安倍政権」と批判している。

そしてそれは、「安倍政権=マイクロ・マネージメント」という
図式が成り立たねば出来ない批判なのだ。

不況不況と騒がれて既に二十数年が経っているこの国に
おいて、「女性の社会生活」の在り様、その理想は変化していった。
「男性のようにある」理想、「女性らしくある」理想、
それらの「押し付けられたジェンダから解放された」理想、
「一人で生きて行く」理想、「家族を為し、子供を為す」理想、
「収入を頼る」理想、「収入を頼らない」理想、
「家庭に入る」理想、「家庭に入らない」理想、
「両立する」理想、人の数だけその理想はある。

ここで、「安倍政権=マイクロ・マネージメント=悪」という
図式に持って行きたいのだけれど、書き手が馬鹿で無能だから
それが出来ない、という構造が、実は非常に面白い。

そう、安倍政権にも理解している事がある。

「人は、多様だ」という至ってシンプルな事実である。

それは「マイクロ・マネージメント」などというお仕着せで
生煮えの経済用語では定義出来ないのだ。

別に、現段階の安倍政権の批判をしようと思えば、
ナンボでも可能である。それは、「理想を体現し、
100%の神の王国」を実現出来る政体等、この世には
存在しえないのだから。

だからこそ、政権批判は大いにするべきだ。
それは、民主主義社会に生きる者にとっては
義務にも等しい事なのだから。

それ故に。

見当外れで頭の悪い論難は、馬鹿らしいだけではなく、
「邪魔」なのだ。

この国で、人がどのようによりよく生きて行くべきか。

もし、この国の政府が「こうしろ」と口を出してくるのであれば、
全力で抗う権利は人は持つ。だが、現状はそうではなく(いみじくも
この記事はそれを認めている!)、個人はそれぞれ、「選ばなければ」
ならない。

無論、理想通りに人生を設計し、歩める人間は少数だろう。
だれもが、不全感や不満を持ち、生きる。
民主主義は、長足の進歩やドラスティックな改革を求めない。
だからこそ、個人は考え、行動するべきだし、人生を
それぞれ歩まねばならない。

間違っても、この記事の書き手のように、
政府がどう「したいのか、私にはさっぱりわからない。」
等と云ってその背後に「方針打ち立ててくれないと
従えないんだよなぁ」という悪い意味での他力本願を
隠すような嫌らしさを持ってはいけない。

それだからこそ、我々は時の政府を、権力の在り様を、
批判出来るのだ。

ま、この記事の書き手は単純に無能で、「本来書きたかった事とは
見当違いの方向に文章が決着してしまった」だけなのだと
思うので、コイツが馬鹿だ、で本来終わりなのだがね。

だが、しばしば思うのだ。

「ISILに捕まった日本人を助けろ」
「雇用を守れ」
「生活保障を守れ」
「戦争に加担するな」etc,etc・・・。

「守れ」「するな」「保障しろ」「助けろ」「道を示せ」・・・
これらの言葉は全て「お願い」だ。どれだけ批判し、悪口を
云い、時に人格批判、名誉の毀損まで行いつつ、
彼らは「政府にして欲しいお願い」を無遠慮に叫び続ける。

本質的に、この国のそうした「政府縋り付き」の人種は
「幼い」のだ。

自分の云う「正当なる要求」はそれだけで容れられる、そうでなくては
おかしい、と思い込んでいる。
それがどれだけ「子供の理屈」なのかは、分からないのは
当人たちだけだろう。
だからこそ、「自己責任論」が立ち上がるのだから。

それは、「国境などなく、人は自由になれば幸せさ」という
空虚な現実無視の言説において、「目の前にある国境」を
指し示す批判の言葉なのだから。

「国家はマネージメントするべきだ」という底に含んだ
要求は、「それを求める」言葉である。

あまり、甘えるんじゃない。


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